あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

義姉の家の法事

2014年01月26日 | 日記



義姉の家の法事に夫と行った。
義兄の母親の50回忌と父親の25回忌。
親戚の多い家だが今回はごく内輪で行われ参加者14人。
私たちも平服で参加した。

会食は割烹「あんどう」というところだったが、豪華料理が次々に出てきて驚いた。

※今日特に気が付いたのだが、義姉の家、お参りに際し、座敷椅子を準備。
 義姉を含め、60代以上の女性、皆、膝が悪く正座ができない様子。
 女性は膝が悪くなりやすい事をあらためて感じだ。
 私も60歳くらいの時、歩くと膝がコキコキ鳴ったりし始め、(痛みはなかったが)、その頃から「ヒアルロン酸・コラーゲン」を飲んでいる。それが効いたのか、今の所、支障ない。
私の母も真っ先に膝を悪くした。膝は要注意!



こんな時代もあったっけ(その2)

2014年01月26日 | 日記



2002年10月27日(日曜日)の日記

午後3時ごろから4時半ごろまで義母のウンチと格闘した。
油断していたら、両手にウンチをいっぱい付けて、トイレに義母がいた。
お尻を拭き、手を洗って部屋に連れて行くと5分もせずに「トイレはどこですか」と言って来た。
さっき、出たのにと思いながら、トイレに連れて行った。
便座に座らせるとのんびりとしているので、これは時間がかかりそうだと思い、その場をちょっと離れた。
2~3分して行ってみると、また両手をウンチで汚していた。
便が出ないので指を入れて出そうとしているのだと気付き、ゴム手袋をはめて私が出そうとしたが、とても硬くて、しかも義母が「痛い。痛い。」と言うので困ってしまった。
 義母の手を洗い、トイレに座らせて、「ここにじっとしてて」と言い残して、私は浣腸液を買うために薬局に車を走らせた。

帰ってみると、義母はまた手を汚し、居間のマッサージチェアに座っていた。
トイレに連れて行き、浣腸をしたが、便が硬くて、浣腸液が中に入って行かない。
浣腸液を2本使った。それでも出て来ないので一生懸命、また指で摘便した。
 「ばあちゃん、うーんして、うーーーん」「がんばるよ。はい。うーーん」
子どもに言うようにして、私が力を入れて励ますのだが、義母は途中で「格闘中」と言うことを忘れてしまったりする。
思い出したように「いきんでみようか」と言う。
「そうよ。そうなのよ。私はそれを待ってるのよ。ずっと息んでいて欲しいのよ」と思いながら、指でウンチをかき出す。
最後のウンチをかき出した時、「やったー」と爽快な気分になった。
手を洗い、服を着返させ、洗濯し、トイレや義母が触ったと思われるところをあちこち掃除して、日が暮れた。
これから、こういうことが多くなるだろう。

※この本は義母とファニーのふれあいなど書いて私が出版した本。

こんな時代もあったっけ(その1)

2014年01月26日 | 日記



50代の頃の友達にあった所為か、俄かにその当時の事が思い出されて、日記などめくってみたりした。

2002年10月19日(土曜日)の日記

  今日は午後、仕事関係の講演会があった。
  その帰り、デイサービスに行っている義母を迎えに行って連れて帰った。
  家に帰ったら珍しく明るいうちから夫が家にいた。
  「この人の名前は?」と義母に尋ねると「さあ・・・知らん」という。
  「じゃあ、この犬の名前は?」と訊いてみると、即座に「ファニー」と答える。
  息子の名前より犬の名前を憶えている絶妙さ?
  夫は苦笑いしていた。
  
  夕飯を食べている時、「ここビショビショに濡れてるよ」と(義母が)言って靴下を脱ぐ。
  見ると靴下も座布団もびっしょり濡れていた。
  自分の粗相をまるで床上浸水でもあったかのように言う。
  もう食事どころではない。
  夫と息子と3人で慌てて風呂場に連れて行って体を洗い着かえさえ掃除をした。
  しかし、まるで他人事のような義母の態度がおかしくて3人とも何故かニヤニヤ笑っていた。




切り絵にまたチャレンジ

2014年01月25日 | 日記
マイブームが今「切り絵」。
昨日母に会いに行ったので今日は家に閉じこもって切り絵に再チャレンジ。
今度は前作よりもっと丁寧に完成させたい。
気持ちのおもむく時にゆっくり少しずつ・・・。
でも1ヶ月以内には完成させたいものだ。
(※私の場合、長引くことは禁物。私のマイブームはそう長く続かない)
はてさて完成させることができるか否か?
今はこんな状態。



新年会

2014年01月24日 | 日記



50代前半の頃同じ職場だった女性5人で新年会。
とてもとても懐かしく、とてもとても気持ちが和む居心地の良い会だった。
このメンバーが揃うと当時の職場の様子が蘇ってくる。
楽しかったことばかり思い出される。あの頃は充実していたなと思う。
今、ほとんどグータラ生活を送っている私にも、振り返ってみれば頑張っていたと思える日々があることが嬉しい。

家庭の主婦としてもあの頃の私は頑張っていたと今さらながら思う。
当時、義母の認知症が進み家に一人で置いておけない状態で、私は毎日、義母を義姉の家(車で10~15分の所)に預けて出勤していた。(介護施設のデイサービスを利用していたが受け入れ時間が、私の出勤時間より遅く、送ってくる時間も、私の勤務時間より早くかったため、義姉宅からデイサービスに送り出してもらっていた)
毎朝、起きるのを嫌がる義母を起こし、身支度させ、デイサービスに持って行く薬や下着・タオル(入浴用)を揃え、車で送って行って、それから急いでターンして8時からの勤務に間に合うよう出勤。
帰りも仕事が終わると義姉の家に迎えに行って我が家に連れて帰る日々。車の乗り降りも義母はなかなか素直に応じてくれず、朝、遅刻しそうになったり、暗くなって行くと意識の混濁がひどくなっていて、連れて帰るのがまた大変だった。連れて帰っても、この家が自分の家だということが分からず「もう降りまい(降りずにいよう)」と言って、手こずるようなことが多かった。それから軒下に干している洗濯物を取り入れ夕飯の支度。時間感覚を失った義母をベッドに寝かしつけるのもまた大変だった。寝巻に着かえさせ、トイレに連れて行って、やっとベッドに休ませたと思うと「まだ寝まい」と言ってすぐまた起きてきたり・・・。(当時、夫は、私よりもっと早く出勤。帰りも遅く家事をすることはほとんどなかった。夫が今のように家事をするようになったのは退職後の事)
1週間勤務し、土日は家で義母の介護。(夫は土日もほとんど出勤していた)

この頃、午前3時頃寝て9時ごろ起きたりなど自堕落な生活が多くて自分に嫌気がさすことが多々ある。
でも「あの頃の私は頑張っていた。やらねばいけない時はやってきたのだからいいじゃないか」と今夜は自己肯定感を幾分持てている。

昔の仲間と会い、遠い日々の頃を思い出して、長々書いてしまった。