たすくの空中散歩

七草店主、相沢たすくの農作業や工作や
日々の一喜一憂を記録していきます。

角セイロを自作しました(父が)

2017年03月30日 21時55分28秒 | 一喜一憂

今回ホイロは自分が担当し、セイロは父に作ってもらいました。


これは初々しき「ての市」でのデビュー当時の写真。まだ試作品の部分もあります。蓋も綺麗ですね。

この角セイロ、買うと本体、台す、蓋、それぞれ一万円くらいするのです!
構造自体はとてもシンプルそうなのに何故?自分で作れるんじゃないだろうか?
というわけで父と相談しながら設計して、制作を父にお願いしました。

ところがこれが見た目同じように作れても、実際に蒸しに使ってみると丸セイロとは勝手が違い、わからないことだらけでした。
しかも出回っている情報量が圧倒的に少なく、暗中模索、右往左往でしたが、いろいろやってもらってやっと満足いく完成度のものができました。

<セイロ本体>

こちらが今回作ってもらったセイロ本体、『身』というそうです。
木の枠にスノコを乗せる棒が渡されているだけの、実にシンプルな構造です。


↑市販の角セイロです。

市販のものは、組んだ木の出張った部分の持ち手がついていますが、うちはセイロのまま発酵器に入れるのと、番重として使う際にも邪魔だったので、ただの箱型にして省スペース化しました。材は市販のものと同じく『サワラ』です。


中に敷くスノコは市販のもの(千円くらい)を使っています。まんじゅうが種類を問わず4×4=16個並ぶ大きさの39センチ×39センチのスノコに合わせて寸法を出しました。


組んだ木は木釘で止めてあります。

<台す>

丸セイロはちょうどよい大きさの鍋があればそのままつかえますが、
角セイロは下が大きく四角く開いているので、このような『台す』が必要になります。
真ん中に蒸気を通す穴が空いています。


裏面。鍋の当たる方です。
市販のものは裏も表もまっさらなただの穴のあいた板ですが、後から説明する理由で、裏表共に木枠がつけてあります。
表の木枠は後から付け加えてもらったのでステンレスのネジ止めです。

蒸気の穴も、丸セイロの場合は、鍋全体から蒸気が上がってくるのに対して、角セイロ台すの市販品は真ん中に小さい穴が一つあるだけです。果たして一つの穴でいかにして全体に蒸気をまわすのか?
そのままだと、真ん中のまんじゅうにだけ直接蒸気が当たってしまい、蒸しあがりにムラができてしまいます。そこで…


台すに、背の低いスペーサー用のセイロと、蒸し皿を置いて…


その上にセイロを置いて…


これで蒸気が全体に上手くまわるようなりました。
蒸気の出口にワンクッション置くアイディアは、農家さんの家に角セイロ用のガス蒸し器を見させてもらい、参考にさせていただきました。

<蓋>

後付けでいろいろやった為にフランケンシュタインみたいになってしまいましたが、このツギハギだらけの蓋が、一番思い入れがあります。


取っ手は、父も初挑戦の『蟻(あり)ホゾ』止めです!
これで、蓋の反りをある程度防げるのでは、と思っていましたが残念ながら…。

最初は四隅が持ち上がってしまって、そこから蒸気が漏れてしまうので、なかなか温度が上がりませんでした。
酒まんじゅうの蒸し上げはとてもデリケートなので、高い温度で一気に蒸し上げないとうまく膨らまなかったり、表面が荒れてしまったりします。
また、温度が上がらないからと、強火のままだと蒸気が多すぎて、やはり表面が水っぽく荒れてしまいます。
また、外売りの温め直しの際も、ただでさえ気温の低い屋外で、いつまでたっても温度が上がらないのでは、丸セイロより逆に効率が悪くなってしまいます。
とにもかくにも、木の反りをなんとかして、保温性、気密性を高めないことには、見せかけばかりの張り子の角セイロになってしまいます。


端に縦方向に継ぎ木をしてもらうことで、四隅が持ち上がる問題は解決しましたが、今度は付けてもらった木自体が反ってしまいました。

結局、市販の蓋が反らないのは、高級な柾目の木(まさめ:木の中心に近い部分の材木。木目が平行で、反りづらい)を使っているからだろう、という結論に達しました。
でも結局お金をかけて解決するのでは面白くない、そこは頭の使いどころです。
木の反りを無くすことができないのであれば、反ることを前提にした対策をしてしまおう!というわけで、蓋の裏面に木枠をつけてもらいました。


