超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

水掛け論は自己言及である

2007-11-22 11:07:12 | Weblog
水掛け論に持ち込めば、悪が勝つ。

水掛け論は、言い訳を言い掛かりにしたものであり、
被害妄想を誇大妄想にしたものだからである。

精神狂乱に打つ手はない。

これを金を取って、やるのがお上である。

*。
日本は言い訳と言い掛かりからなり、
被害妄想と誇大妄想が交換できる町、
嘘と金が信用貸しで両替できる町、
お上が下々を自己言及論は、
水掛け論に取り込むために、
完全に不完全な法システムを用い、
お上の誤りを、下々の涙に排泄する下水装置。

*。
強制を示す文書はなかった。

文句があるなら、そういう文書を示せ。

ないことは証明できないから、あることを証明せよ。
ないという言葉がある、
こういう言葉がないことを証明せよ。

ないという言葉を除いて、
現実に命令がない時、
ないという言葉がないのか、
命令がないのか。

*。
南京問題はなかった。
あることを証明せよ。

月は見なけれがない、
見ないものにあることを証明せよ。

神の視点に立てば、
ないことをあると言うことは、
神の断罪であり、
神へのリンチである。

神の視点に立てば、
あることをないということは、
神への断罪であり、
神へのリンチである。

これが自己言及の水掛け論と言う。
強い方が勝つ。

まともの方でなく、強い方がかつ仕組みだ。

*。
南京問題や慰安婦問題を、
あるなしの問題にすることは、
神の視点に立つことである。

多くの人があると言っていることを、
ないということは神の視点に立つことである。

この国では、犯罪者でないものを、犯罪者にする。
或いは出来る。

犯罪していないことを証明しろと言うのだ。
これが神の視点に立って、
人を断罪リンチして、
虚偽犯人を作る方法だ。

*。
Gёdelの不完全性定理。
第一定理。
あるなしの問題にする。
即ち決定不能問題にする。

ここに絶対真理が存在する。
それはあるなしの問題にして、
あることを隠蔽しているのだ。

第二定理。
あるものを認めると都合が悪い場合、
否認することは無矛盾だ。

だがその無矛盾は証明できない。
矛盾しているからだ。

この場合無矛盾であることは、
矛盾のアリバイであり自白である。

*。
木が一杯ある。
それが森であることを証明せよ。

それを森と言っているのだ。

これは証明問題でなく、定義の問題だ。

定義を証明問題に摩り替える。
まともでないことのアリバイであり自白だ。

*。
木は現実、森はメタ現実。

これは証明問題にならない。
そのような不自然の要求は、
精神の不自然さである。

イラク戦争をテロ撲滅と言うようなことだ。


1 コメント

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はじめまして ()
2007-11-22 11:11:11
自分の哲学を持ってらっしゃるんですね(´ー`) さぞ賢い方なんでしょうな。

http://blog.goo.ne.jp/adsladsl_001私のブログは結構馬鹿なものなんですが、お暇でしたらいらっしゃってください

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