白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

日本の伝統芸術と伝統芸能-045

2013-03-28 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と伝統芸能 

         

 

                     仏像と仏像彫刻 

          青い目の人形答礼人形 

                                            -045

 

 

敦煌月牙泉

 

 敦煌市外のすぐ傍の砂丘の中のオアシスに造られた箱庭のような造形物。離宮のような感じです。取り巻いている砂丘は鳴沙山。東西約40km、南北20kmの広大な砂丘です。でも、現在は砂丘の向こう側には大きな都市(人口13万人・漢民族)が広がっており、その周囲一帯は広漠たる砂と岩と山岳の世界です。海抜1700m、年間降水量39mmという大変な乾燥地帯です。これだけ見たら砂漠の中のお伽の国のような感じですね。

                      

 先回は敦煌莫高窟の壁画をご紹介しました。中東、タクラマカン砂漠、中国本土、朝鮮半島、日本という広大な地域を含む大きな文化圏が、古代にあったことを思い出させてくれます。その広大な地域を、駱駝や徒歩で西から東へと文化は伝播して行ったのでした。

法隆寺や東大寺、興福寺、唐招提寺、薬師寺などの古代日本の誇る文化財および建築物の殆どが、その源泉をはるか西域に求めるものである事に、改めて驚かされます。正倉院の御物の中には遠くペルシャやギリシャという気の遠くなるような遠方からもたらされた事にたいして、驚きを改めて感じ得ません。

           敦煌・莫高窟第112窟壁画反弾琵琶

         

               唐(618~907年)

  胡旋舞を踊る舞人  

    

 

阿弥陀如来の前の舞楽の一隊と胡旋舞を踊る舞人を描いています。上は全体図、下は一部の拡大図です。

* 胡旋舞・・中東地域・西域方面に古代から伝習された踊りの技法の一つで、同心円状に旋回しながら舞い踊る手法。 生理的には眼が回るような状態になり、次第にトランス状態になって行き、人によっては霊界との交信が出来るようになって行くようです。日本の「巫女」のような存在かもしれません。

 この壁画の絵を見ておりますと、各所に日本画、仏画の原型を発見できます。

A- 線描画・・・細い筆を使って、上手に美しく描いております。日本画では細い面相筆で細く長く描く。

B- 女性の顔立ち(下膨れ・ぽっちゃり顔)・・・奈良・平安の女性の美人の基準です。

C- 足の指、手先・・・仏像の手足と同じ手法・・この壁画自体が仏画でもあるからですが。

D- その他・・・・楽器のハープの原型が見えます。蓮の花びらが各所に描かれております。肌の白は「白土」かもしれません。日本の場合は奈良時代は白土、そして胡粉に変わって行きました。材料の質は白土が上質です。胡粉は貝殻の粉から作りますので、日本方面(極東の海の傍)の独特の手法でしょう。それにしても1000年以上前の白が鮮やかに残っております。

いずれにしても、構図も素晴らしく、描画技法も現代と遜色ありません。当時最高レベルの画家が描いたのでしょう。それも真っ暗闇の洞窟の中です。明かりは蝋燭位しかない時代です。奇跡です。

次回は今回同様、壁画について書いてみたいと思います。

 

 では、次は答礼人形に移りましょう。

 

                          

 

                      Miss 新潟 Miss 横浜

 

さて、今回はコロラド州デンバーに移りましょう。先回の最後にご紹介しましたMiss 新潟 です。ちょっと人形の顔立ちがいつもと違っている事に気が付きましたでしょうか。京都・大木人形店で製作した市松人形です。

所蔵都市   コロラド州デンバー デンバー・ミニチュア・人形おもちゃ博物館

            人形の紋                       道具の紋

                                         

 

現在、Miss 新潟として博物館に所蔵されている答礼人形は本来のMiss 新潟ではありません。この人形はMiss 横浜市 です。上の人形の紋は横浜市市章ですし、道具の紋も横浜市のものです。元、Miss 新潟も現在行方不明となっております。

