白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

「白洲正子文学逍遙記-かくれ里-001」

2016-02-12 | 日本の伝統芸術

 

「白洲正子文学逍遥記」

 

かくれ里 

 

001

 

 

 

 

 

九州や本州付近でもまだ桜の季節という訳にはいかぬが、

ここ奄美辺りは緋寒桜が真っ盛りである。

 

 

 

 面白いことに、よく緋寒桜の咲いているところを見ると、中にハイビスカスの真っ赤な花が見える。

まことに南国らしい風景である。近所の古老に聞いてみると、20年ほど前に手植えしたものだそうである。

 

 

 

 桜の季節ともなれば、四国辺りから九州、中国、近畿と桜前線は次第に、北へ登っていく。

6月の初めには北海道まで至る。現在の札幌は雪祭りの真っ盛り。

日本列島は本当に南北に長い列島である。

 

 

 

 

 

今回から「かくれ里・湖北 菅浦」に入るわけであるが、

著者の文章の初めにも書いてある通り、「湖北」とはどのようなところか述べなくてはならぬ。

 上記の濃いピンクの部分辺りは「湖西」と呼ばれるところだが、大雑把にいうと北半分位は湖北である。

そして、著者が書いてある通り、現在の長浜市一帯がその範疇に入る。

 

姉川付近

 

 

東海道本線の彦根で乗り換えて北陸本線に至る。長浜を過ぎて姉川を渡り、

右手進行方向に虎御前山が見える辺りから湖北は始まるとみてよい。

北海道生まれの道産子であったから、雪は見慣れたもので何でもないが、

2月のころは湖北は大雪が降る。辺り一面は北国そのものである。

 

琵琶湖沿岸を走るJR湖西線 

 

 

最近は市制区域の名前が変わっているので、余り昔の面影は地図上からすぐは見えないが、

「近江高月」とか「近江今津」、「木之本」「近江塩津」などの名称が出て来ると、

東近江や南近江とは明らかに違った世界である事が連想されて来る。ある面では異次元の世界である。

 

 

 

木之本付近から長浜一帯は、戦国の武将・浅井長政(あざい ながまさ)の所領であった土地柄である。 

NHKなどの大河ドラマには、それがどのような内容であっても必ず登場する舞台である。

ここ無くしては中世戦国時代は書き表すことが出来ない。まさに歴史の表舞台であった。

 

湖北一帯

  

 

 余談になるが、筆者は70年間の人生の中で15年程を、北近江=湖北 湖西、大津市の比良山側で、3回に渡って住んで来た。

一回目は近江今津。二回目は北近江の高月周辺、最後は大津市の小野付近である。

近江今津は「琵琶湖周航の歌」で有名な観光地であり、近くに自衛隊基地が控えている土地柄である。

どちらかというと琵琶湖の湖水の傍という感じである。雪が特に深いし、寒いということもない。

 

高月・渡岸寺・十一面観世音菩薩

 

 

それに引き換え、湖北一帯は冬には道産子でも驚くほど雪が降る。

若狭湾から伊吹山一帯が大陸からの北風の通り道になっているからである。

12月の始め頃になると必ず大雪が降ったものだ。そうは言っても北国ほどではないが・・

これからご紹介する「湖北 菅浦」は湖西と湖北の地図上では、中間点に位置する地域である。

 

琵琶湖付近を走るJR湖西線

 

 

 

小野妹子 

話は突然変わるが・・最近の若い方もさることながら、中年の方でもこの方の名を知らない方が多い。

奄美大島でもこの方の名称を知っている方は、聞いた限りにはたった一人の老婆しかいなかった。

でも彼女は「能面」が理解できなかったが・・

全国でも意外と同じような感じではないであろうか。

小野妹子

 

 「小野篁(おののたかむら)」などとなると、先ず歴史の闇の中であろう。

しからば「小野道風」「小野小町」となれば<アッ知ってるよ!>となる筈だ。

聖徳太子が生存されていた当時の時代であるから、大化の改新・AD645年の前後の時代ことである。

今回はそのような訳で「菅浦」に入る前に、長々と前口上をしなければいけないこととなった。

 

