中曽根内閣を手玉にとっていた角栄が手駒の石破二朗衆院議員の死後、鳥取の地盤を守ろうと25歳の石破茂に目をつけ、銀行を退職させ、田中派の木曜クラブ事務局に入れた。「お前が出ろ」と角栄に薦められ、政界入りしたのに石破は田中を裏切り、田中派から中曽根派の幹部になった渡辺美智雄を頼り、1986年の衆院選に中曽根派から立候補して28歳で初当選。石破は、自民党が下野するきっかけになった1993年6月の宮沢喜一内閣に対する内閣不信任案に賛成した。解散総選挙後に成立した細川護煕内閣が、同年11月に提出した小選挙区制の導入などを柱とした「政治改革4法案」にも賛成し、役職停止処分などを受けた、これで自民党を離党し、小沢らの新進党の結成に参画した。自民党議員や秘書は「石破は自民党が野党の時に出ていき、与党の時に戻ってきた。つまり典型的な『裏切り者』だ」自民党の 立て直しに四苦八苦する森喜朗幹事長に石破は「こんな党にいても何もできない」「私はね、政権与党にいたいんです。自民党の歴史的使命は終わった」 と捨て台詞を吐き離党した。 このやり取りは有名だ、これこそ石破茂の本性が出たと言われた。
新進党で真の改革者と称賛した小沢一郎と行動を共にしていながら、党首選挙で、羽田孜に味方し、小沢候補と敵対した。、小沢に電話に出ないと恨んでいたが、当然だろう、どうして裏切り者と電話で喋れるか。これを恨んで、逆襲するとは、本末転倒だ。気に入らなければ平気で人を裏切る人間。自民党に復党するも誰も相手にされない石破を慮って、伊吹文明が「石破君は仕事のできる人だから」と情けをかけて伊吹派に入れて貰ったのに、入閣すると「閣僚が派閥に属するものはいかがなものか、派閥は旧態然としていると思いますよ」と後脚で砂を掛けて伊吹派を離脱した。
2009年、総選挙が近づくと麻生内閣で農水相だった石破は与謝野馨財務相らとともに『麻生おろし』に加担、退陣要求を行った。民主党からの政権奪還を目指した自民党総裁選で安倍晋三と総理の座を争い、敗れて幹事長に就任。その在任期間中、地方選挙では連戦連敗を記録、石破が己の無能を証明した。
2014年第2次安倍改造内閣発足に先立ち、安倍は石破に対し、新設する安全保障法制担当大臣への就任を打診していたが、石破はラジオ番組に出演、安保法制担当相への就任を辞退する意向を明言し、内閣改造後も引き続き幹事長職に留まりたい意向を表明した。「幹事長が公の場で人事の希望を言うなど前代未聞」と石破に対する批判が高まった。代わりに受けた地方創世担当で実績を残せないどころか既得権益に配慮した。(獣医師会から100万円受領)「石破4条件」は、獣医学部新設に関して、(1)新たな分野のニーズがある(2)既存の大学で対応できない(3)教授陣・施設が充実している(4)獣医師の需給バランスに悪影響を与えない-という内容で、16年3月までに検討するとされている。15年9月9日、石破は、衆院議員会館の自室で日本獣医師政治連盟委員長の北村直人氏と、日本獣医師会会長の蔵内勇夫氏に対して、「学部の新設条件は大変苦慮しましたが、練りに練って、誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にしました。と語っている。『石破4条件』は獣医師会の政界工作の成果である。文科省が獣医学部の申請を一切認めないとする同省の方針に行きつく。これは、03年3月の「文科省告示」として書いてあり、いわゆる岩盤規制である。これらの規制に基づき50年以上も獣医学部の新設がなかった。これにより愛媛県と加計学園が熱望していた獣医学部の新設が不可能になった。
派閥政治を否定してたのに石破は安倍の自民党総裁が無投票で決まった2015年9月8日の翌日、安倍内閣で地方創生担当大臣を務める石破茂は、自身が顧問を務める、派閥に所属しない議員でつくる「無派閥連絡会」を解散し、自身の派閥を結成する意向を表明、9月28日に「水月会」として発足させた。石破は幹事長時代には「脱派閥」を訴えていた党内からは言行不一致とする指摘されるが当然だ。特に麻生は石破を信用せず、評価はゼロだ。 森友問題や加計学園問題、自衛隊日報問題など新聞テレビに連日出演して、安倍政権と自民党を背後から撃つ発言をしまくり、マスゴミの安倍おろしに加担。「批判のないところに進歩はない。批判がない、あるいはそれが封じられる組織は必ずダメになる」と正当性を主張「憲法もそうだが、党内で積み上げたものを無視した形で、『自分はこうなんだ』とやるのが時々ある」と述べ、安倍首相の政治姿勢を批判した。憲法9条改正をめぐり、1.2項を維持した上での自衛隊明記案を掲げる安倍首相に対し、石破は2012年の党改憲草案に沿って、交戦権を否認する2項の削除を主張。党内論議を積み重ねた草案を重視する姿勢を打ち出しており、改めて首相の政治手法に疑義を呈した。また昨年の衆院選で、安倍首相が消費増税の税収増を使った教育無償化を打ち出したことについて、「車のラジオで聞いて、ひっくり返って驚いた。そんな話は聞いたこともない」「党では誰も聞いていなかった。首相が何でも決められるなら党は要らないという意見もある」と述べ、党にすら相談せずに独断で決めていたと指摘。安倍首相の政治手法を批判。石破は安全地帯に身を置き、己の事は棚に上げ、常に相手の背後から撃つ。典型的な”獅子身中の虫”だろう。石破は気に入らなければどんな恩人であろうとも、先輩、同輩だろうが平然と裏切り、とんと恥じない。この厚顔無恥に日本を託せるだろうか。その石破が総裁選に出馬、掲げたモットーが『正直で公正、丁寧で謙虚な政治』だ。石破は安倍政治はこの正反対だと批難しているのだろうが、臍(へそ)が茶を沸かす。さて軍事オタクの石破先生はご存知だろうが、海軍兵学校において用いられた五つの訓戒『五省』がある。1、至誠に悖とる勿かりしか 1、言行に恥づる勿かりしか 1、気力に缺くる勿かりしか 1、努力に憾み勿かりしか 1、不精に亘る勿かりしか。その中の”言行に恥づる勿かりしか”は如何だろうか。
写真は道後温泉の坊ちゃんカラクリ時計、安倍と石破に似ていないか?何、石破より目付きがいい。 鎌倉、瑞泉寺にある大宅壮一(1900-1970)の文学碑