これで、木枠自体で反りも防ぐし、多少反ってもセイロと蓋との間に蒸気の抜ける隙間がほとんどできません。
これが大成功!セイロの中の温度はぐんぐん上昇。あっというまに90度を超えて99度まで到達、弱火にしても90度以上を保つことができました。
これにて、角セイロとの長い闘いが、ようやく一段落しました。

(他に、蒸し中のまんじゅうに蓋から落ちる水滴の問題がありましたが、これはコンロ自体に傾斜をつけることで解決しました。)

<作ってもらってみて>

市販のセイロがあんなに高いのにも、ちゃんと理由があることがわかりました。
と、言っても、自作できないわけでは無いこともわかりました。

さて、今までの丸セイロ+麹箱だと、セイロひとつに付きまんじゅう5~7個。
その丸セイロが7個あったので、一度に作れる量はせいぜい35~49個。
「生地づくり」→「包み」→「発酵」→「蒸し上げ」のセットを一日に何度も繰り返さねばならず、大変効率の悪いものでした。

それが、今回大型のホイロが完成し、角セイロを10個作ってもらったので、一度に(理論的には)160個のまんじゅうが作れるようになりました。
一度に160にはまだ挑戦していないですが、100個近くが4時間位でサクっと作れるようになって本当にびっくりしました。
夢は思い続けていれば叶うものですね。
というか、この場を借りて、父に感謝です。




その後の角セイロ

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ホイロを自作しました

2017年03月24日 22時56分56秒 | 一喜一憂

まずは、以前から話していた、七草のまんじゅう専用のホイロとセイロの自作です!

ホイロとは発酵機のことで、単純に言うと、箱に扉がついていて、中にヒーターと湿度を保つ為の水受けが入っている…らしいです。
実は本物のホイロは見たことがなく、ベーカリーでバイトをしていた妻の話しと、市販のホイロの写真から想像しているだけなのです。


↑市販の小型ホイロ、お値段40万~70万円位!?


↑こちらが、今までうちで酒まんじゅうを発酵させるのに使っていたホイロ、というか、実はもともとは麹を手づくりする為につくった『麹箱』なのですが、おまんじゅうを発酵させるのにもばっちりで、ずっと使っていました。
杉材で作った木箱に、サーモスタットを繋いだコタツのヒーターと、湿度を保つ為の水を入れるトレイが入っています。
ここに餡を包んだまんじゅうを、丸セイロごと入れて発酵させます。
制作費用は1万円もしてないと思いますが、スピーディーかつ正確に温度をコントロールできる優れものです。

詳しくはこちら→麹箱制作日記

これを、後で説明する、角セイロの数と大きさに合わせて、麹箱で不満のあった点に改良を加えて設計し直しました。


今回は私の木工史上はじめて、材木屋で買った木を製材するところからの制作でした。
これまで、市販の綺麗に整えられた材木からしか作ったことがなかったので、大変貴重な体験、勉強になりました。
材木には「サワラ」という木を使っています。
水に強く、無臭で、軽く、加工しやすいのが特徴です。市販のセイロや木の船なんかにも使われるそうですが、建具屋さん的にはあまり使いどころが無いらしく「ヒノキの出来損ない」なんて言われたりもして、そのせいか、大型のホームセンターなどでも置いてあるのを見たことがありません。
父のお世話になっている材木屋さんに買いに行き、その足で、我孫子のふれあい工房にて、厚み、寸法をざっくり整えていただきました。
そこまでの作業があっと言う間だったので、機械の力はほんとにすごいものだ、と思っていましたが、落とし穴がありました。

実はまっすぐに見えた材も、微妙に歪みがあったりして、機械はそのとおりに製材してしまうので、いろいろあちこちガタガタになって、結局手でかなり直す羽目になりました。
基準面だけは最初に手できっちり正確に作っていくべし!ということを学びました。


寸法通りに材を整えたら組んでいきます


棚となるレールを付けて…


組み上げます。


コタツヒーター、水受けトレー、サーモ、温湿度計等を設置して完成!!