この人形は3度も里帰りを果たし、当初かなり痛んでいたそうですが、現在は見事に蘇り上記のような状態で、アクリルの立派な人形ケースに収まっているそうです。

* Miss 新潟 はどのような人形だったんでしょうか。HPをいろいろ検索しておりましたら、「にいがた文明開化ハイカラ館」というブログを発見しました。以下はその記事からご紹介します

現在、Miss 新潟雪子は行方不明ですが、当時の記録がありました。人形は京都・大木商店製のようです。カラー写真ではないので人形の表情が良く分かりませんが、ちょっと見には関東の人形のように見えますが・・・

平成9年に新潟の二葉幼稚園に残されていた資料から、正確なMiss 新潟雪子の姿が分かりました。今どこに所在するのでしょうか。個人が知らずに持っているとは思いますが、写真資料が現存しておりますので、見つけられたら確認は正確に出来ます。

            Miss 新潟新潟雪子

         

           道具一揃え

           

記録(当時の日刊紙)によれば、サンフランシスコ → ワシントン → ニューヨーク → 全国ツアー → この後行方不明 という事が分かりました。

 

       日本に送られた<青い目の人形

      

結果的には、「Miss 横浜」はコロラド州デンバーの所在し、「Miss 新潟」は 行方不明でした。

ほんのちょっとの手違いか何かで、危うく何を逃れた人形、不幸にも行方不明、あるいは現在するのに所蔵者の無理解で修復が受けられぬもの・・・人間と同じような経過をたどっております。出来るだけ関係者が健在なうちにすべての答礼人形を確認し、修復してもらいたいと思います。

でも、逆に日本に送られた12739体の青い目の人形の内、323体しか現存が確認されておりません。製造単価が600倍も違うので、経済の原則から行っても答礼人形が残りやすいのは当りまえですが、当時の政府の考え方の違いが大きな差が出てきた要因となりました。 人形には罪は有りません。

 

 

文化財に対する教育の欠如は、大きな不幸を生んでしまいます。敦煌の莫高窟の壁画が剥ぎ取られ、英国博物館を始めとして、各国の先進国に持ち去られ、移動できないものが現在残っているのが現在の姿です。美術史は我々も学ばなければならない学問です。 西洋美術史・東洋美術史・日本美術史・絵画史・彫刻史・民俗学etc

では、次回をお楽しみに!

 

 

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日本の伝統芸術と伝統芸能-044

2013-03-23 | 日本の伝統芸術

 

 

日本の伝統芸術と伝統芸能 

         

 

                     仏像と仏像彫刻 

          青い目の人形答礼人形 

                                            -044

 

 最近は毎日のように桜便りがTV,インターネットなどの情報で彼方此方から聞こえて来ます。 北海道などはまだ吹雪の日が有るようですが、5~6月になると北の地も花見で賑わう事になるでしょう。

中国・敦煌などの気候は今どんなでしょうね。寒風が吹きづさむ厳寒の頃でしょうか。下の写真は敦煌郊外の現在の様子ですが、莫高窟はこの辺りから5kmの位置にあるとのこと。今はハイウエーが走っておりますが、昔は流砂の原を駱駝に乗った隊商の群れが、ゆっくり歩んでいた事でしょう。

 

 

敦煌・莫高窟

 

 

観音菩薩像(57窟)

 

 

 敦煌・莫高窟の57窟の壁画の中でもっとも美しいとされている菩薩像です。「樹下説法図の右脇侍観音菩薩」です。 下の写真の法隆寺・壁画と比較してみてください。仏頭の上の天冠、化仏、胸飾りの瓔珞、手首に腕釧(わんせん)、二の腕に<ひ釧>が描かれております。

 

                            法隆寺 壁画

                                 

 

                                     法隆寺・壁画 

                    

 

敦煌・莫高窟の57窟壁画の観音の描き方は素晴らしいですね。目元、目尻の描き方は能面の女面の<曇らす>という表現の仕方と同じです。法隆寺の方は形式化された仏顔として描かれておりますが、莫高窟の観音はより写実的に描かれ、色使いも複雑で、完成当初の美しさが偲ばれます。 

