
全国で活躍を始めたDD51は性能が安定し、両数が有る程度増えた1965年から蒸気機関車に代わって、寝台特急のけん引を行うようになりました。
DD51が初めてけん引したブルートレインはさくらとはやぶさ、あかつき、ゆうづる、はくつるで、1965年10月から蒸気機関車に代わってけん引を始めています。
はやぶさとあかつきは鹿児島本線の熊本以南をけん引し、さくらは長崎本線内と佐世保線内をけん引しています。なおあかつきについては、鳥栖で分割して、西鹿児島・長崎行きになりますが、長崎行きはDD51不足からC60がけん引を担当していました。あかつきの長崎本線内は翌年にはDD51になったようですが、DD51の不調からかしばらくの間はC60が代走しています。ただし、ブレーキ関係から1968年10月改正以降はDD51のけん引と思われます。1968年10月改正で、従来博多折り返しだったはやぶさの付属編成が、長崎に延長され長崎本線内はDD51がけん引しています。またあかつきの長崎佐世保行きが増発され、佐世保線内もDD51がけん引しています。1975年3月にはやぶさの付属編成は、熊本折り返しになり、長崎には代わってみずほの付属編成が乗り入れます。
DD51のはやぶさとあかつきの鹿児島本線でのけん引は1970年10月の電化完成によって終了し、さくら、あかつきの長崎本線佐世保線でのけん引は1976年7月の電化完成によって終了しますが、あかつきはこの後複雑な動きをたどります。みずほについては運用の都合かED76不足か、1984年まで下りのみ鳥栖長崎間の架線下の長崎本線をDD51がけん引しています。
1975年3月改正で、鹿児島熊本行きのあかつきを改称して登場した明星(583系電車としては1968年10月から運転)のうち、熊本行きの明星3・6号が筑豊本線経由にて設定され、これをDD51がけん引しています。この筑豊本線経由のブルートレインは、1978年10月改正で佐世保行きに変更され、あかつきと改称されます。この筑豊本線経由のあかつき2・3号は門司で長崎行きと分割され、門司折尾間と原田肥前山口間は長崎行きと佐世保行きのあかつき2・3号が2度走ることになりました。あかつきの筑豊本線経由は1985年3月まで続いています。
話は少し戻って1965年10月、ゆうづるとはくつるのけん引にDD51が登板しています。当時非電化だった東北本線の盛岡青森間で、十三本木峠を越えるため、DD51としては初の重連の運用となりました。なおはくつるはこの年の夏頃から、暫定的に盛岡青森間でC60に代わって、DD51が補機に付きC61と重連で十三本木峠を越えています。一方1965年10月の改正で登場したゆうづるは、電気機関車不足のため仙台にてC62と交代し仙台青森間をDD51がけん引しています。なお盛岡青森間ははくつると同じくDD51の重連でけん引しています。ゆうづるの仙台盛岡間のけん引は翌年の1966年7月からED75に変更されています。
1968年10月の改正で東北本線全線電化が完成し、はくつるは583系電車へ変更になり、ゆうづるは水戸・平~青森間をED75が通しでけん引することになり、DD51のけん引は終了しました。
1968年10月の改正で大阪青森間に日本海が設定され、糸魚川青森間をDD51がけん引しています。1971年10月に奥羽本線秋田青森間が電化され、この区間の日本海のけん引はED75-700に代わっています。日本海のけん引は羽越本線の全線電化が完成する1972年10月まで続いています。
1970年10月改正で、上野青森間に奥羽本線経由であけぼのが設定され、こちらも山形青森間をDD51がけん引しています。1971年10月の奥羽本線秋田青森間の電化時に、日本海と同じくあけぼのも同区間のけん引はED75-700に代わっています。あけぼののけん引は奥羽本線全線電化が完成する1980年10月まで続きました。
続く
撮影 稲沢 2002年8月3日
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