日本論法は、「そこまで言わない」ことである。
西欧言論は、「そこまで言う」ことである。
はっきり言わない方が、問題を起こさない。
西欧言論は、はっきり言って、問題を明確にする。
*
はっきり言わないことは、
問題が分っていないことでもあり、これを人間関係という。
問題を人の問題に摩り替える。
*
だから日本人には、主張がない。
主張すると、そこまで言うかと問題になる。
これでいじめ殺される。
*
人の繋がりで何かをやる。
問題を共有化する。
結局、問題がない。
これが血の繋がりだ。
こうならないと、いじめ殺される。
*
結局、マネーの問題にしかならない。
*
西欧には主張があって、戦い合わせる。
だが主張には、言葉の対称性が現れる。
即ち、真偽不明が現れる。
*
これは民主主義だ。
多い方が勝つ。
即ち、喧嘩の強い方が勝つ。
これがヘゲモニーだ。
結局、強さの問題だ。
*
真偽不明は、問題にならない。
これがゲーデルの不完全性定理だ。
即ち、日本論法も西欧言論も、成り立たない!
*
思考とは、Godelizationである。
判決や国家の決定は、真偽不明だ。
結局、これは喧嘩の強さの問題であった。
正義とは、喧嘩の強さであった。
*
こんな兄弟喧嘩の子供時代は、ゲーデルの不完全性定理で終わった。
これがカニバリズムだ。
真偽不明は、喧嘩の強さであった。
西欧言論は、「そこまで言う」ことである。
はっきり言わない方が、問題を起こさない。
西欧言論は、はっきり言って、問題を明確にする。
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はっきり言わないことは、
問題が分っていないことでもあり、これを人間関係という。
問題を人の問題に摩り替える。
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だから日本人には、主張がない。
主張すると、そこまで言うかと問題になる。
これでいじめ殺される。
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人の繋がりで何かをやる。
問題を共有化する。
結局、問題がない。
これが血の繋がりだ。
こうならないと、いじめ殺される。
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結局、マネーの問題にしかならない。
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西欧には主張があって、戦い合わせる。
だが主張には、言葉の対称性が現れる。
即ち、真偽不明が現れる。
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これは民主主義だ。
多い方が勝つ。
即ち、喧嘩の強い方が勝つ。
これがヘゲモニーだ。
結局、強さの問題だ。
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真偽不明は、問題にならない。
これがゲーデルの不完全性定理だ。
即ち、日本論法も西欧言論も、成り立たない!
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思考とは、Godelizationである。
判決や国家の決定は、真偽不明だ。
結局、これは喧嘩の強さの問題であった。
正義とは、喧嘩の強さであった。
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こんな兄弟喧嘩の子供時代は、ゲーデルの不完全性定理で終わった。
これがカニバリズムだ。
真偽不明は、喧嘩の強さであった。