日本人が西域に赴くのは現代になってからですから、数百年の時間の経過の中で、洛陽や長安という名の時代に、日本から渡った遣唐使などに乗船した僧侶などが、持ち帰った文化的知識の成果が法隆寺に今なお残っているのでしょう。下の写真も法隆寺・金堂の壁画の複製写真です。なかなか良く描けており美しいですね。日本人の感覚が織り込まれていることでしょう。その後の伝統ある日本画の原点でしょう。

                                 法隆寺・金堂壁画・複製

                             

 

今回は観音菩薩の壁画を題材にしてみました。

では、次は答礼人形に移りましょう。(青い目の人形は現在資料整理中です。しばらくお休みします  

 

 

 

毎回、答礼人形の身元探しのような状態が続いております。よくもまあこんなに複雑に間違う事か、首を捻らんばかりです。現在と違って写真撮影が手軽に出来なかった時代でもありますし、時間的に余裕がなかった当事の事情もありで、このような結果になったと推定します。

さて、今回の答礼人形はMiss 島根(撫子ちゃん)です。でも、この子も実は取り違っていました。正確なところは調査の結果、Miss 和歌山 でした。

 

                     Miss 島根 (元・Miss 和歌山)

 

 

所蔵都市 インディアナ州インディアナポリス
所蔵館 インディアナポリス子供博物館

アメリカ中西部にあるインディアナ州の博物館にMiss 島根 はここ10年程常設展示されております。この博物館は世界最大の子供博物館だそうで、お道具も殆ど揃い、パスポートや切符も共に大きなケースに入れられて展示されております。答礼人形の中では一番長く展示されていた人形だそうです。

Miss 和歌山は「菊・牡丹・桜など日本独特の花模様を・・・」と「紀州六つ葵の紋」を付けていることから、(下の紋にも合致する)現在のMiss 島根であるとされました。

 

人形の紋
 
紀州六つ葵
道具の紋
 
撫子

 

                  Miss 和歌山(元・Miss 奈良

 

では、元・Miss 島根 はどこにあるのでしょyか? 断定できないのですが、Miss 島根に良く似ている人形が見つかりました。コロラド州の個人が偶然所蔵していた日本人形がそれでした。

 

                           個人所蔵の日本人形

 

コロラド州デンバーにある個人の方が所有している日本人形の身体に、「岩村 松幹斎」という名前を発見しました。結果的には答礼人形でしたが、詳細は不明のままで、個人の所有物ですから修復も出来ず、かわいそうな姿のままで所蔵されております。所有者の認識不足は多分にありますが、どうにもならないという事でしょうか、かわいそうな気持ちがします。

せめて、日本で完全に修復できたら、細かい事も分かってくるでしょうが、法律の壁は意外と厚いのでした。

本来のMiss 島根の着物の色は撫子色を表すピンク、花鳥の模様でした。まさにこの人形がそれに合致します。

 

 

顔の部分の胡粉が剥落して、痛々しい感じがしますね。顔立ちもとても悲しそうに見えます。人形も人間と同じで、幸不幸が有るのですね。

ある方がこの人形の所有者をたずね、Miss 新潟の名前でデンバーにある答礼人形の写真を見せた事が、この不明人形の発見につながりました。 知らずにこの方が今まで所有していたのでした。偶然の賜物でした。

                      Miss 新潟(デンバー)

                              

 

でも、このMiss 新潟も実は取り違えがあり、本当はMiss 横浜市でした。これについては次回にしましょう。

 

   

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日本の伝統芸術と伝統芸能-043

2013-03-16 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と伝統芸能

 

          

                     仏像と仏像彫刻 

          青い目の人形答礼人形 

                                            -043

        莫高窟-002

       

敦煌 莫高窟 遠景

 日増しに暖かくなってきました。桜前線も九州・福岡から次第に北上している模様です。月末までには全国至る所で桜の開花が見られるでしょう。西南諸島はこれから春の大潮の季節です。日中に大きく潮が引き始め、あちらこちらで近隣の集落の方々が干上がった浜で、思い思いに潮干狩りを楽しむ事でしょう。

