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世界の彼方此方へ行きたい

気ままな旅の様子を綴っていきます

気の向くままに、旅の様子を載せていきます。

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ヨルダン観光無念(2014中東no7)

2014-03-24 | 中東

 

  北海道の1.2倍の広さだというヨルダンでの初日は、首都アンマンの観光から。撮影したはずの写真がありません。持参したカメラは2台、一方のカメラにメモった貯蔵庫を紛失してしまったのです。ヨルダン観光6日間が全部アウト。もう一方のカメラにはあまり映像が入っていないのです。 とはいっても恒例となり毎年綴っている旅日記。写真がないからといって止めるわけにはいきません。まともな写真がなく旅の前半部分は味も香りもない無味な日記になってしまうかも知りませんが綴っていきましょう。

 

  旅の途中でメモリーカードの紛失が分かっていたら、仲間からいただけた写真もあったろうに、事態の判明が帰国後では万事休すだったのです。あるだけの写真と私の記憶とメモ、それに帰国後送られてきた添乗員さんの旅紀行のメモを頼りに、さらにはネットで得た情報も頂きながら綴っていきましょう。

  中東で一番古い町とお聞きしたアンマン観光は、高台にあるアンマン城から。1万年の歴史を誇るというこの町が360度グルッと望めます。赤い矢印の所がこのあと訪れたローマ劇場。

  前の写真をトリミングしたものです。7000人を収容できたというこの劇場、紀元前4世紀からの歴史があるといい、ギリシャ式の劇場。ギリシャ式とは山の斜面を利用していることやステージがないことだという。この劇場へも足を降ろしたんですがその規模は壮大のものでした。高所恐怖症の私はとても上までは登れないのでした。そんな私は、現地の子供達と写真撮影に興じたのです。男の子と肩組んでご機嫌な写真も消えちゃったのです。

  お城から眺めた国旗は、高さ150m、旗が40m×15mでギネスブックに記されているという。この旗より驚いたのがガイドさんのお話。この旗の右側に拡がる住居にはパレスチナ難民の皆さんが暮らしているという。異国の地に来て知らなかったことがいっぱいあるのです。1948年のパレスチナ戦争、そして1967年の第三次中東戦争などで難民がこの国にどんどん。人口200万人のこの町の50%はパレスチナ人、さらに最近は内戦が続くシリアからの難民が増え続け23%がその難民だという。ほんとかなあ~、と疑ってしまう。両方併せると73%になってしまうもの。包容力のあるヨルダン国、シリアからの難民は国籍は取れないというが、数年間は住居を提供され、教育も受けられるという。

 

 

  どこが城址なんだっけ。この写真はヘラクレス神殿遺跡。ここには各時代に建てられた遺跡が混在しているという。ですがあまり記憶に残像がありません。ここにメモることは何もないのです。

  皮肉なことに食事時には、大きなカメラは置いて必ずコンパクトカメラを持参するのです。 本日の昼食はサラダやアラブ風前菜、そしてバーベキューでした。

 

 

  アーモンドが満開でした。満開は良いのですが、捨てられたビニール袋がちらほら。もっとひどい、そんな写真も撮したんですが無くしたメモリーの中。包容力のある国は良いんですが、白や黒いビニール袋、それに紙などは捨てない努力が必要だな・・・と痛く感ずるのでした。 

  ペトラ遺跡に向けて砂漠を走ります。ヨルダンには砂漠がどのくらいあるの。とお聞きしたら約80%との答え。そんな砂漠や岩丘のある風景、時々トイレタイムを挟みながら3時間ほど走ったでしょうか。ペトラ遺跡の麓の町ワディ・ムーサを通り過ぎたところに今宵の宿があるのでした。