白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

能面と能楽・仏像と仏像彫刻ー014

2012-07-27 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と芸能 

         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

                         <その014

 

人形特集-009

  平田 郷陽 -003

 

           長閑

 

夏休みもいよいよ始まり、厚い夏本番となりました。今回は平田郷陽の市松人形を中心にして、その他の作品もご紹介していきます。

A・ 衣装人形、木目込み人形 

桜梅の少将 制作年:1936年

 

 

               「親子」

               「親子」

 

Img_7906

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                      白粉

                     

 

 B・ 市松人形

            1 吉徳人形 蔵

    

2 

 

 

 3  元・内藤ルネ人形美術館 蔵

 郷陽さん 全体

 

マリア書房より掲載

 

 

Kazaru410さんブログよりお借りしました市松人形です。静かな顔立ちで遠い昔のひとコマを思い出しているような感じが漂ってきます。

 

 

   photo:02

 

                

答礼人形-004」      

 

 MISS FUKUSHIMA

 福島 絹子

             全身像

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お道具の紋は全て「九曜」ですし、日

傘には「福島県」のデザイン文字ま

で見られ、台座の徽章も「福島懸」で

す。

 

 

 

 

 

 

 

  

台座

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしこの子のご紋は「上がり藤」です・・・・つまり、結論を申しますと、この答礼人形はMISS FUKUSHIMAでないことになります。でも、保存状態が非常に良く、とても素晴らしいですね。

  

 

 

 

 

← 上り藤の紋

 

 

 

 

 

  記録によると、MISS 福島の人形の着物は「蜜柑茶の縮緬の袷に薄小豆の長襦袢」というものでした。現在の所有者は大変日本通で日本文化の教授でもあり熱心な人形コレクターでもある Alan Scott Pate さん(在モンタナ州)です。理解のある方が居られたので、抜群の保存状態になっているのでしょう。

 

Miss Fukushimaの着物は縮緬、五つ紋、白足袋の正装です。バラの花の刺繍の半襟、緑地に刺繍で彩られた貝、たなびく霞、細い線は背中のくす球から伸びて全体に流れる七色の糸です。

   

人形生地は光龍齊の木型から提供され、生地師、小林岩四郎

    

 いったい、本当のMiss Fukushima はどこへ行ってしまったのでしょうか?

写真を見ても、今出来上がったばかりのような状態です。コレクターの保存の際の注意深さに感心しますね。1927製の人形です。驚嘆に値します!

 

 

 

         「九曜」の紋所

 

 

人形は三つ折人形の形式を取っており、アメリカに贈るということで日本人形に上下つなぎのコンポジションという洋風下着が着せられました。これだけでも大変な作品です。

 

  

 

 

ぽっくりと草履、 裏に「高島屋」の商標

 

        

番傘

 

日傘 紋白蝶と牡丹の図 「福島けん」のデザイン文字

 

しかし「九曜」の紋章の入ったMiss Fukushima はどこへ行ってしまったのでしょうか。アメリカの何処かの個人のコレクターが保存しているといいのですが。あるいはヨーロッパにもう渡っているという可能性も無くはありません。これだけの素晴らしい作品ですから。 見る眼のあるコレクターは幾らでも居ります。

本日はこの一体の答礼人形をご紹介して、終わりとします。次回もご期待ください。

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能面と能楽・仏像と仏像彫刻ー013

2012-07-20 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と芸能 

         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

                         <その013

 

 

人形特集-008

 

 

                     人形作家二代目 平田 郷陽-002

先回は<二代目 平田 郷陽>の作品をご紹介しました。如何でしたでしょうか。どの作品でもハッとするような見事な刃物捌きと表現力の素晴らしさに圧倒されてしまいます。

    衣装人形

 

 答礼人形のコンクールで第一位を獲得してから、帝国美術展にも入選し、ますます人形の芸術的価値を高めるのに寄与しました。その後重要無形文化財保持者となりました。人形部門の重要無形文化財保持者としては、彼のほかには堀 柳女、鹿児島寿蔵の二人が居られます。

下の写真は三人の作品の写真が掲載されておりますが、どの作品が誰かお分かりになるでしょうか。(すべてモノクローム写真になっております)

            A

     

     B

     衣装人形「卑弥呼」

                    C

                    