                 

さて先回は中国西部の砂漠地帯・敦煌にある、「莫高窟」を尋ねました。中国の西域はウイグル族という中国の漢民族とは違った民族の地です。この辺りには「楼蘭」という伝説めいた故地が存在しておりました。紀元前2世紀ころには実在した様です。以前からドラマになったこともあり、夢多き故地です。

莫高窟は楼蘭から東方に向かって砂漠地帯と漢民族の古都・洛陽・(西安)の接点に存在し、古からシルク・ロードの中継点として栄えましたが、北宋ころから衰え始め忘れられた存在でしたが、1900年に敦煌文書が発見されてから、英・仏国にあるいは日本など諸国に文書が持ち出され、研究の対象になり、一躍文化の世界に蘇り、現在に至っております。

 

  

 

莫高窟の文化財は近年中国政府によって、補修保存が進められて居り、我が国のNHKなどの文化番組でも以前から紹介されてきました。<シルクロード・絹の道>は読者の皆さんも記憶に残っていると思います。

 

             

 

莫高窟の文化財は岩窟を掘り込んだ仏像群、内部の壁には多数の壁画群が残っております。 西方アジアやインド、パキスタンの文化、あるいはギリシャ方面の文化がシルクロードを通過して来て、莫高窟で花開いたようです。

 

   

 

上記の中央の如来を中心にして、観音や天部が取り囲む形式的にかなり似た様式が、日本の法隆寺に見られます。明らかに敦煌を経由した文化である事を示しております。 ただ、写真機やコピー機がなかった時代に、数千kmも離れた東海の孤島に、たった100~200年間位の間に、実に正確に伝播していった事に驚嘆する思いです。

 

                               

 

菩薩像、羅漢の造形は日本国内で一般的に見られるような形式ですね。動きが見られるのも大きな特徴です。岸壁を刳り抜いた丸彫り佛か石材を彫刻した仏像かはハッキリしませんが、極彩色に荘厳されており、光線が当らない暗闇の中とはいえ見事なものです。

         

 

日本の伝統芸術・文化の多くは、このような西域や・中国・朝鮮半島経由から伝播されて来た文化文物の大きな影響を受けております。そして、その文化は日本の文化に中に吸収され昇華され、能楽・歌舞伎、能面・仏像・日本画など多くの文芸・文化の作品を生み出してきたのでした。

 

 

上記の壁画の上部に舞う<飛天>も、日本の寺院の中には数多く見られるモチーフです。退色しているところが有りますので、当初の色彩とはかなり違って見えると思われます。特に鉱物の顔料は錆びて変色があります。

 

 では、次は答礼人形に移りましょう。(青い目の人形は現在資料整理中です。しばらくお休みします)  

 

 

        「 

          

 

答礼人形のご紹介もいろいろ試行錯誤で、ある時は探偵のような感じで推理を働かせながら、資料を探しました。 贈呈したアメリカの地で取り違えが発生したり、錯誤や破損などで思わぬところへ届けられたり、途中に発生した不幸な戦争で行方不明になったり、自然災害で美術館や博物館が崩壊して、答礼人形も被害を受けました。 送り出した日本でも確りとした準備が出来なかった事もあり、後日に人形を確認する際に、困難を極める事にもなりました。

戦争などで国民が大変な目に遭ったと同時に、答礼人形も苦難を経験したという事になります。 人形の毛髪は人間の毛髪を使っておりますので、現在収蔵されている人形の中には、数本の白髪が混じっているとの事です。

 

              答礼人形 Miss 山口(人形師不明)

                   

所蔵場所   ニューメキシコ州サンタフェ

         インターナショナル・フオーク・アート美術館

人形の紋        丸に二つ引き

                          

 道具の紋        牡丹唐草  

                    

