ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・16

2013-02-06 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ

  
10時の投薬が終ったのに誰もフロアーを動こうとしない。何かあるのか?すると事務室の方からキャスター付きテレビ台の上に乗った大きなカラーテレビが注意深く運び込まれた。今日は日曜日だ。ミーティングもなく昼食までテレビ鑑賞となった。マダムもドクターも休みで当直の事務官だけだ。アシアナ内の空気はのんびりとしていた。3時の開錠後まだ太陽は暖かい、身体を洗った。下着を水洗いしていると飴色の虱が2匹いた。冷たい水に浸けられ動きが鈍い。薬局から貰った薬で傷ついていた肌は良くなっていた。ベッドも替わったがそれでも虱に刺されているのだろう、でも今では気にならなくなっていた。 
アシアナに時々床屋が来ていた、当然彼も収監者だ。刑務所内には理髪店などない。家族から商売道具を差入れてもらい開錠時間、各ワードを自由に回り商いをしていた。基本料金は髭剃り、整髪各5ルピーだ。支払いは刑務所内のみ使用できるクーポン券、集めたクーポン券は定価の70%で所内ヤミ両替者によって現金化される。現金所持は当然禁止されている、見つかると没収だ。稼いだ現金の所外持ち出しはポンプという方法で現金をビニールに包み裁判所への出頭日、尻の穴に入れ持ち出す。裁判所で家族と面会したとき渡すらしい、綺麗とはいえないが実のある行為だとは思う。収監者が多く娑婆より稼ぎが良いかもしれない、床屋は人気者だ。見栄っ張りで気位の高いインド人は裁判所への出頭前日、髭と髪を整えてもらう。服や靴は借物でもビシーと決めて行く。
 刃物のカミソリや鋏の所持、使用についてはセンター事務所の許可書が必要だ。刃金で作られた長いカミソリは危険で禁止されていたのかもしれない、確かな事は分らないが。髭や髪の事もあるがそれと同じように皆が困っていたのは長く伸びる爪であった。床屋は取り替え自由な替刃で仕事をしていた。切れなくなった替刃が内緒で収監者に渡った、爪を切るにはそれしかなかったからだ。
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ジャンキーの旅          アシアナ(医療監房)・・・・・15

2013-02-05 | 2章 デリー中央第4刑務所アシアナ
 
 夕方6時の施錠後、彼はいつものように左手の包帯を取り替えていた。ぼくは気になっていたが何となく聞けなかった。ある夜、彼が話をしてくれた。シーク教とヒンズー教の宗教的対立はぼくも知っていた。
シーク教徒はインド北西部に位置するパンジャブ州の分離独立を強く望んでいた。1984年、首相を警護する警察官の一人がインディラ・ガンジー首相を暗殺した。暗殺者はシーク教分離独立派のテロリストであった。
 パキスタンとの国境にアムリッツアという都市がありそこにシーク教の総本山ゴールデン・テンプルがある。ガンジー首相暗殺に対するヒンズー教徒の報復はインド全土に広がりシーク教徒数千人が殺害されたといわれている。インド警察はシーク教の心臓部である美しきゴールデン・テンプルに銃を向け発砲した。その銃痕は今でも残っていると彼は言った。
 ハルジュダム・シンはヒンズー教の警察官による取調べで激しい拷問を受けていた。左手の親指と人差し指の間を警棒のような物で打ち砕かれていた。アシアナに入所して約2ヶ月、傷は良くなっていたが2本の指は曲げることは出来ない。ハルジュダムはターバンを巻き直していた。いつもはライトブルーを着用することが多い。淡いエンジや鮮やかなオレンジそれに黒を使うこともある。それを使い分ける何か理由があるのだろうがぼくには分からない。






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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・8

2013-02-04 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward

期待していたが二ナはあれ以来こない、一応義理を果したということか、それとも危険で身を隠しているのか。ニナはジャンキーだ期待している方がどうかしている。フィリップスはナイジェリア人でプッシャーだがスタッフはやらない。ここで信頼できるのは彼しかいない。
年内、大使館の面会がないとクリスマス、正月はそんなに余裕はない、大使館も年末は多忙だろう。ヨーロッパ各国の収監者はクリスマスを前にして連日大使館員の面会を受けていた。面会から戻って来る者は一様に大きな袋を下げている、ここでは手に入らないお国の食べ物や冬用衣類とお金だろう。白人でも国によって事情が違う。先進国といわれる国の者は10ルピーもするビリを頻繁に吸っている。ポーランド人のダニエルは大使館員の面会や援助がない、野菜を買うお金もないから食器を洗ったりしてグループに残っているようだ。ぼくは幸いなことに自分のお金を持っている。ジャパニーはお金を持っている、という点について信用があり不自由はしていない。かなり借金をしているのだがそれでも黙っていても何か必要なものはないかと親切に言ってくれるアフリカンがいる。だがフィリップス、スリランカ人その他の親切な者も何れぼくに大金が入る事を知っているからだ。パールガンジ警察署に保管されている私物の返還請求を私選弁護士を通して裁判所へ提出する予定だが近く実現しそうになった。現金、小切手を合せて約3000ドルぐらいはあると思っている。そんな事でもなかったら誰もぼくを助けてくれないだろう。地獄の沙汰は金次第、刑務所の沙汰も同じく金次第と言う事か。
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ジャンキーの旅          No2 Ward・・・・・7

2013-02-01 | 3章 デリー中央第一刑務所No2Ward


朝8時頃、収監者がリヤカーを引いて野菜を売りに来た。小ぶりだが新鮮なトマト、紫オニオンを売っていた。たまにグリーン・チリとニブ(酸の強い小さいレモン)を持って来る、チリとニブは必需品だ。チリを布できれいに拭いて縦半分に切り塩を塗り込んでガラス瓶に入れる。それにギーというオイルとニブを絞り込んで漬けておく、2日もするともう待てない、食事のときは皆2~3本は食べる。辛酸っぱい味が食欲をそそる。値段は1kg・5ルピーで1人2kgまでなら買えるが売り切れご免だから遅く行くと買えない。天秤計りを持ったインド人から物を買うのは難しい、早い者から列に並ぶという事などありえないのだ。リヤカーを買い手が取り囲みワーワーギャーギャーと騒いでそのうち終る。スリランカ人に頼んでおけば確実に買ってくる。夕食時トマト、オニオンのサラダ風味は欠かせない。ぼくのグループは7名の大所帯だから2kgぐらいすぐ食べてしまう。
 クリスマスが近いというのに大使館の面会はない。アフリカンに借りた200ルピーも底をついてフィリップスにまた借金の申し入れをした。大した金額ではないのだがお金がないと何も出来ない。アシアナのように刑務所が支給する食事とティー以外何もないのならお金も必要ない。ここではビリ、スタッフ、野菜それに歯磨き、石鹸等の日用品を買うには刑務所内で使用できるクーポン券が必要だ。皆、外の生活と同じように贅沢をしている。ただ部屋代それに食事とティー代はインド政府持ちなので助かっている。ちよっとドラックでもやれば刑務所内でも200ドルぐらいは使ってしまうだろう。
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