神は我をお救いになった。下の写真は我が旅友からいただいた写真。もう長いことお付き合いさせて頂いている神奈川は大和市の佐藤利和さん。海の外も国内のチロット旅にも何回かご一緒させていただいた。諸般の事情があって今回は私は先発。彼は3日後に成田を飛び立ったのです。旅行社は違いますが旅の日数も観光場所もほぼ一緒。彼の帰国を待ってすぐ電話。全行程の写真がDVDに落とされて手元に届きました。これからの日記は彼の写真との合作。充実した写真が並べられるかも。
ペトラ遺跡への行進の始まりです。私達は誰もいないペトラへ行こうと、お弁当持参でゲート一番乗り午前6時30分のスタートでした。この写真へのコメントは佐藤さん(以後Sさん)の書き込み。まさに強行軍そのものでした。私達10名の小集団は、旅の3日目2月26日の訪問。写真のグループは確か20名とお聞きした。彼らは旅の後半もう9日目を迎えていたのです。
まず出会ったのがオベリスクの墓。エジプトのオベリスクに似ていることからそう呼ばれているようですが、下にある先輩の墓の上に建立されたという。
いよいよ長さ1.2kmのシーク(渓谷)へ入ります。 ペトラとはギリシャ語で崖を意味するという。その壮大な遺跡はいつできたのか。そこから紐解いていかなければなりません。ガイドブックにはこう書いてあります。「元来遊牧民であったナバタイ人が紀元前6世紀になってこの地に定住し始めた。彼らは、この地域を通るキャラバン隊に安全を保証することで財政を潤わせていた」と。 この地が最も栄えたのは、紀元前3世紀頃、香辛料や絹を中国・インドなどからギリシャ・ローマなどへの交易の道となり隊商都市としてにぎわったという。
シークにそびえ立つ砂岩の岩山には、こうした神があちこちに掘られているのでした。
通路の両側には水路があるんです。生活用水と飲み水用の水路にわかれて。そしてその水路にはちゃんと不要物を取り除く沈殿槽やフィルターまであるのには驚きでした。
シークの終点です。光線の関係で定かではありませんが、峡谷の向こうにペトラのハイライト エル・ハズネ(宝物殿)が見えます。ところでこの遺跡のことをネットで覗いてみたら、新世界七不思議のひとつだと書いてある。立候補した261カ所の中から選ばれたそうだ。誰が選んだのか、その経緯や背景は知りませんが、まあ良いでしょう。その七つを列挙してみると ①チチェン・イッツァのピラミツド(メキシコ) ➁イエス・キリスト像(ブラジル) ③万里の長城(中国) ④マチュ・ピチュ(ペルー) ⑤ペトラ ⑥コロッセオ(イタリア) ⑦タージ・ハマル(インド) だそうだ。メキシコや中国は見ていませんから知りませんが、ブラジルはリオネジャネイロのキリストさんだと思うんですが、あれがペトロと肩を並べる不思議とは、私にはとても思えないのです。