あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

餅つき

2013年12月30日 | 日記
つき機で餅つき。
来年の参考までに書いておく。※(いい加減流なので決して真似をしないでください)

①前日もち米約6升洗い水に浸しておく
②30分くらい前にザルに打ち上げ水切り。
③餅つき機で2升ずつ蒸す。(底に水650ml入れる)

 約45分でブザーが鳴って知らせてくれる。
 この間に餅を入れる箱に餅とり粉を入れたり餡子を丸めたり準備しておく。



※今年は粒あんと練り餡と2種類買ったが来年は練り餡だけでよい。
④「搗く」スイッチON(15分間で搗きあがる。この時はブザーが鳴らないので搗き始めに時間を見ておくこと)

⑤鏡餅を我が家分 大2 中2 実家分 中2
⑥餡餅やしえ餅(餡が入っていない餅)を作る。

⑦今年はよもぎ餅も作った。
 ○ヨモギを高松の畑の岸から採ってくる。
 ○よく洗って沸騰したお湯に塩を入れ(重曹が良いらしいが無かったので塩を入れた)1~2分茹でる。
 ○ヨモギを細かく刻む。

 ○すり鉢でする。

 ○「搗く」時に入れる。
 ○搗きあがり

 ○風味の良いよもぎ餅の出来上がり


※餅とり粉は1kgあれば足りる。餡子も練り餡1キロで良い。
 もち米2升を2回。1升を2回(この内の約1升弱がよもぎ餅)
 片づけが終了したのは2時半ごろ。
 それから年越し・正月用の買い物に行った。

※夫婦とも健康であればこその餅つき。来年もこうして餅つきができれば幸いだ



食事介助

2013年12月29日 | 日記



誤嚥の心配があるので母の食事介助を遠慮していた。

しかし今日は母の食事時を狙って病院へ行ってみた。
12時ごろ着いたら丁度看護士さんが食事介助をしようとしているところだった。
「私が食べさせても良いですか」と訊ねると「飲み込みが良いのでどうぞ」と言ってくれた。
ゆっくり一匙一匙口に運ぶ。今、私が母にできることはこういうことしかない。
45分くらいかかって完食。
これは母の生きる力につながるはず。こちらも嬉しい。

食べさせる前に私が来たことを告げたのに、食事が終わって「私は誰?」と訊ねると「知らない。誰な」と言う。
目を開ける気力がないみたいで目を開けようとしない。
2~3回訊ねてみたが私が誰だか分からないという。ショック!
そこへ弟がやって来た。
私が誰だかわからないことを弟に告げる。
「僕は誰かなあ」と弟が母に尋ねると「○○」とすぐに弟の名を言えた。
「じゃあ、私は誰?」と訊ねるとまた「誰かわからん」と言う。
「目をちゃんと開けて私を見て!」と言うと初めて目をはっきり開けて私の名前を言った。

体力の低下と共に意識レベルも低下しているようだ。
昼食を全部食べてくれたことだけが救いのように思える。

「あんな状態だったのにこんなに回復したね」と言える日が来て欲しい。

ブルーベリーの木

2013年12月28日 | 日記



午後、美容院でカラーとトリートメント。

その後、家の周りを少し散歩。

※「ブルーベリーの木が我が家にあったらいいな」とかねがね言っていたら夫が2~3日前に3本植えてくれていた。
 何年したら実が付くだろうか。早く大きくなって美味しい実を付けてほしい。楽しみだ。




おかしい!

2013年12月27日 | 日記



弟と病院に相談に行った。
医師の説明では今回の検査では新たな脳梗塞も見つからず、ナトリウムが幾分不足している程度の状況だった。病状が落ち着けば退院してもらうようなシステムになっているので退院させてほしいとのこと。

弱っている母を介護タクシーに乗せての病院と介護施設間(約30分間)の移送。
介護タクシーと言っても結構揺れる。寒い時期なので温度差も気になる。
病院から施設に帰る時は病状が幾分落ち着いているのでまだ良いが、介護施設から病院へ行く時は、病状が悪化した状態なので、30分間も車に揺られる負担は大きいと思う。

そういうことなど医師に伝えてもう少し病院へ置いて欲しいとお願いした。
しかし「決まりがそうなっているので、1月いっぱいくらいまでしか居られませんよ」という。
即退院とならなかったことに少し安堵。

その後、相談員さんと面接。
病院へ移送するときの母にかかる負担が心配なので、できればこの病院が経営している介護施設(病院の近くにある)に入れて欲しいと依頼した。
相談員さんの返事は
 ①この病院の介護施設は順番待ちの状態ですぐには入れない。
 ②入所してからもそう長くは居られないシステムになっている。
ということだった。

国の方針でこのようなことになっているようだが、なんと理不尽なことか!
食事をすることさえも誤嚥性肺炎を起こす危険性があると言われ、胃瘻の選択も覚悟して下さいと言われている身なのに・・・。

国の方策、間違っていやしませんか!!!
衰弱した老人があちこち転院転居せず落ち着いて医療や介護を受けられる。
こういうことが文明国日本で望めないのでしょうか?



義妹から電話

2013年12月26日 | 日記



昼ごろ、義妹から電話があって、「退院して下さい」と病院から連絡が来たとの事。

(前回病院)  11月1日~11月21日まで20日間入院。
(介護施設)  11月21日~12月20日(29日間)
 そして今回病院は今日で約1週間。

すっかり元気になったのなら喜んで退院させるのだが、母はほとんど目を閉じてばかりで反応があまりない。
いつ命の灯が消えてしまうのかと心配になるような状態。

義妹と相談して、もう少し病院に置いてもらえるよう頼もうということになった。

明日、2時、医師が会ってくれることになった。