2月に入ってから暖かい日が続いています。山の中でイノシシを撃つ猟銃の音が木霊している。
緋寒桜も咲き始め蝋梅も花開いています。もう春の足音が強く響て来ています。
先回に続き
対馬の仏像盗難事件 その2
筆者は文化財や仏像関係の専門家ではないが、長年足を使って数多くの仏像を神社仏閣や博物館等で観て来ている。
そのような経験を基にして、今回もこの仏像を論じてみたいと思う。
先般韓国の地方裁判所で、対馬から盗まれた観音寺の所蔵する仏像に対する判決が言い渡された。
「韓国の忠清南道瑞山寺・曹洞宗・浮石寺(プソクサ)に対して、問題の仏像を引き渡す」という判決。
しかし、韓国検察庁はこれを不服として控訴をして、同じ裁判所で控訴事実が認められた。
結果的には浮石寺への即時引き渡しは停止された。
この判決を読んで、不思議に感じる点がすぐ分かる。
1-この仏像の体内に納められていた文書の存在は認めたが、内容を判決の中で公開していない。
2-この仏像を高麗佛と認定した。
判決文の内容を実際に見ていないので、軽率なことは書けないが、
少なくとも韓国の文化財研究所等の科学的な鑑定を基に、司法判断したものかは疑義がある。
また、浮石寺の倭寇による盗難流出によるという証拠も確認していない。
寺の言い分を一方的に認めただけである。これでは初めに結論ありと言わざるを得ない。
初めから政治的な意図をもって、主文を決め、それに見合った判決文を書いたに過ぎないと言わざるを得ないのである。
韓国の検察庁がどのような意図を持って、控訴を決めたかは色々考えられる。
ハッキリ分かっていることは、
韓国裁判所の判決で、この仏像等の窃盗犯8人のうち、7人が懲役1~4年の実刑判決。一人は無罪であったことだ。
2012年に盗まれた対馬の文化財は、「銅造如来立像」(統一新羅時代)、「銅造観世音菩薩坐像」(高麗時代)、
「大蔵経」であった。未だに「大蔵経」の行方は不明となっている。経典は小さく分割できる紙製のものだから、
幾つかに分けられて蒐集者に手渡った可能性が高い。何れにしても韓国司法当局は盗難品と認定したのである。
しかし今回の裁判の案件となった「銅造観世音菩薩坐像」の日本への返還を認めなかった。
文化財不法輸出入等禁止条約(1972年発効)
国際的な文化財の取り決めには、上記のような条約が有る。文化財の不法な搬出を禁ずる国際的な取り決めだが、
発効以前(1972年)に起こった問題には適用されず、盗難品に限られている。
本来なれば盗難品であることが明白であり、1972年以降の事件であり、犯人の処罰もされている事から、
即日、日本に当該仏像は返還されてしかるべきである。しかし、そうはならなかった。
世界中にはこのような文化財の返還問題はたくさん存在する。
英国の大英博物館やドイツの博物館には、超国宝級の他国の文化財が存在するのは事実である。
ロゼッタ・ストーンやエルギン・マーブル、ネフェルティティ胸像など・・
しかし、所有している側は正当な手段で入手した主張して、難航する場合が多い。
ロゼッタ・ストーン、エルギン・マーブル、ネフェルティティ胸像
ナチスがフランスなどから略奪した文化財
最近でも ナチスがフランスやオランダなどのヨーロッパ諸国から略奪した文化財が、
政府間の取り決めによって返還された案件も数多い。
今回の問題は仏像や経典など、アジア独特の歴史的な経緯が関係し、日韓の政治的な問題が絡んでいるので、
単に法律的にすんなり解決するレベルの問題ではなくなっている。
慰安婦像設置問題・強制労働者像問題
文化財の返還問題だけに限るのであれば、本来関係ない筈ではあるが、最近の日韓には多くの歴史的因縁の有る政治問題や、
一見関係ない筈の「南京大虐殺」の問題までが政治問題化し、それが微妙に影を落としている。
APA HOTEL の歴史書の問題
この項では政治問題は取り扱わないので、これ以上論術しないが、唯でさえややこしい問題を一層解決困難に仕立て上げている。
次回はさらに踏み込んで、今回の高麗佛と言われる仏像の由来の、歴史的な真相について迫ってみたい。