あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

暖かな1日

2013年01月31日 | 日記





1月末と言うのに今日は暑いくらいの陽気だった。
中学時代の同級生とゴルフをしながら、着ていた服を1枚2枚と脱いで、最後はセーター1枚になったが、それでもまだ暑いほどだった。

ゴルフの成績はパー2、ボギー6、ダボ4、トリプル2。(これだけみれば結構良い)
しかし、「倍打ち(それ以上)」をしたホールが4つもあって出来不出来の差が大きかった。
なかなか思うようにはいかない。

でも久しぶりに同級生と二人で子どものような気分で無心にゴルフをしてとても楽しい1日だった。


※家に帰ると夫が野菜をせっせと洗ったりしていた。
 いつもこうしてご近所などあちこちに差しあげている。
 














私の人生の応援歌(詩)

2013年01月30日 | 日記





茨木のり子さんの「汲む(くむ)」という詩が好きだ。
この詩は私の人生の応援歌(詩)と自分で思っている。


私は普段、結構社交的な方かもしれない(?)
知らない人とも人見知りせず気軽に話をすることができる。

だけど、改まって話をすることがとても苦手。
心の中に小さい頃のトラウマを抱えている。(私にはトラウマが多い)

小学校1~2年の頃の事だったと思う。
大勢の人の前で私が一人で「お話」をしなければならないことがあった。
童話だったが、私には難しすぎる話だった。
しかし、当時、私は活発で代表として人前で話したりすることが得意な方だった。
喜んで代表となってみんなの前に立った。
ところがなんと私は舞台上で固まってしまったのだ。
いわゆる『頭の中が真っ白になる』状態。

その経験がずっと私のトラウマになっている。
改まって人前で話をすることに苦手意識が強い。

人前で思い通りに話せなかったりした時、私はいつも茨木のり子さんのこの「汲む」という詩を思い出す。
この詩は私の人生の応援歌(詩)と言える。




汲む   Y.Y.へ   茨木のり子


   大人になるというのは
   すれっからしになることだと
   思い込んでいた少女の頃
   立ち居振る舞いの美しい
   発音の正確な
   素敵な女のひとと会いました
   そのひとは私の背伸びを見すかしたように
   なにげない話に言いました

   初々しさが大切なの
   人に対しても世の中に対しても
   人を人とも思わなくなったとき
   堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
   隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

   私はどきんとし
   そして深く悟りました

   大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
   ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
   失語症 なめらかでないしぐさ
   子供の悪態にさえ傷ついてしまう
   頼りない生牡蠣のような感受性
   それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
   年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
   外にむかってひらかれるのこそ難しい
   あらゆる仕事
   すべてのいい仕事の核には
   震える弱いアンテナが隠されている きっと.....
   
   わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
   たちかえり
   今もときどきその意味を
   ひっそり汲むことがあるのです




心境の変化(?)

2013年01月29日 | 日記




ドライバーの飛距離が出ない。
力仕事をしないので腕の筋力が不足している所為かもしれない。
それで筋力をつけるために始めた事がある。
それは「竹ぼうき振り」。
竹ぼうきをゴルフのクラブに見立ててスイングする。
結構重い。最初10回がやっとだった。
しかし良くしたもので徐々に回数を増やせるようになった。
目下1日20回以上竹ぼうきを振り回すと決めている。

先日、夫が「お前、この頃よく竹ぼうきを持って歩いているけど、どこの掃除をしているのか?」と訊く。
「腕の筋力をつけるためにただ振り回してるだけ」というと
「なーんか。滅多に庭掃除をしないお前がこの頃よく箒を持ってウロウロしてるので、どうした心境の変化かと思って見てたんだ。それにしても、おかしいなー?その後、庭がどこも美しくなっちょらん。いったい、どこの掃除をしているのかと不思議におもっちょったんだ」と言う。