    D

    「新秋」                       

 A・・鹿児島 寿蔵   第六回 日本伝統工芸展 <日本の紬>

 B・・平田 郷陽    第十五回 日本伝統工芸展 <卑弥呼>

 C・・柳  柳女     第六回 日本伝統工芸展 <渦 紋>

 D・・平田 郷陽    第七回 日本伝統工芸展 <新秋>

以上でした。ちょっと見にはなかなか判別がつき難かったと思います。その内に鹿児島 寿蔵、堀 柳女氏の作品については別途ご紹介しましょう。

平田 郷陽の作品の中で特徴的なものとして、子供を題材に取ったものが多く見られます。少しご紹介しましょう。

衣装人形金太郎 昭和年代

衣裳人形 金太郎 制作年:昭和時代

日本政府の依頼でベルギーやフランスの万国博覧会に衣裳人形を出品したこともあるそうです

               少年と犬

               衣裳人形「少年と犬」

    子守

    

 子供の生き生きとした表情や、仕草が感じられます。何の嫌味の無い笑いが振り撒かれているような感じがします。それでは次回も引き続き、二代目平田郷陽の作品をご紹介していきましょう。

 

答礼人形-003」       

 

Miss 大日本Hideko Yamato

        ・Washington D.C(スミソニアン博物館)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英文資料によると・・・Miss Dai nipponは日本の皇室から送られた答礼人形で、Hideko Yamato(倭 日出子)といい、Yamato(倭)は日本の古代からの呼び名とされて紹介されていました。写真のように 襖、傘、蜀台、履物、、漆の小道具などが付属されていました。

カラー写真の資料を探したのですが、生憎見つかりませんでした。

 

 

Miss  Akita ・Fukiko Akita Detroit (Michigan)

 

 

この人形は1988年に札幌のそごう百貨店に

て他の18体の答礼人形とともに公開されたそ

うです。

 

1990年には秋田県横手のユネスコ協

会が関与して9体の青い目の人形の展示会を

開催し、Miss Akitaの妹としてMissYukiko

Yokoteをデトロイトの博物館に寄贈したそう

です。

 

 

 

                                 Miss Nagasaki 

着物の生地の色合い、柄などは先回ご紹介したMiss 長崎に似ておりますね。

しかし、帯の柄は全く違います。頭(かしら)は元々東京の専門の職人が木地を作成しておりますので、MISS Akita と表情が似ております。

 

 

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能面と能楽・仏像と仏像彫刻ー012

2012-07-15 | 日本の伝統芸術

 

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         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

                         <その012

人形特集-007

 

             人形作家二代目 平田 郷陽

 

              「抱擁衣裳人形「抱擁」

 

 先回は市松人形の歴史について書いてみました。今回からは市松人形作家のご紹介とその代表的な作品をご紹介します。

平田 郷陽は先回ご紹介しましたとおり、初代と二代目がおります。初代は活き人形の名人と謳われた、熊本の生んだ生き人形師・初代安本 亀八に師事した活き人形師です。当然のことながら父を師として、二代目・平田 郷陽は薫陶を受けたわけです。

二代目平田 郷陽は昭和2年(1927)の答礼人形のコンクールで目出度く一位を獲得しました。 その時24歳・・・作品は<Miss 櫻子>でした。

 

                        Miss 櫻子市松人形 制作年:1927年

 

  そして、昭和3年には他の人形師たちと共に人形研究団体「白澤会」を結成し、人形を玩具の世界から芸術の世界に昇華させようとしました。その結果昭和11には帝国美術院がようやく人形の展覧会出品を認めます。この時から人形は芸術の世界に仲間入りを果たしたのです。

仏像などは東京美術学校の教授であった高村光雲などの力で、美術展に作品を出品しておりました。仏画においても同じでした。惜しむらくは能楽で使用される「能面」の出品は今でもありません。能楽における能面の置かれた位置に対する考え方の違いなのでしょうか。

                     

「童」

 

 結果的に見れば、能楽が大きく現代日本の中に広がって行かない原因かもしれません。浄瑠璃人形の場合もまた同じでしょうか。瘋癲老人の考えですが、それが国内だけでなく世界に羽ばたけない足枷になっているのではないでしょうか。

「バレー」、「オペラ」は西洋の音楽芸術ですが、全世界に渡って広範囲に広がって居ります。それに引き換え<歌舞伎>はどうでしょうか。日本の若い方たちにも余り人気が無いんじゃないでしょうか。 瘋癲老人はまったく興味はありません。人形浄瑠璃の方がまだ興味があります。・・・・ちょっと脱線!?

