あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

伯母・・・

2014年01月15日 | 日記
昨夜、伯母(私の母の姉)から突然電話がかかってきた。
この伯母は呉服屋に嫁ぎ、その夫が気難しい人だったので、長い事、実家や姉妹との付き合いがほとんどできない状況にあった。なので私もこの伯母の子ども(いとこ達・4人いるようだ)の顔も知らず交わることなく成長した。

伯母の夫が亡くなってからやっと母も姉妹の付き合いができるようになりお互い労わりあっているようだった。

その伯母からの電話。しっかりした話しぶり。その話を要約すると・・・
「数えの94歳になる。心臓がかなり悪くてお医者さんに生きているのが不思議なくらいだと言われた。
 子ども達が皆不遇な状況にあり(詳しく聴いたがここでは省略)一人暮らしをしているが、2月に施設に入ることになった。いろいろ考えるととても不安だ」・・・こういう内容だった。

この電話の後、どうするべきか正直迷った。
何故か即座に浮かんだのは夏目漱石の『草枕』の一節『智に働けば角が立つ情に掉させば流される』。

4人の子どもがいてしかも孫2人は医者になっているとの事。
そういう状況の中、誰も面倒を見てくれる人無く90過ぎても一人暮らし。
施設に入る準備を弱った体で一人でしなくてはならないとの話。

育つ過程で交流が無く、恩義を感じるようなこともなかった伯母。
滅多に手を差し伸べれば、その後、藁をもつかむような感じで頼ってこられる可能性もある。

私には父の兄などもっともっと恩返しをしなくてはいけない人がいる。
それなのに、そういう恩義のある人に何の恩返しもせずに過ごしている。
そんな私にこの伯母を満足させるような対応ができるだろうか?
中途半端なことをして伯母を失望させる結果になりはしないだろうか?

伯母は私にどうこうして欲しいとは一言も言わなかった。
なので私は伯母の電話の相手をするだけに留まりこのまま係わらずにいこうか?

昨夜はいろいろ思ったりした。

しかし今朝目覚めたら、「電話であんな話を聞いて、何もせず、もし伯母さんがこのまま亡くなるようなことがあったら、私はずっと後悔するだろうな」という思いがわいてきた。

行ってみようかどうしようか。

迷いながらパソコンの前に座って夫が買い替えたいと言っている軽トラ4Wの中古車の検索。
趣味程度の畑仕事に使う車だから50~60万くらいで買える車は無いか?
調べていたら突然そのページに最初は無かった車が『NEW!』という印付きでアップされた。
夫の条件にかなり近い。
これからその車を見に行こうということになった。
カーナビで行くとなんと叔母の家にどんどん近づいていく。
伯母の家は今まで1~2回しか行ったことが無かったが大体あのあたり程度は覚えていた。
これは何かの導きなのかもしれない。
普段行くようなことの無い場所にネットで突然希望に近い車を発見し行ってみれば伯母の家のすぐ近く。(車で2~3分の所)
これでそのまま帰れるわけがない。

販売店に行ってみると店員さんが慌ててその車を掃除している最中だった。
社長がいないので詳しい事は分からないとのことなので保留。

急遽、少しの手土産を買って叔母の家を訪問。
色白で美しい伯母が90を越しているとは思えない矍鑠とした姿で現れた。

「伯母さんが入る予定の介護施設をパソコンで調べてみたら、感じのよさそうなところでしたよ。施設に入った方がバランスのとれた食事もできるし、周りに人がいるので何かあっても安心ですよ」など話をした。
伯母は「施設で虐待を受けることがないかなどとても不安だった。あなたが調べてくれてこういうことを言ってくれてとても安心した。」と涙をこぼした。

「伯母さんもご存じの私の祖母(父の母)は、老人ホームが身寄りのない人が入る所とまだ偏見の目で見られていた頃、率先して入居して『ちぎり絵』『絵手紙』『俳画』『短歌』『詩吟』などいろいろ趣味を楽しんだんですよ。伯母さんも施設で、いろいろ楽しい生活ができるかもしれませんよ」など話して帰ってきた。

思案するより行動するべき!行って良かった。

パソコンで偶然見つけた中古車にいざなわれて伯母の家に不思議と行きついた。
ただの偶然とは思えない。
これはもしかしたら私の母の思いがこういう形となって私を叔母の家に導いたのかもしれない(?)
姉思いの母は私が行ったことを喜んでくれると思う。