 このMiss 山口 は元来シカゴのシカゴ美術館に贈られた模様です。1929年のシカゴ美術館の案内書に掲載されていました。シカゴはイリノイ州、サンタフェはニューメキシコ州です。どうしてこんなにも距離が離れたところに、現在所蔵されているのでしょう。

・・・・当時シカゴ在住の富裕な家柄であった、バートレット夫人がサンタフェに新しく美術館を建てる際に、持ってきたということです。どのようにして個人がこのような公的な美術品を持ち出せたのかは、詳細はわからないのです。

 

             Miss 広島  (元 Miss 山口

            

 

この人形も調査の結果、取り違えがあったという結果になりました。結論としては現 Miss 広島 は正確には Miss 山口 とされています。では、現 Miss 山口 は誰?ということになりますが、結論はMiss 佐賀 となっております。

                          Miss 佐賀                                               

               

さて、話はまた混沌として来ました。調査の結果、Miss 佐賀 は当初ペンシルバニア州フィラデルフィア 商業博物館に贈られるはずでした。しかし、現在はこの人形は行方不明となっております。その後1998年にフィラデルフィア 美術館から情報が入り調べたところ、実際にフィラデルフィアに送られたのは、Miss 東京府 でした。そして、Miss 東京府 と似通った人形があること分かり、この人形がMiss 佐賀。 

複雑極まりなくなりましたが、現在Miss 東京行方不明です。資料の写真などを元にして、特定している状態です。

         Miss 広島     ←    元 Miss 山口

         Miss 山口     ←    元  Miss 佐賀

                              行方 不明    元 Miss 東京府

ただ、注意をしなければならない事は、非常に似通った人形が結構存在するという事です。ですから後日新たな事実が判明するかもしれません。

調べて書いているはずの筆者でも、頭がクラクラするほどです(^-^)

次回はMiss 島根 について書いてみましょう。  

                        

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日本の伝統芸術と伝統芸能-042

2013-03-09 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と伝統芸能

 

          

                     仏像と仏像彫刻 

          青い目の人形答礼人形 

                                            -042

ひな祭りも終わって、南西諸島はいよいよ初夏に向かって、ひた走り始めました。冬の野菜も終わり、最後の収穫と春野菜の植え付けが始まりました。蝶や虫達がまた活発に活動を始めたようです。

渡り鳥達もすっかりメンバーが代わったらしく静かな毎日です。年から年中うるさいのは烏ですがね・・・

                 

先回は岸壁に彫られた中国の石仏群をご紹介しました。中国の黄河を一帯は歴史的な石仏群が散らばっております。敦煌・莫高窟、雲こう(山+岡)石窟、龍門洞窟などという、世界的に有名な仏像石仏群があります。制作年代順に紹介して行きましょう。

敦煌莫高窟

中国大陸の西側の部分である、甘粛省敦煌市にある鳴沙山にある石窟で、1987年のユネスコ文化遺産になりました。1600mの断崖に掘られた洞窟に2.400余りの仏塑像が安置され、同時に壁画が描かれています。

 

                           鳴沙山

 

莫高窟

 

このような壮大な石窟が荒涼とした砂漠のような場所に有る事が驚きですね。この石窟群が製作され始めたのは、AD355~366年代 五胡十六国時代とされております。中国の暦時代・前秦の頃ですね。それから元時代まで彫られたようです。

乾燥した地域であった為に、現在まで残っていたかも知れません。最古の窟にはAD五世紀前半・北涼時代の交脚菩薩像が存在しております。

 

交脚菩薩像

 

日本に仏教が朝鮮半島の百済から公伝されたのが538年ですので、実際には六世紀初頭には既に、日本に仏像が伝播していたでしょう。ですから、敦煌から凡そ100年後位となります。朝鮮半島経由として考えるなら、意外と短時間に伝播されたと思います。

この仏像が製作された以前にも、ここには仏像が存在したようですが、つぶされたものと推定されております。1600年間の間の時間の経過にしては、洞窟内ということでしょうか、彩色された色が良く残っていると思います。

