たすくの空中散歩

七草店主、相沢たすくの農作業や工作や
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<放射能、食糧難対策>玄米一粒の革命~白米は粕~(まとめ)

2011年04月09日 21時27分48秒 | 一喜一憂

これまでの記事
<放射能、食糧難対策>玄米一粒の革命~白米は粕~(1)
<放射能、食糧難対策>玄米一粒の革命~白米は粕~(2)
<放射能、食糧難対策>玄米一粒の革命~白米は粕~(3)

<本当は要らない正食理論>

玄米を中心とした正食の理論、指導原理として知られているものには「玄米正食」とか「マクロビオティック」等、いろいろな名称がありますが、それら多くのものの原点であり、共通基本原理となっているのが石塚左玄さんの「食養」の考え方で、それは以下の5つに要約することができます。

1.食物至上 (食物が生命に変わる、よって健康も疾病も食物が決める)
2.人類穀物動物 (人間は肉食でも草食でもなく穀物食である。=犬歯4本、門歯8本、臼歯20本の構成から)
3.身土不二 (その土地、その季節に採れるものを食べる。=生き物はその環境の子である)
4.一物全体 (食物はなるべく全体を食べることでバランスが最良になる)
5.陰陽調和 (陰《カリウム》と陽《ナトリウム》の調和がとれるように食事をとる)

そしてこれらの考え方のルーツであり、完成形なのが日本の伝統食なのです。

ではなぜ、伝統食という完成形があるのに、わざわざ玄米正食だの、マクロビオティックだのの胡散臭い名前をつけた食指導理論が必要となるのでしょうか?

それは第一に、僕ら現代人が「土」から離れてしまっているために、季節の食材や日本の風土に合った(=日本人の体質に合った)食材が分からなくなってしまっている、ということが挙げられると思います。

もし自分で畑をやっている人なら、「何を食べるべきか」でなく、「何が採れるか」で献立を組み立てていけば、それが自然とその季節にとるべき最良のメニューになります。(例:冬の野菜には冬を過ごしやすく→体を温める、等の働きがあり、夏の野菜には夏を過ごしやすく→体を冷やす、等の働きがある)
また、なるべく機械技術や化学肥料に頼らず (できれば自然農法で→「地球46億年の農法~自然農法~」
)とも、日本の風土の中で手間をかけずに楽に育てられるものを選んでゆけば、それらが自然と日本人がとるべき最良の食材になっているのです。

日本の風土で楽に育つものは、日本人が食べてもやはり楽になるようにできているのです。なぜなら、「日本人」とは人の形をした日本の風土そのものだからです(=身土不二)。

第二に、僕ら現代人が本来の伝統食を忘れてしまっていることにあります。

たとえば僕らは、主食にせよ、調味料にせよあらゆる食材が、味の邪魔をするもの(本当はその逆)を削り落したり、取り除かれたりして、精製されたものに囲まれて暮らしています。そして、それが生まれたときからそうなので当たり前になってしまっていて、本来の姿で無いことを知らない場合があります。(例:精製塩→あら塩、上白糖→三温糖、黒砂糖)
玄米を白米にしたのと同じように、スイカの真ん中だけを食べることが豊かさだと勘違いして「精製」することで、体を維持するのに大切な栄養素をことごとく切り捨てた状態になっているのです。
それは、味噌や醤油や、うま味調味料や、油や野菜などについても同じ事が言えます。
自然の力をそのまま使って作られたものには多様な栄養素が含まれており、無限の奥深い味わいがありますが、機械技術などを用いて安易に短期間で作られたものは、見た目は同じようでも内容が薄く、形だけの模造品とも言えるのかもしれません。

実は僕らの食生活は、豊かになっているどころか、本当は貧しくなっているのです。
そして、生活が土と共にあれば、自然と「いただきます」の感謝の気持ちが生まれ、食べ物をなるべく粗末にしないように、葉っぱも皮も根っこもいただく全体食となり、それがもっとも栄養バランスのよい食べ方なのです(=一物全体)。

明治に西洋栄養学が導入されるよりもずっと前、何千年もの昔から、すでに日本には完成された食文化があり、(ごはん・味噌汁・漬物の組み合わせは鎌倉時代には確立されていたそうです)驚くべきことに、電気もガスも水道も石油も無かった時代に形成されたそれらのものは、現代の僕らにとっても最良の選択であり続けているのです。

