白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

日本の伝統芸術と芸能-032

2012-12-07 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と芸能

 

         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

                                                        その032

 

 

 12月に入って残りもいよいよ少なくなってきました。先回まではM 清子さんのコレクションの市松人形を掲載してきました。数々の市松人形の名品をご覧頂けましたでしょうか。全国各地に所在する仏像の中で、中央の寺院ではなく地方に所在する名品をご紹介したいと思います。併せて、青い目の人形と答礼人形を先回に続けてこれからもご紹介していきます。

 

仏像の名品巡礼

                  

                         近畿地方-001

   吉祥天-001

               法隆寺 吉祥天

        ↑吉祥天                ↑毘沙門天 

 奈良市から郊外に出て、薬師寺を辺りを通過してしばらく南下すると、右手に法隆寺が見えてきます。法隆寺は奈良を代表する名刹で、修学旅行を初めとして老若男女が訪れる寺として特に有名です。

一番上の写真は釈迦三尊像ですが、一般の方々は教科書にも掲載されている図版には、必ずといって良いほどありますので、記憶が非常に強いと思われます。 

                    吉祥天

  

筆者もご他聞に漏れず、釈迦三尊の左手に安置されている吉祥天は暫くの間その存在を知りませんでした。実際に何度か法隆寺を訪れて、釈迦三尊の前に立ったにもかかわらずです。浄瑠璃寺の有名な吉祥天の関係で調べておりましたとき、初めて図版でお目にかかり、余りの美しさに驚きました。

  

          吉祥天

 

  吉祥天は日本では作例は余り多くありません。薬師寺の仏画の吉祥天像は切手にされておりますので、馴染み深いと思います。佛顔を見られて皆さん如何でしょうか。古美術の観点から観て素晴らしい名品です。吉祥天の夫なる毘沙門天がシントメリーの位置に居られます。

                  吉祥天(薬師寺)

 

 吉祥天(きっしょうてん)、(きちじょうてん)とも呼ばれ、吉祥功徳天、功徳天とも呼ばれます。古代インドのヴィシュヌの妃とされています。福徳を司る女神として「金光明最勝王経」の中の大吉祥天品にその功徳が説かれています。

「金光明最勝会」、「吉祥天悔過会」の本尊として祀られます。日本では奈良時代の後半から鎮護国家、五穀豊穣を祈願して、この修法が盛んになったようです。吉祥天信仰は初めから国家的色彩が濃厚で、民間には流布しなかったようです。中世以降は女天としては弁財天にその地位を譲りました様です。

     吉祥天(東大寺 法華堂)   吉祥天(法隆寺 食事堂)

              

元々極彩色の仏像でしたが、最近までは経年変化のため、古色が付いて大変宜しかったんですが、彩色を彫刻当時の状態に戻しましたので、見た目大分変わりました。

             新しい彩色の吉祥天

  

個人的には今までの状態のお姿が大変好きだったんですが、仏像の場合能面と違って古色を付けませんので、止むを得ませんね。では、次回は京都の木津川の辺の浄瑠璃寺の吉祥天を訪れましょう。

 

それでは<青い眼の人形>に移りましょう。  

 

青い眼の人形」-000

 

 

 

 本日から新しくアメリカから日本の子供たちに1927年に送られた「青い眼の人形」について、「答礼人形」と同じようにシリーズを組んで、掲載したいと思います。答礼人形は58体ですが、青い眼の人形は323体(2010年)存在しています。どれ位が紹介可能かは判然としませんが、気長にやってみましょう。

当初アメリカから人形が送られた時、人形に添えられたギューリックの手紙では「友情の人形」と呼称されており[贈り主側が「青い目の人形」と名付けたわけではありません。

当時日本で、野口雨情が「青い眼の人形」の詩を発表したのは1921年(大正10年)のことで(『金の舟』1921年12月号)、人形交換よりも数年さかのぼる。これに本居長世が作曲したのが、童謡「青い眼の人形」で、1923年ににはアメリカでも演奏され、好評を博していました。

「青い目の人形」との呼称は、これに因んで付けられ、またアメリカから贈られてきた人形は野口の詩にあるセルロイド製ではなく、多くがビスクドール(素焼き)の人形でした。

                             Kathy

 

 1927年、米国から日本郵船の天洋丸で日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が贈られました。 その後不幸なことに日米開戦となり(1945年12月)となってしまいました。戦争中には人形も大混乱の濁中に入ってしまい、戦後は大半がなくなってしまいました。現在は330体前後のようです。

アメリカ国内では現在日本から贈られた58体の内、44体+α程度が博物館や美術館、個人所蔵の形で現存します。国内で戦争による混乱が少なかったことと、国策による破壊がなかったこと、文化の違いが有るかと思います。

人形は草の根運動で日米の民間外交であったにもかかわらず、当時の政治状況の違い、国民性がかなり影響していたのでしょう。いずれにしても人形には罪は有りませんですね。

             青い眼の人形 と Miss 福島       

 次回からは残っている各地の青い眼の人形のご紹介とエピソードを書いて見たいと思います。

それでは<答礼人形>に移りましょう。

 

           

 

    Miss 徳島- 続編002  Renkaさんからの提供)

      

   

 

綺麗にお化粧をしてもらって、可愛さがましました。日本の一流の人形師の手に掛るとご覧お通りになります。

 

 

 前にも書きましたとおり、現在のMiss 徳島はMiss 岐阜であることが判明しております。そのような訳で元Miss 徳はまだ見つかっておりません。東光工房・松乾斎東光)という人形師のところで修理中に修復に当たって全身を解体した所ボディの中から「光龍斉」の判が押された紙(おそらく、胴紙にし損じたもの?)が発見され光龍斉作であることが判明しました。Renkaさんのブログから(2010.11)

* renkoサンのブログに予めコメントしようとしましたが、上手くいかなかった?

同じ瀧澤光龍斎作のMiss 三重 は2009 12ころネブラスカ州から修理の為に里帰りしておりましたそうですMiss 徳島とそっくりですね。  

 

               Miss 三重

    

 次回は Miss 三重 をお送りします。

 

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