キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

不徳の致す所

2019-03-30 17:07:46 | Weblog

 やっと20人になった石破茂派が19人に減った。これも石破の『不徳の致す所』だろう。石崎徹衆院議員(比例北陸信越、当選3回)が派閥を退会したからだ。石崎は派閥内の活動に対して評価しない石破に不満を抱いたからだという。先に古川禎久衆院議員も派閥の事務総長を辞任している。自民党総裁選に立候補するには20人の推薦人が必要だ。昨年9月の総裁選でも石破は頭数が足りず無派閥議員などに三拝九拝して石破は安倍の対抗馬になれた。総裁選で石破は野党も顔負けするような安倍の政策や政治姿勢を強く批判した結果、直後の内閣改造・党役員人事では石破派の連中の多くが冷飯を喰わされている。いわゆる『干される』という奴だ。  安倍首相は第4次安倍改造内閣にまだ当選3回の山下貴司を一本釣りして法務相に任命してしまった。石破派事務総長を務める田村憲久は「仲間を増やしていこうという意識はある」と語っているが問題は御大石破の人徳のなさではないか。恩ある先輩を裏切り、自民党を見限って出たと思えばまた入る。政界遊泳術では信用は得られない。  石破を遠から眺めている自民党員や国民などには実態は判らない。日本一の富士山と同じだ。遠望は美しいが山に行けば決して綺麗ではない。  求心力を失いつつある石破に愛想を尽かした議員が連鎖反応を起こしかねない。この石破とは対照的に二階派には次々議員が転がり込んで派閥を膨らましている。旧民主党の細野豪志も草鞋を脱ぐ始末。選挙区問題で細田派と悶着を起こしている。小沢一郎の子分だった二階俊博に人徳があるかないかは判らないが政治は数だ。二階の主義は『来る者は拒まず』のようだ。 写真は満開の横浜緋桜、咲きだした染井吉野


見よ!!品格のある女性議員を

2019-03-08 12:25:13 | Weblog

 支持率が1%前後と低迷、さっぱり浮上しない玉木国民民主党と片や人品骨柄の卑しさを見抜かれ、子分から側近まで去ってしまい、数人の国会浮遊ゴミを集めた自由党小沢一郎が1月に統一会派を組んだ。国民党と自由党が合併に向けた政策協議を行い、国民の基本政策を自由が受け入れることで合意した。「夏の参院選で自民党に勝つには、野党で大きな固まりを作るべきだ」と小沢は強調する。フラフラしている参院無所属のアントニオ猪木を統一会派に入れて参院の野党第1会派に押し上げた、衆院でも佐藤公治氏(無所属)を統一会派入りさせ、小沢に近い議員を増やした。腹に一物の小沢自身も馬齢を重ね76歳の老骨、”金丸虎の威を借る狐の剛腕”は今や昔、長年連れ添った女房に三行半を突き付け逃げられ倅達にも愛想尽かしされ往年の勢いはない。
  落ち武者小沢と手を結ぶ玉木国民民主党は ”貧すれば鈍する”の典型だろう。小沢はハトポッポ民主党に入る時も「一兵卒として雑巾掛けもします」と低姿勢を示したが正に”始めは処女の如く後は脱兎の如し”民主党の党内をかき回した挙げ句、後ろ足で砂を掛けて飛び出した張本人だ。小沢は浜松市で講演「『股をくぐれ』と言われれば股をくぐる。『お前が悪い』と言われれば謝る。個人的な感情にとらわれている場合ではない」と述べたそうだが、言葉どおりに、股を潜らせれば急所を抜かれる、油断も隙もない野郎だ。
 側近の森裕子を国民会派入りさせ参院予算委の野党筆頭理事に就任させたが、7日国民の藤田幸久(参院茨城選挙区)は除籍処分され立民入りした。これで立民が28国民27と逆転、立民のレンホウが再度野党筆頭理事になった。
 森裕子と言えば2003年の参院外交防衛委員会におけるイラク特措法案の採決で、短めのスカート・ハイヒールを身につけたまま委員長席のテーブルに登り松村龍二委員長に詰め寄り、スリットから太股を大胆に露出して護衛役だったプロレス上がりの大仁田厚の髪をつかんで頭をポカリと殴った。このパフォーマンスで森は一躍有名になり、小沢一郎曰く森を「我々の闘士」と持ち上げた。一方の立民のレンホウも引けを取らない。切り口上で一方的に決め付け、相手に反論もさせぬ根性の持ち主。共に品のなさとガラの悪さでは甲乙付けがたし。小沢は玉木国民の次に枝野立民を視野に入れ野党共闘を狙っているようだが革マル派枝野は、玉木のような甘ちゃんではない。オリーブの木もオール野党共闘も人、カネ、信用を失った小沢には到底無理だろう。
写真は森の品格丸出しの雄姿。