法隆寺の仏像群についても、これと同じような事がいえますね。背面の壁の壁画の色(現代に修復されているかも?)も鮮やかです。仏像の頭部や腹の部分の緑色は緑青(ろくしょう)です。銅が錆びるとこの色が出て来ます。

 

               莫高窟壁画   

             159窟・文殊菩薩と維摩居士の対面(WIKI

 

上の壁画の色も、驚くほど良く残っております。洞窟の光の入らない暗闇だったのが、保存に大変良かったのでしょう。現代の一流の仏画と遜色ないレベルですね。非常に洗練された色使いとモダンなデザイン感覚です。製作された当時はどんなに素晴らしかった事でしょう。(彩色に使った顔料は、時間の経過と共に変色しますので、当時の色合いではないものがあります

    * 読者の方も時間の経過を頭に入れて、想像しながら見ていてください。

次回からは中国本土の資料を使わしてもらって、より細かにご紹介して行きたいと思います。驚くほど素晴らしい作品が登場しますよ。

                             

では、答礼人形に移りましょう。(青い目の人形は現在、資料収集です。しばらくお休みします

 

         「

            

先回は里帰り第1号であった、Miss 広島 をご紹介しました。今回はMiss 大阪市Miss 山口をご紹介しましょう。

            (A)-Miss 大阪市 (正しくはMiss 大阪府

                

Miss 大阪市は前の-039でもご紹介しましたが、この人形は正しくはMiss 大阪府なのです。大阪市と大阪府が完全に取り違えて、取り扱いされていたようです。「府」と「市」の違いが解らなかったということになります。

下の写真はアメリカのニュージャージーのニューワーク・博物館の公開している答礼人形の写真から掲載したものです。ここでも「Miss Osaka」と表記されております。

                    Miss Osaka

                 

 

Miss 大阪市は正しくはMiss 大阪府 ですから、この人形の作者は 二世・平田 郷陽ということになりますね。1989年にお里帰りをしMiss 大阪市と共に「大阪近代百年展」に出展されました。

         人形の紋               道具の紋          

                      

              (B)-Miss 大阪府(正しくはMiss 大阪市)  

               

 

 Miss 大阪市(正しくはMiss 大阪府)は弟人形が傍に付いております。この人形の他に2対の妹人形が随伴されていた、写真記録が有るそうです。ただ、この写真は日本からアメリカに答礼人形が送られる際の壮行会の、合同写真ですので、当初の正確な事がわからず、且つ、日本側でも大阪府と大阪市の取り間違いの新聞報道もあり、事態をさらに複雑にさせております。

          1927年壮行会の写真10月20日大阪朝日新聞

      左の人形がMiss 大阪市、右がMiss 大阪府で、さらに右に弟人形が見える。

弟人形の胴体には「光龍斎」の張り紙があるのに、姉人形には何もないということです。ですから、今もって作者不明ということになります。そして、現在はMiss 大阪と弟人形の着物と人形は別に管理されて、別の着物を纏っている。色は赤とレモン色の着物で、紋が付いているそうです。

人形は東京製なのに、着物は京都製だそうで、さらに下着の長襦袢は派手な牡丹と孔雀の羽根の大柄なもので、東京製ではないそうです。非常に謎めいたことのなっております。

お道具類大阪市

このお道具には大阪市の紋が付いております。

1927年の写真 9月23日大阪毎日新聞

           紐の模様 

 

左がMiss 大阪市で、右がMiss 大阪府。

これを詳細に見てみると、Miss 大阪市は人形と着物がはっきり違っている。右手の形状が丸く指を丸めていることです。上のカラーの大阪市と大阪府の人形とは明らかに違っております。手が両方とも下に伸びています。そして、着物の肩口に白い紐の模様が見えております。(写真は黄色に色を付けてあります) 

                                 (C)-3体目の人形(大木商店 右指が曲がっている

 

という事は当初答礼人形は3体有ったという事になります。では、この人形はどこに行ってしまったのでしょうか?? 解りません さらに、2体有った筈の人形の行くへも解りません。 (^~:) 

筆者もいろいろ調べたのですが、結局解りませんでした。既に破損して今は現存しないのか、あるいはアメリカのどこかのコレクターが所蔵しているのかもしれません。これほどの高価な人形はその可能性がありますが・・・ 

推理してみますと、

1-当初 (A)と(C)の人形が存在した。 2-(A)=Miss 大阪府 (C)=Miss 大阪市 3-(A)と(C)が勘違いで入れ替わってしまった。 4-その後、(C)の代わりに(B)が所蔵されるようになった。(C)は行方不明か、破損したのかもしれません。     ということでしょうか? 