夫がそんな目で私を見ていたのかと可笑しくなって「私が真面目にそんなに庭掃除をするわけないでしょ!」と言うと「箒を振り回した後、少しは庭でも掃いとけ」と言う。
それで今日は『竹ぼうきスイング』の後、少し庭も掃いた。

これを続けていたら今にきっとグーンとゴルフの飛距離が伸びる!(・・・と信じたい)



※野上弥生子の「成城の家」を切り絵にしたいと思って作り始めたが失敗してしまった。
 なかなか難しい。いつの日かこれを作り上げたいものだ。

「花さき山」

2013年01月27日 | 日記





先日中学時代の同級生からメールがきた。
「南側斜面、下端拡張作業、下草刈り、不要立木伐採、鹿避けネット張りかえ、桜苗補植、鹿被害の桜植え替え、猪被害の桜根元の土入れ等の全ての作業が終了しました。あとは、3月30日(花見をする日)を待つばかりです。あちらの方に行くついでが有りましたら是非写真にして下さい。」と書かれていた。
毎週土曜日、同級生有志が集まって着々と作業を進めてくれていた。

母に会いに行く途中、その場所に夫と行ってみた。
そして驚いた。なんと徹底した作業ぶりなんだろう!
植樹した桜の苗木を鹿に食べられないよう張ったネットは広範囲に及ぶ。
何のためにそのネットを張っているのか理解してもらうために協力を呼びかける文も・・・。
「みなさんへ」そして「鹿さん」宛のものまでも・・・・。

同級生との花見が毎年3月最後の土曜日と少し時期的に早いので、それに間に合うよう「大島桜」と「陽光桜」という早咲きの桜も植えてくれていた。

夫も「お前たちの同級生はすごいなー。これだけのことをするのはどれだけ大変だったか。頭が下がる。損得を考える人間はこういうことはしないぞ。」と感心しきった様子。

ふる里の山を桜でいっぱいにしようと3年前から取り組んでもう400本以上の苗木を植えている。
私は年に1~2回参加するだけだけど、縁の下で汗水たらして頑張ってくれている人たちがいる。





























3年前この計画を初めて聞いたときに浮かんだのは「花さき山」という本の題名。娘が小さかった頃一緒に読んだ本。
記憶力が悪いので内容のほとんどを忘れていたが滝平二郎さんの挿絵と「やさしいことをするとひとつ花がさく。やさしさが合わされば花の山ができる」というようなことが私の頭に浮かんでステキな計画だと思った。

今、これを書きながら記憶が定かではないのでパソコンで検索してみた。

http://ehonkasan.exblog.jp/9668981

「絵本のおかあさん」というブログに辿り着いた。






「この花は、ふもとの 村の にんげんが、
やさしいことを ひとつすると ひとつ さく。
あや、おまえの あしもとに さいている 赤い花、
それは おまえが きのう さかせた 花だ。」

「自分の事より人の事を思って辛抱すると、その優しさと健気さが、
花となって咲き出す。
それがこの花さき山の花だと、やまんばは言いました。」

「そして優しさは、花だけでなく山もつくった、と。」

「やさしいことを すれば 花がさく。
いのちを かけて すれば 山が うまれる。
うそでは ない、ほんとうの ことだ・・・。」



ああ、まさに私の中学時代の同級生たちは今、やさしいこころで「花さき山」を作っていると言える。
きっときれいな花が咲くだろう。

みなさん、ご苦労様。春が楽しみです。

完成

2013年01月25日 | 日記






「小手川酒店」「小手川商店」付近の切り絵を今日完成させることができた。
ここは私には難しそうと思っていた場所なので完成させることができ嬉しい。
難しいと思う場所も「なせば成る」。
自己流・滅茶苦茶流で突き進めばなんとかなるものだと思ったりした。

臼杵市内の風景をこうやって少しずつ切り絵にできたら良いなと今日の私は思った。
気まぐれなので多分継続はできないと思うが・・・。

まあ、日々、気が向くことをして過ごすのが一番だ。