それでは平田 郷陽の代表的な作品をご覧ください。

一人の年若い女が鏡に向かって、真剣な眼差しで珊瑚の赤い簪(かんざし)を髪に指している様子を表しております。下のアップの写真をご覧ください。

 

               「装い 

 マリア書房

「骨董 緑青19 人間国宝平田郷陽人形の世界」より

 

顔立ちはかなり若いですね。少しどこかに初々しさと幼さが見えています。半玉から芸者になったばかりなのでしょうか。頬にほんのりと赤みが差し、髪の一本一本から鬢の匂いがして来そうな感じです。身体が透けるような着物を着せ、胸元からは女の乳首まで透けて見せております。

ハッとさせる緊張感と女の真剣な眼差し。片膝を立てて片手をそっと触れさせる一瞬のポーズ。色っぽい感じがほとばしり出て来ています。もう、何ともいえませんな~・・・・・平田さんはどこでこんな情景を見たことがあるのでしょうか。芸者遊びなどする人のようでは有りませんが???

世界中を探してもこれほどのハッとさせるような・・・・有りますかね?

名人と一流の差は歴然としております。仏像でも能面でもしかり。そのような訳で本日はここまでと致します。 ・・・・ハイ!

 

答礼人形-002」       

 

長崎 瓊子(たまこ)

 

 ニュヨ-ク州・ロチェスター市にある市立科学博物館。その人形は青森県から贈られた「ミス青森」として永年同博物館に所蔵されていました。

空色に裾を白く染め抜き、いろいろな草花を散らした縮緬を重ね、下は燃えるような緋の長襦袢、足袋は羽二重の白足袋をはいている』とある記述などからニューヨーク州ロチェスター科学博物館所蔵の『ミス青森』が実は『ミス長崎=長崎瓊子』と判明しました。

 ロチェスター市はアメリカ五大湖の一つ「オンタリオ湖」の湖岸に拓けた街です。此処には経済学で世界的に有名なロチェスター大学があり、日本からも留学生が多く学んでおります。余談ですが、国際経済学で有名な東京大学教授・伊藤 元重氏も大学院で学ばれております。

この答礼人形が実はMiss 青森ではなく、Miss 長崎 であることを発見したのはワシントン州在住、答礼人形研究家・武庫川大学教授・高岡美知子氏で、博物館にて確認したものでした。

現在、MISS 青森は下記の通りです。 ミス・青森     

Massachusetts   Miss Aomori   Private Owner

 博物館の英文資料によれば、1963 年マサチューセッツ州ダートマスの小さなアンティーク ショップに行ったときに、此処に在住の方がこの人形を手に入れたそうです。当時の価格で$10(当時の外貨 1ドル=360円・・3,600円)程度の価格でしたそうです。驚きの安さで破格の値段でしたね。そのためでしょうか現在もPrivate Ownerです。

* 「Miss Aomori 」をピックすると写真が見られると思いますが??

Miss 長崎 瓊子(たまこ)

        

 <瓊  花・けいか>という花をご存知?・・・・・WEBから参照しました。

 世界遺産である古都奈良の文化財で、鑑真和上が創建された「唐招提寺」の境内に咲く瓊花は、白く楚々として気品のある花です。立て札には、(鑑真和上の故郷中国揚州の名花)と説明書きがあります。
Web情報によれば、この花は中国が持ち出しを禁じており、日本では唐招提寺と皇居にのみ咲き、唐招提寺には、鑑真和上遷化1200年に当たる1963年(昭和38年)に中国仏教協会から1株贈られたそうです。

瓊子(たまこ)瓊  花からの由来が有る事がわかりますね。江戸時代の長崎の出島以前に中国から伝わったものなのでしょう。今も長崎の何処かで咲いていることでしょう。楚々とした白色の花ですね。

          瓊  花              

 

 

 アメリカに贈られた答礼人形の内、44体の存在が確認されているようです。博物館、科学館、個人など現在の所有者は様々ですが、人形の台座に貼ってあるネームが贈った人形と違っていたり、着物や小物などが全く別の物だったりすることが有るそうです。

一度着物を脱がしてしまいますと、外国人には手におえない事が多いでしょうね。小物でも素晴らしい逸品が多いので、何処かに散逸しがちです。博物館などはその点かなり安全でしょう。

MISS 青森の全身写真をお見せしたいのですが、このブログでは取り扱えない記録形式なので、今回は顔だけにしました。着物は紅です。裾には白い菊などの花々が染められております。帯揚げは赤の地に白の模様の縮緬です。Miss 長崎とほぼ同じです。

                    

 * 答礼人形の資料はアメリカの博物館の公開資料を使っておりますので、写真の記録形式が違う場合は写真をご紹介できないこともこれからはあります。ご理解ください。

 では次回をお楽しみに!いろいろ調べて皆様にお伝えします。

 