時代と共に生活様式も価値観も、国境さえも変わってゆきますが、日本という「風土」は変わることがありません。
そして伝統文化とは、ご先祖さまが残してくれた、風土と共に生きるための叡智の結晶なのです。

<噛む(カム)ことは神(カム)こと>

さて、玄米正食生活は病気を防いだり治したりする目的で本格的にやろうとすると、大変奥が深いものでありますが、その中でも重要な「噛む」ことについて書いてみようと思います。

なんでも、米などの穀物を消化する為の酵素は、胃ではなく、口で噛むことによって出てくるそうです。
だから、噛めば噛むほど消化がよくなって、食べ物の栄養を無駄なく取り入れることができ、さらに少ない量でも満腹感を得られるようになります。
この時、白米ではほとんど噛まずとも飲み込めてしまうし、噛めば噛むほどべちゃべちゃになって、不味くなりますが、玄米等の無精製の穀類は、噛めば噛むほどどんどん甘味が出て美味しくなってゆきます。
さらに、噛むことでコメカミ(コメをカムことから)の筋肉が活性化されます。そしてコメカミには、脳に血液を送るための大事な役割があるそうです。
実際、人がサルから変化(進化は必ず同等の退化を伴う)したのは、食物が果物から穀物に変わって、良く噛むようになったことにあるらしいです。
つまり、カメばカムほど頭脳明晰になり、直感が冴えわたり、人が思いつかないようなあっと驚く発想が次々と浮かんでくるようになるかもしれません。

<ストレスと空腹、生活と食卓の関係>

これは以前、僕が断食実験したときに確認済みなのですが、人の空腹とストレスには密接な関係があるようです。
つまり、僕らはどちらかというと栄養のためというよりは、ストレスを抑えるために大量に食べている部分があるようなのです。
実際、インドのヨーガ行者には、ほとんど食べずに生きている人なんてザラで、中にはとある常識外れな方法で、まったく食べずとも普通に生活している人たちもいるのです。
そうなってくると、僕らは生きるためのエネルギーを果たしてどうやって手に入れているのか。根本から考えなおす必要があるのかもしれません。

だから本当に食べ物が無くなった時には、人から奪ってまでして生きながらえようとする人は、食べても食べてもお腹が減っていて、そこらへんの草でも食べてりゃ平気なんだ、という心持ちで平穏に暮らせる人は空腹によって苦しまない、というようなことが実際に起こりうると思います。

また、生活が散らかっていると、食べ物も散らかったジャンクフード的なものが食べたくなるものです。そうしてさらに、心身がバラバラになって、という悪循環が起きやすくなります。
食は生活に、生活は食に、それぞれ影響を与えあう表裏一体のものです。
これはつまり、食から生活を変えることも可能だということ。

粗食にはイライラを抑えると言われている栄養素がたくさん含まれています。
人生の悪循環を、一粒の玄米から断ち切ることも可能だと思います。

<アマテル神スガカテ(清食)を語る>

こちらは古事記や日本書紀の原文の一つと考えられている古文書「ホツマツタヱ」より、天照大神が皇子に尋ねられ、民や神々に清食の教えを説く場面です。
非常に強烈かつ説得力がありますが、信用する、しないは個人の判断でお願いします。

「ホツマツタヱ 天の巻 15アヤ ~食よろづ成り初めの文~ より抜粋」

「それでは清く正しく美しいカンカタチ(神形)を保ち、健康で長生きするスガカテ(健康食・清食)の話しをしましょう。
 何よりも忌(い)むべきは獣肉や鳥を食べることです。もし人がケシシ(毛の生えた獣)の肉を嗜(たしな)むと己の血や肉も汚れて、たとえ一時は精が付いた様でも実は動物の悪い精が付き過ぎ筋肉が固く凝(こ)り縮み毛も抜け落ちて病となり苦しんで早死にします。例えれば、濁水が乾くと後に汚泥(おでい)がこわばり付く様に、獣肉も食べると動物の汚れた血が全身にへばりつき己の血も汚れて健康を害しついには病に倒れます。
 常日頃、新鮮な野菜をたくさん食べなさい。特に清浄な野菜は、太陽の光をいっぱい含んだ緑の恵みで、地上にさんさんと降り注ぐ光は蒔(ま)かれた太陽の種(分身)です。青野菜を食べれば、病に弱って黒く濁った血も再び赤く透き通った太陽の輝きを取り戻し、ここ二見の浦の御潮(みしお)の様に力強い生命を宿します。
 私は常々、この国を幾世に渡り担(にな)ってきた臣も民をも分け隔て無く、天の賜物として我が子の様に慈しみ、皆がいつまでも豊かで健康に長生きするよう祈ってきました。
 今こそ、人が健康で天寿を全うする為に食物の良し悪しを見分ける知識をはっきりと持たなくてはなりません。我々は常に天地創造の初めに帰り、天・地・人の根元を良く知ってこそ真に人の命の尊さを悟り、天から与えられた命を全うすることが出来るのです。

