森雅子法相が3月9日の参院予算委で「東日本大震災の時、検察官は福島県いわき市から市民が避難していない中で最初に逃げたわけです。その時に身柄拘束をしている十数人の方を理由無く釈放して逃げたわけです。そういう災害の時も大変な混乱が生じると思います」これは民主党政権下で発生した問題だったので、立憲党はいきり立ち「理由なく」「最初に逃げた」などの発言を切り取り、レンホウなどは「憤りしか覚えない。大臣の資質は1ミリたりともない」「わざわざ福島県を持ち出して自分の所管の検察官を愚弄した」と切り口上で批判、その後法相が「個人の見解を申し上げた」として発言内容を撤回しても聞く耳持たず「法相罷免させろ」予算委審議を途中で打ち切り、国会を空転させる、常套手段の『寝る戦術』に出た。予算案通過に重点を置く首相と金子予算委員長が法相に厳重注意、法相は予算委で「心よりおわび申し上げます。答弁を撤回させていただきます」と陳謝した。さて事実はどうだったろう。震災が発生した2011年3月11日から16日までの間に、福島地検いわき支部は地震・津波・福島第一原発事故を受けた混乱の中で、勾留中の容疑者を釈放した。その後、いわき市の庁舎を閉鎖し、検察職員が郡山支部に移った。これに関しては当時、野党自民党の一員で地元いわき市出身だった森法相が国会審議でも取り上げている。2011年10月27日の参院法務委員会。森雅子議員:「福島県内において震災後犯罪が多数発生しておりますが、福島地検の方で処分保留の釈放が増発されたということが指摘をされた。大臣は、やはり検察の信頼向上に努めるということを所信でもおっしゃっておられた」江田五月法相(当時):「福島地検による被疑者の終局処分をしないままの釈放について大変地域の皆さんにもご心配をかけたことをこれは率直にお詫びをしなければならぬと思っています」森雅子議員:「震災後、いわき市の地検いわき支部、それから地裁いわき支部も、ちょっと時を異にしておりますが15日、16日に次々と庁舎を閉めて16日には郡山の方に移動してしまったということがあった。それに先立ち地検では勾留をしていた被疑者を全員釈放する、処分しないで釈放するということがあり、その中には女性の家に押し入って性的犯罪をした容疑者もおりましたし、釈放された被疑者がまた再犯を起こしたということも起こりました。あの当時、いわき市は避難地域ではありませんでした。(福島第一原発から)30キロまでが屋内退避です」平岡秀夫法相(当時):「福島地検いわき支部の移転というのは、この支部管内において死者、行方不明者が多数に上り、建物等にも甚大な被害が及ぶとともに水道などのライフラインも途絶えた状況にあって、さらに余震も相次ぐという状況の中で、このいわき市内の庁舎に関係者を呼び出して取り調べを行うことが事実上困難になるというようなことで、いわき市内の庁舎で執務遂行が大きな支障が生じるようになったということが大きな避難の原因であったというふうに思います」福島地検が震災の影響で捜査を続けることが困難などとして警察署に勾留されていた起訴前の容疑者31人を処分保留で釈放し、このうち2人が震災後の再犯で逮捕され、福島地検の検事正が事実上の更迭されている。市民は固より市役所、警察、消防も避難しなかった。森法相が「検察職員は最初に逃げた」と表現したが当時の平岡法相は「避難」という言葉を使っている。これは日本語の言い換えの妙で、戦争:敗戦を終戦、軍隊:退却を転進と表現した。退散を避難と言い換えているに過ぎない。森法相が語ったのは事実である。立憲は揚げ足を取って事実を隠蔽して民主党政権の醜態を糊塗した上、森法相を殊更貶める意図が露骨に表れている。『烏を鷺』より質が悪い。もみじもシダも春