白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記ー「十一面観音巡礼」編-再開09

2015-12-24 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

 

十一面観音巡礼」編 

再開-009 

 

熊野詣 

001 

 

 

 

 

 

今年も残り少なくなって来ました。 この巡礼日記ももう数年間の長帳場になりました。このブログの他に2本ほど別なブログを公開していますが、何時も一番多いアクセスを誇るのはこのブログです。白洲正子様の名称を冠したことがその大きな理由です。この方の余りの博識と学問的水準について行けず、始終オタオタしておりました。

それでも底本とさせていただいた「十一面観音巡礼」も聖林寺から始まって、西国三十三カ所の第一番・青岸渡寺に至る最終段階に立ち至りました。今回からはこの最後の旅の模様を、筆者の体験談を交えて書いてみようと思います。

 

筆者も偶然ながら高野山や伊賀、伊勢地域は何度も足を運んだ。以前、三重県の津市に若干の間住んでいた関係もあるだろうか。大都会の喧騒の名古屋から抜け出し、津に入るとな何かしらほっとしたも のだ。能の曲の「阿漕」の近所に偶然住み着いた。伊勢湾が一望に見渡せ、はるか彼方に渥美半島が見える景勝の地である。

 

伊勢の松坂に入るとますます伊勢の匂いが強くなってくる。筆者の本名の名の町が、松坂にあるので尚のこと感慨深いものがある。美味しい餡餅=「赤福餅」でも有名なところ。今でも懐かしい。名古屋駅に朝早く買いに行ったものである。他の類似の商品は売れ残っても、この赤福餅は売り切れが多かった。新幹線で名古屋を通る時も、売店で買い求めたものである。餡が格別に旨いのである。

 

 

松坂から 暫く電車を乗ると伊勢に到着する。もう別世界である。神々しい雰囲気が漂ってくる。外宮や内宮に行かれた方は数多いから説明の必要もあるまい。お伊勢参りは今でも長く長く続いて来ている。

 

伊勢神宮・内宮 外宮

                               

 

伊勢の松坂から名松線の一両編成の電車に揺られて、次第に伊勢の山中に入り、終点で電車を降り山道を西に辿ると、聖林寺や長谷寺に至る。この十一面観音巡礼の出発点に至るのである。あるいは松坂から初瀬街道を西に辿り、青山峠を抜けるると名張や伊賀に至る。長谷寺はもうすぐである。ここまで来ると神の領域から仏の領域に入ってしまう。女人高野室生寺は4回ほど徒歩で、訪れたものである。

今でも脳裏にハッキリその時の光景が残っている。

室生寺・五重塔 

 

 

伊勢の松坂から 電車に揺られて山越えをして、太平洋岸に至るとそこは異形の世界である。熊野である。「熊野松風に米の飯」の熊野である。能の曲では「ユヤ」と呼ぶのはご承知の通り。」(『熊野』と『松風』は、米飯と同じく何度観ても飽きず、噛めば噛むほど味が出る) 喜多流では湯屋とも当てる。

 

いかにせん都の春も惜しけれど、馴れし東の花や散るらん 

 

能の曲の内容は余りにも有名で説明の必要もあるまい。

 

        

能楽の横道にうっかり入り混んでしまうと、逃げられなくなるのでこの辺で終わりとする。

 

 著者は記述の最初にこの著書の終点である「熊野」の那智の滝に至っているが、筆者は残念ながら西国巡礼をしていながら、第1番の青岸渡寺には至っていない。それほど熊野は奥深いのである。熊野灘沿いの「志摩」が著者の最も遠い到達地点である。西国三十三カ所第一番・青岸渡寺から二番の金剛宝寺(紀伊三井寺)までは、陸路250kmである。途方もなく遠い。初めから敬遠していた。

青岸渡寺

 

 

那智山は熊野三山の一つで、熊野信仰の霊場として長い歴史がある。もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離し、今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する人が多いとか。 創建は仁徳天皇の御世であり、天台宗の宗派で、ご本尊は如意輪観世音菩薩である。珍しいご本尊である。

 

如意輪観音

     

 

白鳳時代・十一面観音菩薩  

 

 

この十一面観音菩薩像は白鳳時代の古様なお姿である。現在東京国立博物館に所蔵である。日本で造られたものか、中国か朝鮮半島からの伝来の仏像であろう。 「埋経」という作法が古来から有ったので、恐らくそのような形で土中に、仏具と一緒に出て来たものと思われる。地震や水害で山が崩れた時には、数多く見かける現象であろう。厚い鍍金が施されていたそうである。

 百済観音

     

 

 

 

   

市松人形答礼人形

今週はお休みします。 

 

サワラちゃんの 加計呂麻島日記

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白洲正子文学逍遥記ー「十一面観音巡礼」編-再開08

2015-12-17 | 日本の伝統芸術

白洲正子文学逍遥記

 