(ブログ主注釈:この後天地開闢(てんちかいびゃく)の話から、地上の万物がどのようにして出来たのかの説明に移る。すごいけど長いので省略。)

モロタミ(諸民)もしかと聞きなさい。日常の食物で最も優れ物はゾロ(米・ぞろぞろ、ぞろ目、ぞろっと等、揃うの語源)が一番です。さんさんと降り注ぐ太陽の精気と、月の水の精華が結ばれたのがヒヨウル種(水稲)で、太陽と月の恵みの種(米)を同時に食べる者は幸いです。二番目に良いのが鱗(うろこ)の有る魚で、次は鳥ですが鳥はホ(火)が勝ち過ぎて、人は力が付くと思い込んでいるがこれは大間違い、不幸にも鳥をたくさん食べたほとんどの人は遅かれ早かれ病となり死んでゆくのだ。この事を譬(たと)えれば、灯火(ともしび)の火をもっと明るくしようとむやみやたらに灯心を掻き立てて、末は我が身の油を早く使い切って命を縮めるのと同じこと。注意しなさい、ホ(火)の勝つ鳥を食べると身を滅ぼしますぞ。

 最も恐るべきは誤ってミテ(三文字・璽)の獣を食べる事です。食べたとたん己の血肉が凝(こ)って縮み、身の油を減らしながら空肥(からぶとり)して頭の毛も脱け落ちやがて早死にするぞ。やむないこんな緊急時には、二ヶ月半の間イミヤ(忌小屋、酒肉を禁じ沐浴する室)に籠(こも)ってスズシロ(大根の別称)を大量に食べよ。いわんやフテ(二文字・璽)の獣を食べた者は、たとえ生きたとてその臭さは腐る屍(しかばね)同然、これを生き腐れの毛枯れ(けがれ、汚れの語源)と言うのだ。この者は神の恵みも断たれて救い難く、三年間イミヤに入れスズシロ(大根)を大量に食べさせて体毒を消し、薬にシラヒゲ(白髭、芹・せり)とハジカミ(しょうが又は山椒・さんしょう)を与えて徹底して身の不浄な垢(あか)を濯(そそ)げよ。やっとまともな人に戻るのだ。」

以上、出典:株式会社 日本翻訳センター http://www.jtc.co.jp  
天の巻 15-2アヤ翻訳全文はこちら→http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya15-2.html

<粗食のすすめ>



我が家の数あるバイブル本の中の一冊。日本の伝統的粗食を季節ごとのレシピで紹介。
粗食は、わびしいもの、さびれたものの中にこそ本物の美しさを見出した、世界にも希な日本人の感性、ワビサビの世界の食体験!
ちなみに個人的には玄米最強のおかずは「塩(あら塩)」です。そこに広がるのは味覚の宇宙旅行(意味不明)!

<玄米一粒の革命シリーズ まとめ>

今までいろいろ書いてきて何ですが、食事をとる時に一番良くないのは、得た知識で頭で考えて「あれはだめだ、これは良いんだ」とか食べ物を頭で食べてしまうことだと思います。
「食べる」ということを、余計な考えなしにありのままに見れば「生命力を分けてもらう」ということで、それ以上でも以下でもありません。
そんな宇宙スケールの出来ごとを、人間が分類、分析して「あーでもない、こーでもない」と右往左往しているに過ぎないと思っています。

僕が毎日の食事で一番大切にしているのは、「食べたいものを食べる」ことです。
より美味しいものを食べて、より健康になれるのなら、それに優る贅沢は無いと思います。

このブログが、皆さんの「本当に美味しいもの」との出会いのきっかけになれたなら幸いです。

以上、玄米一粒から僕自身に起きた、小さな革命のお話しでした。


<シリーズ・完、番外編に続く



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