散々気を持たせていた石原都知事が任期を1年半残して辞職して、国政復帰を宣言した。早速『立ち上がれ日本』に入り新党名に替えて代表は石原慎太郎がなると決めた。これを軸に第3局を狙って、橋下の『日本維新の会』、渡辺の『みんなの党』、河村の『減税日本』などを束ねて勢力の拡大を図る。天下にその名を馳せるヤジババアの真紀子(1944年1月生まれで68歳)が早速『暴走老人』と揶揄した。愛するうちの宿六老人直紀(72歳)が初めて防衛大臣になって予算委員会の答弁で頓珍漢な答弁に終始した。日曜返上で防衛相の役人から答弁書のレクチャーを受けて答弁席に臨んだが生れ付きのオツムの出来が悪いのか、痴呆が始まったのか、臍が茶を沸かす程笑わしてくれた。これが寄席で落語家の芸なら拍手喝采だ。しかし防衛大臣の国会答弁だから始末が悪い。こんな体たらくだったので当然問責を受けた。同じ省の大臣が前任の一川(現在民主党参院幹事長に出世、玉がいないので使い回し、民主党の光輝ある特徴だ)と田中2代続けて問責を受けたのは日本国憲法下で始めただそうだ。珍奇な栄誉に輝く。野田首相が内閣改造で退任させたので面目を少々保った。これが自民党の閣僚だったら悪妻真紀子は、口を極めてバカだ、阿呆だ、辞めさせろと罵詈雑言を浴びせたに違いない。真紀子曰く『人間は3種類しかない、家族と使用人と敵』こんなババアを文科相に任命したのがドジョウだが反面教師の心算なら判るが、そんな深謀遠慮はない、ただ汚沢の代表にするという甘い誘惑を蹴って民主党に残り、代表選に協力した論功行賞だ。野田以下人を見る目がないのは松下政経塾の連中が世間知らずだと証明出来る証拠だ。さて真紀子が『暴走老人』と揶揄した石原慎太郎は1932年生まれで80歳、年を理由に引退を表明したのに後任の不祥事で再任した滝実法相は1938年9月生まれで74歳、献金と暴力団交際で法務大臣を棒に振った後任の田中慶秋は1938年3月生まれで74歳、滝と田中は同年だ。一方は年だから引退を表明したのに、一方の田中は初めての大臣だった。皮肉な事にやりたい田中は結局、引導を渡されて辞任した。10/1から10/22迄のたった22日の大臣席だった。真紀子が罵る『暴走する能力』がある石原と、大臣になっても陸(ろく)に答弁も出来ぬ72歳の宿六とどっちがまともだろうか。真紀子バアサンにお伺いする。また『瘋癲』と言う罵り言葉もある。直紀宿六は次のどっちだろう。谷崎潤一郎の作品に『瘋癲老人日記』があり、山田監督が文化勲章を貰う映画『男はつらいよ』の主人公、『フーテンの寅』こと車寅次郎がいる。