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能面と能楽・仏像と仏像彫刻ー011

2012-07-06 | 日本の伝統芸術

 

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         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

                         <その011

 

 

人形特集-006

   市松人形

やっと、第六回で市松人形に至ることが出来ました。長い事掛かりました。それでは先ず市松人形の「市松」という呼称の由来からお話しましょう。

 

 

 上の文様は<市松模様>と古来から呼ばれているものです。江戸時代の歌舞伎役者、初代佐野川市松が舞台「心中万年草」で粂之助に扮した際、白と紺の正方形を交互に配した袴を履いたことから人気を博して、着物の柄模様として流行したことから「市松模様」と呼ばれるようになった。その為江戸時代以前から存在するものは石畳模様と呼ばれます。

 

寛政6年5月の都座興行「花菖蒲文禄曾我」で祇園町の白人おなよを演じる三世佐野川市松

 

急に突然、東洲斎写楽の浮世絵が出てきましたので、驚いた方もおありでしょう。市松とはまた、江戸時代の中期の人気歌舞伎俳優・佐野川市松の似顔人形が発売されて、女性たちの評判を呼んだことに由来するものです。つまり、佐野川市松に由来する「模様」と「似顔人形」にその名の源泉があります。

当初の「市松人形」は美しい若衆の姿だったのです。以降愛玩用の人形はすべて市松人形と呼称されるようになったようです。

 

三世佐野川市松の祇園町の白人おなよと市川富衛門の蟹坂藤馬

 

その内に本来の若衆の似顔人形はいつしか消えてしまいましたが、その名前だけは残り、関西では言葉が縮まって「いちまさん」、「いちまん」、「いちま」の愛称が残って、可愛らしい稚児の人形をこのように呼ぶようになりました。

その後は先般も書きましたが、子女の愛玩用の人形、明治30年代以降は外国からの来賓に対して宮家より特別製の市松人形を贈るなど、また、美術品として特定の好者の間で市松人形が持て囃される様になって行きました。

そして、昭和2年(1927年)の<答礼人形>で頂点を迎えることになるのです。先回もお話しましたように、玩具としての人形が芸術的価値を持った、美術品としてのレベルに達したのです。

 

 

答礼人形

1927に当時の日米の政治状況の悪化(当時日米は移民問題で緊張していた)を危惧して、アメリカから日本に対して12,700体の「*青い目の人形」が贈られました。この時の当事者代表は、アメリカが米人宣教師ギューリック博士、日本側は渋沢栄一。これに対して日本側からもアメリカのクリスマスに間に合うようにと、58体の市松人形をコンクール形式で製作して贈りました。

* 青い目の人形12,700体の内、327体の国内に現存が確認されております。また、アメリカには答礼人形58体の内44体が確認されております。

 

 

この現実の数字をどのように考えるかということは、なかなか難しい問題です。その民族の持っているものの考え方、国民性、美術品に対する感覚と評価を含む考え方、その当時の政治状況などいろいろ有ると思います。

穿った見方というかもしれませんが、答礼人形の美術品としての価値は青い目の人形を遥かに凌駕していたという事かもしれません。西洋人の美術品に対する審美眼は当時の日本の一般的国民より遥かに上であり、かつ冷静で大人の感覚であったということでしょうか。

下世話な言い方をすると、青い目の人形は現在の金銭感覚で¥3,000円、答礼人形は¥2~3,000,000円位だそうです。・・・・う~ん、なるほどね。答えは簡単のかな???

 

             青い目の人形アニー(吉徳資料館蔵)

 

答礼人形の身長は81cm、下着から襦袢、振袖、小物に至るまで付けて贈呈しました。まさに国際親善をはたす「使節」の役割を果たすことになりました。この時のコンクール第一に輝いたのが、後の重要無形文化財保持者・二代目平田 郷陽でした。 

 

              

             二代目平田 郷陽答礼人形第一位 

                    櫻子

 

 では、これからしばらくの間<答礼人形>のご紹介をしていきたいと思います。

答礼人形-001

          Miss 徳島

 

答礼人形「ミス徳島
(アメリカ合衆国ワシントン州
ノースウェスト芸術文化博物館所蔵)

 

                              アリスちゃん

       

アメリカ合衆国ペンシルバニア州ウイルキンスパーク市から徳島県に贈られた青い目の人形<アリスちゃんの里帰りに因んで開かれた、徳島県から贈られた答礼人形・Miss Tokushima の徳島県立博物館での合同展示の際の写真です。

では、次回はMiss 長崎たま子 をご紹介します。

 

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