                  Miss 京都市大木商店

              *右手の指の形状と頭の顔立ちの注目!

Cの人形は京都の大木商店製作のもので、頭は他とは特徴があって、明らかに違います。Miss 大日本・東京市・横浜市・名古屋市・京都市・神戸市もこの系列の人形です。 

次回はMiss 山口、Miss 佐賀をご覧ください。

本日最後の写真はMiss ウイグル (中国・ウイグル地区の美人の娘さん

 


日本の伝統芸術と伝統芸能-041

2013-03-02 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と伝統芸能

 

          

                     仏像と仏像彫刻 

          青い目の人形答礼人形 

                                            -041

 

                    特集

 

 

 本日は「雛祭り」です。世界中で<子供のお祭り>は有るでしょうが、女の子と男の子を分けて祝う国は、何か国ほどあるのでしょうか。

社会主義の国は6月1日で、オーストラリア=7月の第1日曜日・カナダ=11月20日・アフリカ一部の各国=12月25日・中国=6月1日・インド=11月14日・・が<こどもの日>だそうです。日本のように男・女の日が別にあるのは、あまり例がないようですが??

 

そのような訳で今回は雛祭り特集を企画しました。

 古今雛 (高砂・畠山家)

 

 

 名だたる名家の所有する雛人形です。人形の顔立ち、衣装はなかなかのものです。顔立ちは人形店や地域によっていろいろな形態があるのでしょうが、この人形は京雛のように思います。顎の少しすぼまった形が特徴です。

 

 享保雛 畠山家

 

 同じ所蔵者の雛人形・享保雛ですが、時代によっても雛の頭の表情は違うものです。この人形は卵形ですね。

立姿・有職雛 滴翠美術館

 

 

上下の雛は滴翠美術館・兵庫県芦屋市の美術館所蔵のものです。

 

  室町雛 (滴翠美術館

 

下の二つの雛は頭が京都雛の形のようですが

  古今雛 (諏訪・高島城

 

資料から掲載してますので、見苦しい点もありますが、ご勘弁のほどを(^-^)

 

 

和琴  (諏訪・高島城

 

 

雅楽五人囃子 (諏訪・高島城

 

 頭にしても、衣装にしても素晴らしいです。当時の最高の出来栄えの製品を取り寄せたか、特注で作らせたものなのでしょうね。

それでは、東京・三井家所蔵の雛壇飾りをどうぞ。

 

 

同じく東京・三井家所蔵の雛壇飾りです。

 

 

同じく東京・三井家所蔵の雛壇飾りです。

 

 

同じく東京・三井家所蔵の雛壇飾りです。

五人囃子

 

雛飾りには道具が付いております。答礼人形もそうでしたね。この辺りが日本の伝統人形の素晴らしいところ。外国で大変に評価される原因でしょう。人形自体も最高のレベルですから、尚のことです。

 

雛道具一揃え 彦根 井伊家

雛道具は静岡県が有名な産地です。井伊家は徳川譜代ですから、恐らくこの雛揃えは駿河産だったと思います。

人形の産地は 京都、東京、吉浜(愛知)、岩槻(埼玉)が昔から有名です。それぞれ産地特有の特徴があるのでしょう。

では、次に造形形式の変わった雛人形。

極め込人形

立ち雛 (三井家

享保雛 (旧津軽家

 

本日はひな祭りということで、旧家所蔵の雛人形をご紹介しました。

青い目の人形・答礼人形>は本日はお休みです。