部品類は麹箱からの流用なので、新たに購入したのは材木と、扉の蝶番&マグネット、ネジ類とかくらいです。材木を父が安く見つけてくれたので、またしても1万円してないと思います。


セイロを入れるとこんな感じです。5段×2列で、一度にセイロが10段入ります。
かわいそうに、下で台としてこき使われているのが先代の麹箱なので、大きさの違いが見て取れると思います。

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七草パワーアップ事後報告

2017年03月23日 21時59分30秒 | 一喜一憂

駆け抜けた七草の冬も終わり、いろんなことがあって、いろいろとパワーアップしました。

それをお伝えしようと思って書き出してみると、セイロとホイロの事だけで、書くことが出てくる出てくる…。
なんだか最初の投稿をするより前に、次の七草の販売が始まってしまいそうな勢いだったので、はしょりながら駆け足でお送りいたします。
質問などございましたら、メールやコメント欄にてお願い致します。




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無為自然<3>~心のキャンバス

2017年03月15日 17時57分24秒 | 一喜一憂

これまでの記事
無為自然<1>~草刈をしていて気づいた「時間」の話し
無為自然<2>~我ん張らない生き方

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子供が生まれた事は、実際とても劇的で、と同時に耕作面積も5倍近くに増えたので、まあとにかく時間的にも肉体的にも全然余裕がなくなりました。自分が自分のままではやっていけなくなるというか、やれるかやれないかを考えている余裕が無くなって、とにかくやるしかなくなりました。
減量中のボクサーは、最後には水が欲しくなるらしいのですが、人間、追い詰められるとこまで追い詰められて極限状態になると、本当に必要なものが見えてくるようです。
また、純粋無垢な赤ちゃんと一緒にいることで、大人になるにつれてまとってきた心のアカが、少しは剥がれたのかもしれません。


<無こそ有の源泉~固定観念の話>

いつだったか、とある番組に空手の達人が出ていて、「空手の極意は、何も持たないことにあるのでなく、何でも持てることにある」と言っていたのを聞いて、大変感銘を受けました。

同じように、生まれたばかりの心は無色透明なキャンバスのようなもので、もともと何の色もついてなければ何の絵も描いてありません。人はそこに、好きなように色をつけたり絵を描いたりできる自由を持って生まれてくるのです。
ところが大抵の人は、大人になるにつれて色に染まり、絵が増えてきた世界を、いつしか自分で自分に描いてきたものであることを忘れて、もとから描いてあったものであるかのような錯覚をしながら生きてしまいます。それが固定観念というものです。

同じものを食べて美味しいと感じる人もいれば、不味いと感じる人もいる。
それぞれの人の描く世界が違って当然なのに、それぞれに自分の描いた世界をこの世の正しい姿である、と固定観念を主張し合うことで、すれ違いや、いざこざが起きます。
実際、お互いにこのことを分かっている人同士だと、意見の「交換」が行われるだけで、「衝突」は起きないのです。
逆に、例えば、同じ宗教を信じる人同士は、同じ絵の世界を共有しているもの同士。
それこそ「自分たちの絵こそ絶対」と信じることを人生にしてしまっている場合が多いので、どうしても、他の絵に生きる人たちとは解り合えません。

本来の宗教、信仰とは、神様がいることを信じることではなく、神様のすること(与えられる運命)を信じ、受け入れ、委ねきること。
人類が全体としてそれに気づき、一人ひとりが自立、自信できる未来がいつか来たらと思います。


心は無色透明なキャンバス。
人はそこに、どんな絵を描くのも自由、そして消すことも自由です。

(無為自然編・完)


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無為自然<2>~我ん張らない生き方

2017年03月15日 17時35分19秒 | 一喜一憂

これまでの記事
無為自然<1>~草刈をしていて気づいた「時間」の話し

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とあるマーケティングの本によると、買い物の原理は無意識に寄るところがほとんどなのだそうです。
つまり、人はあれこれ考えて商品を選んでいるように見えるけど、実際は直感的、感覚的に商品を手にし、後付け的にその商品を手に取った理由を考えているのだそうです。
これはもちろん買い物に限った話しではありません。人の行動、生活の大部分が、動物だった頃の脳を使って、無意識的に生きているそうなのです。
確かに、車を運転するのに、次はアクセル、次はブレーキとか考えていたら天国へドライブしてしまいます。

自分で決めている、自分で動かしていると思っていたほとんどのことは、そう思い込んでいただけ。
で、あるならば、その思い込みを捨てて、人生を無意識の自分に、起きるがままにまかせてみたらどうなるのでしょうか?


