白洲正子文学逍遥記
「十一面観音巡礼」編
登美の小河-012
奄美群島の梅雨は中盤戦に入りました。たまに中国大陸から黄砂が吹くと湿気が急に収まりますが、すぐに「じとじと」に戻ってしまいます。でも辺りにはいろいろな奄美独特の野の花が咲き乱れます。下の花は<月桃>です。葉が笹の代わりになる独特のもの。花も大きく豪華です。ランの仲間のような感じ。 自宅の庭や畑の隅に沢山咲いております。
スモモのような実
法隆寺内の観音巡礼はなかなか終わらず。如何にこの寺が広く大きいかがこれだけでも分かろうと言うものです。今回も出来るだけ漏らさずご案内致します。
天平の甍
法隆寺境内案内図
「三経院」は聖徳太子の<三経義疏(さんぎょうぎしょ)>にちなんで名付けられた建物。法隆寺境内西端中央にある。
三経院
法隆寺にまつわる観音像 -004
法隆寺には六観音ならぬ八観音が祀られていたが、 その中から海外に流失したとされている一体、及び根津美術館(東京都港区)所蔵の「観音菩薩(ぼさつ)立像」であることが県立美術館(奈良市)の調査で分かった。
今回はその内造作が類似している仏像をご紹介する。
観音菩薩 ・ 86.9cm(左方向から)
胸飾りの花飾り、少女のようなお顔立ち、髻の編んだような髪の流れるような感じ。同じ飛鳥時代の他の仏像とは違った面立ちが特徴である。樟の一木造り。漆箔。大変穏やかで親しみの持てる表情をしておられる。
(右方向から)
同じ工房で製作されたと思われる勢至菩薩。上記の観音菩薩と同じ造作である。裳裾が短いのも特徴。体型も百済観音のように細い。以下の普賢菩薩、文殊菩薩も同型である。
勢至菩薩 ・ 86.0cm
普賢菩薩 ・ 83.9cm
文殊菩薩 ・ 85.7cm
「ちょっと 一服」
話の喫茶店
海外へ流出したとされる法隆寺の観音像はどこへ
「法隆寺六観音は元は橘寺からきた仏様たちで、中世には2体は民間に出たようです。現在、1体はアメリカのフリー美術館とこの像かもしれません」
* HP・・<美術館見聞録>より掲載
体型、蓮台は非常に似ております。唯、裳裾が長く蓮台まで下がっておりますが。また、このHPの記述によりますと、法隆寺の六観音は橘寺から移って来たとされております。
観音菩薩立像 ・ 宝蔵院 ・182.1cm
元は金堂に安置されていたが、現在は宝蔵院に祀られている。像本体から台座の蓮肉部まで一木で彫刻されている。平安時代10世紀ころの作とされている。光背は大きさが本体像とつりあわず、他からの転用とされている。顔立ちも穏やかである。
次回は<九面観音>とその他の重要な仏像群の幾つかをご紹介しましょう。
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