 

中々直ぐに「菅浦」に話が入らないので、読者は不審に思っているかもしれない。 

それは 白洲様と同じ考えがあり、その事情を筆者がよく分かっているからである。

回りくどい様だけれども、その辺りを先に書かなけれならない。

じれったいとも思われるだろうが少しお付き合い願いたい。

 次回は「湖西と湖北」の一帯の古代史を少し書いてみたい。

 

 

 

 

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「白洲正子文学逍遙記-かくれ里-000」

2016-02-05 | 日本の伝統芸術

 

「白洲正子文学逍遥記」

 

かくれ里 

 

000

 

   

 

 

ブログ開始にあってのご挨拶

 

白洲正子著「かくれ里」は昭和46年(1971年)秋に出稿された名著である。

「能面」と共に読売文学賞に輝いた名著である。

今回は2010年秋に再版された新潮社「かくれ里・愛蔵版」を底本としたものである。

 

 

 

伊吹遠望

 

この風景写真をみて、どこからどこを見て写した写真かがすぐ分かる方は、

関西の方か旅行好きの方か、近江に強い関心のある方である。中央に聳えるのは「伊吹山」である。

名古屋の方は「伊吹おろし」の方が、真冬になると特に実感が沸いて来るであろう。

その下に島と思しきものが湖上に浮かんでいる。「竹生島」である。

 

琵琶湖周辺

  

 

大きな琵琶湖の地図を見れば、すぐ見当が付くと思う。

「琵琶湖周航の歌」で有名な「近江今津」から「竹生島」を超えて伊吹の山塊を見通したものである。

場所的には長浜市の近くであるから「北近江」と呼ばれる所である。

近江今津の下辺りは安曇川と呼ばれる一帯であるが、古代のころはもっと砂州のでっぱりも小さく、

比良山山塊の高みから見れば、琵琶一丁が置いてあるように見えたことであろう。

 

 

現代の地図を見てみれば各のごとしである。

筆者は札幌に30年ほど住んでいた道産子である。三十代の初めと五十代の初めの頃から定年まで、

関西の特に琵琶湖周辺で生活をしていた。特に懐かしい生活の舞台であった。

特に北近江は思い出深い民俗学の研究にもふさわしい地域でもあった。

 

 

 

これから読み進めていく「かくれ里」の舞台背景は非常に広い。関西全域に広がっている。

先回までの「十一面観音巡礼」も<西国三十三ヶ所巡礼>に倣っての広大な地域であったが、

「かくれ里」の舞台背景もほぼ重なるような広さである。

 の場合は「十一面観音菩薩」が主人公である。あくまでも観音主体の物語であったが、

今回のは一語で表すと「民俗学」である。

どこに中心を置いて良いか考えに困る位の茫漠たる日本文化が主体となる。

 

関西の花々 

      

 

現在は関西から遥か離れた南西諸島の奄美の大島のさらに離島に住まいしている。

頭の隅に残っている記憶を頼りに、「かくれ里」を読むのはちょっと辛い面もある。

 

 南国の花々

     

 

 

ここは文化も自然もまるで違う。

 咲いている花で比較するとよく理解が出来ると思う。

 

 

 

 約400頁に近い書籍を、先回と同様に何年にも渡って紐解いていく所存である。

唯、現在70歳になる身であれば途中で頓挫することもあるかもしれないので、

ご覧になる方はその段ご理解を賜りたい。

 

 

 

「十一面観音巡礼」では、著者の書かれた順に話を進めていたが、

今回からは筆者の記憶の確かな琵琶湖周辺から始めてみたい。

筆者が一番初めに訪れ移り住んだのは、先ほどご紹介の「近江今津」である。

 

   

次回第一回は「かくれ里」191頁の<湖北 菅浦>から始めたい。

 

 

 

 

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