<我ん張らない生き方>

「我を滅せ」「我を張るな」。
いろいろ分かっちゃってる人の言葉には、だいたい同じようにそう書いてあります。
でも、我を無くすってどういうことだろう?
と、あるときふと思いました。「頑張る」は「我ん張る」の意味に通ずるのではないか?
ということは、きっと頑張らない方がいいんだ!
…とまでは、なんとなく分かっていたのですが、頑張らないことと、怠けることの違いがよく分からず、つい頑張って無理をしてしまう自分がいました。

その心理の底にあったもの、それは、
「頑張れば頑張るほど未来は良くなるはず…。」
「常に頑張っていないと、将来への不安に覆われてしまいそうな気がして…。」
「常に頑張ってさえいれば、もしうまくいかなかった時に誰も責めないんじゃないか…。」
「人の目、親の目が気になって…。」

ところが、この度、その未来への不安、気にしていた世間の目自体が、心の生み出す妄想にすぎないことが分かってしまった!
頑張る必要が無くなってしまったのです!

で、これが面白いことに、肩の力を抜いて、頑張らないようになってから、あらゆることがスムーズに、うまくいくようになってしまったのです。
一体全体、何故頑張らないことで人生がうまくいくようになったのでしょうか?


<自ずから然るがままに>

学生の頃、修学旅行かなにかで、とあるめちゃめちゃ空いている遊園地に行って、同じジェットコースターに何回も乗った時、しがみつくより、手を離してバンザイして乗っている方が、実は怖くなくなることに皆で気づきました。
ジェットコースターに乗って恐怖を感じるように、人は思い通りにならない人生にイラ立ち、恐れを抱きます。

人生は思うようにならない
ならば思うことをやめてしまえばよいのです。
そうすれば、人生は思うようにならないようになりません。
予測し、期待をするから、その通りにならなかった時に気を落としてしまうのです。

例えるならば、人生は、子供が乗って遊ぶ、車のおもちゃみたいなもの。
お父さんに動かしてもらいながら、空のハンドルを切って遊んでいるだけなのです。
ところが、大人がこれに乗ると、なぜ自分の切った方向に曲がらないのかと、イライラ不満ばかり。
この空ハンドルを楽しむコツは、曲がった方向に自分の切るハンドルを合わせること。
そうすると、まるで自分が思い通りに動かしているような気分になれます。

これが、我ん張らなくなると、なぜ人生がうまくいくようになるのか、そのタネ明かしです。
うまくいくようになる、というより、うまくいっているように思うようになるのです。

我ん張らない生き方とは、人生を自分でコントロールしようとすることを、すっかり諦める生き方。

どのみち、どんなに綿密な人生計画を立てたところで、一寸先の未来に起こることすら、誰にも分りはしないのです。
決められたレールの上を走るコースターのように、将来に対する決定権が自分には無いことを理解し、今までしがみついてきた人生のハンドルと、不安、希望、成功、地位や名声、あらゆるものから手を離し、すべてを天に委ね、受け入れてしまいましょう。

そもそも、生まれてもどうせ死ぬのだから、どんなことを為(成)そうが、泣こうがわめこうが、人生そのものが大いなる無駄なのです。

自ずから然るがままに
自然な形で自分に与えられる仕事を精一杯こなし
自然な形で自分から離れていくものに執着をもたない。
貪ることなく、臆することなく、何を為(成)そうともせず
与えられる役目を文句言わずにこなしていけば
放っておいても、ものごとはなるようになっていく。
水が地形にそって流れ、やがて海へと辿り着くように
必要なものは、必要な時に手に入り
おさまるべきところにおさまっていく。

すべてが定まっていて
それ故に完全に自由であること
それ故に一切の無駄が無いこと
と同時に一切が無駄であること

その表裏一体なるこの世の矛盾を真理と体得し、
過去を思わず、未来を思わず
無念無心にこの世に身を委ねる時
人は意外な自分の正体に気づくかもしれません。


「幸と不幸、損か得か、また勝敗のことなど一切考えずに
 ただ義務なるが故に戦うならば、君は決して罪を負うことはない
 結果を期待せずに働くことによって、君はカルマ(*業=行為と結果の鎖)から開放されるのだ。
 君には定められた義務を行う権利はあるが、行為の結果についてはどうする権利もない
 自分が行為の起因(もと)で、自分が行為するとは考えるな
 アルジュナ(*主人公)よ、義務を忠実に行え
 そして成功と失敗を等しいものとみてあらゆる執着を捨てよ
 このような心の平静をヨーガと言うのだ」
~『バガヴァット・ギーター 訳:田中嫺玉(TAO LAB BOOKS)』より抜粋 *印はたすく注釈

(つづく…)

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