十一面観音巡礼」編

 

再開-008 

 

 

 

 

円空・木食について-(最終回)

 

鉈彫り-2

 

 

 

先回は仏像の彫刻技法のひとつである「鉈彫り」ついて、この技法は完成の彫刻技法であり、未完成でそのままになったものではないという論を進めてきた。朝田純一氏の「埃まみれの書棚」にもそのような関係について、「完成論と未完成論」の二論が存在することが述べられている。筆者も完成論の立場をとる。今回はもう少しその理由付けをしてみたい。

 

 鉈彫りと言われる仏像彫刻は東北地方によく見受けられる。何故なのか。このことに関しては様々な専門家の意見がある。完成論・未完成論は先に示した通りである。

 

日向薬師・顔面の髭の墨書き

    

 

この日向薬師をご覧いただきたい。仏像の仏頭の口元の両側に墨で口髭が描かれている。書き立て彫りの 線ではない。此処からわかることはこの仏像は完成品であることになる。仏像は檜や榧(かや)が多いが、鉈彫りは桂が主である。桂は逆目がたたず、丸鑿を使いやすいという利点がある。仏師が鉈彫り像を造ることを予想して、材を選択したのだとされる。

この日向薬師の像の佛頭以下の部分は、仕上げの彫りがなされていない。仏頭だけ完成させて後はほったらかしたということではない。口髭は最後の完成間近に描くものであるから。

* 書きたて彫り 仏像や能面の面打ち技法の一つであるが、材料の木材に墨で予め辺りを付けて、荒彫りを施し、彫ることによって消える線は墨でまた書き加えながら、細部まで彫刻を施す技法である。

未完成論者はこの事が説明できず、経済的な問題を挙げて、途中で中止したと強弁する羽目になる。実際には仏像彫刻造の中には中途で中止したものも多いであろう。

 

「鉈彫り像の位置づけ」

弘明寺十一面観音 

 

A-論  「久野健」                                        

   <鉈彫り像は、藤原時代から鎌倉時代にかけて、東国一体に流行した一様式で、遊行の 僧や仏師などにより 東国に伝えられ、東国人の荒々しい気性から、いっそう鑿痕が誇張されて鉈彫り像は生まれた>

B-論 「中野忠明

   <鉈彫り像を山岳神祇信仰の系譜にある仏像で、鉈彫り仏は立ち木仏の一変形であって、神や仏が神木に宿っておられるお姿を現している。丸鑿の縞目を殊更に誇示する技法は、それが生まの樹木であることを表示するもの楠や杉の巨木を見上げると、巨木の表皮が縞目のような様相を呈している壮観に目を奪われる。これを仏像に刻み、しかもその樹相を如実に表現した ならば、如何に神秘な霊性を顕す。これこそナタボリ仏の本質を語るもの>先般紹介した「立木佛」はその前段階の彫刻形式である。

C-論 「井上 正

   <仏像は、完好な形を表現することが要求されるが、霊木からそこに宿る仏の姿を彫り出すには、朧ろな形象から始まって全容を現す過程を何らかの形で 捉えることが要求された。それは、完成を目前にした未完成のかたちを持って、完成とすることにあった。現仏の表現の一つの定めとして、表現のかたちが絞られていったのが鉈彫り像である>これは「霊木化現佛」という造佛概念である。

霊木化現佛の仏像

鉈彫りは、仏像だけでなく神像彫刻にも例があること、

京都西住寺の宝誌和尚立像のように、

和尚の顔を破って観音が出現するという特異な姿の化現像に も見られる

 

【西住寺宝誌和尚立像】 

D-論  「田中恵

   <東国の鉈彫り像を見るときに感じる意志の強さや、仏像に感じにくいアクの強い霊性は、神と仏の間にある相違を感じ、それを表現しようとした作者とそれを 支持した拝む人の間で生まれたものであろう。 強さを神に求めた東国の風土が、鉈彫りを特に好んだとすることもできよう。鑿痕を残す仕上げ方法は、既に完成未完成の領域を超えて、それが「単なる仏像ではないこと」を示すシンボルとなったことが理解できる。その意味では、現世の利益を表現するために日本で生まれた新しい方法として平安時代の鉈彫りを重視せねばならない>

神像【射水神社男神坐像】

 

 

この神像の頭を見ると、コナシから小作りを完了し、これから仕上げ掘りを待つばかりのようにも見ることが出来る。眼も切っていない。通常なればこれから小刀で縮緬彫りりをなして仕上げて、完成に持っていく。しかし鉈彫りはここで終わっている。

大部、十一面観音巡礼から逸脱したが、次回は最後の「熊野詣で」の項に至ろうと思う。

今回は朝田純一氏の「埃まみれの書棚」を底本として書いてみた。氏には感謝いたしたい。 

 

   

市松人形答礼人形

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