イギリス留学後、南アフリカでの弁護士生活を経て、1915年(大正4)帰国し、出生地であるこの地を生活の場とさだめ、独立運動の拠点とした場所にこの博物館はあります。そこにはガンディーの歴史が画や写真によって語られていました。
1937年(昭和12)から1948年(昭和23)にかけて、5回もノーベル平和賞の候補になったとのことですが、なぜか受賞の栄誉を得ることがなかったと。さてさてどんな理由があったのでしょうか。まさかご本人がお断りになったのではないでしょう。知りたいものです。
博物館の隣にある、ガンディーさんが暮らした家屋も訪ねました。お部屋の中は、家具調度品もわずかで殺風景なものでした。
お家の中は、靴を脱いでこんな袋を足につけての見学でした。インドの方々は何でもないでしょうが、私たちに裸足で歩けと言われても、ちょっとね。この薄い紙ソックスは、寺院の観光時にも着用した、デカン・オデッセイ号の心配りでした。
ガンディー宅前には、サーバルマティ川。この川の畔から「塩の行進」はスタートしたと言います。
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