日本の伝統芸術と芸能
能楽と能面
<その8 >
先回までは<当て型>と<能面の型>について、しつこく書いてまいりました。伝統芸能、伝統芸術というものは、さまざま有りますが、これらの根幹を成しているのが、<型>というものです。 型を無視しては成り立ちえません。
仏像彫刻でも如来、観音、明王・・・といろいろ有りますが、これらにはキチットした約束事があり、勝手に彫刻して良いという物では有りません。唯、細かい定義づけをしないで、自由に仏像を彫るにしても、最小限の約束事があります。
誰が見ても仏像と認識する、古代からの暗黙の了解というものがあります。唯、能面と違ってある程度、ゆるい自由度というものがあります。円空などの鉈彫りのような仏像でも、仏像として認識しますが・・・・
さて、先回の終わりに面白い事を書きました。
小面
若女
何れも同じ作者の<小面>と<若女>の面を掲載しました。実に上手な作品ですね。現在京都に在住される女性の能面師です。何回か京都でお目にかかった方ですが、日本を代表する超一流の能面師のお弟子さんに当たる方です。
小面は斜めから観ておりますので、毛書きの線が3本クッキリと見えますので、これでも判断できます。でも、それを見なくても、小面であることが解ります。例えば、顎の線。 二重顎といいますが、正に型通りの打ち方になっております。
口の切り方を視ても、小面です。 これが大事なのですね。下の面は小面とは毛書きの線が小面と明らかに違いますが、相貌だけでも若女と解ります。実に良く打たれています。口の切り方は心憎い程・・・・
何時も思うのですが、このような面は女性しか打てないのではないかと・・・男では無理か?
小面(赤鶴 吉成)
<赤鶴の小面>と比較してみてください。 赤鶴は神聖な顔立ちで、且つ隙が有りません。女面というより神の面ですね。男は所詮、女の表面しかわかりません。それに引き換え、女はおのれ自身が女ですから、心の闇の部分も知っています。それが面に現れてくるのだと思います。何とも云えない女の匂いを感じませんか。特に口の辺りが。男ではこの辺りは無理ですね。
他の名人の小面は大なり小なり神聖さがあります。 男の女に対する憧れが面に出るのだと思います。これが女面を越えて神々しくさせるのではないでしょうか。
小面(大宮 大和)
そして、同時にまたこの面には、この方の心根の優しさが面に現れております。この方の師匠の打たれた女面にも、人格というか心根の優しさというものが現れております。相共通したものがあります。面や仏像の相貌は怖いものです。作者の深奥の心根が正直に出ます。皆さんもご注意あれ。
このような若女の面を観る度に、能面は能楽の道具では最早ない。独立している。と、心の底から感じます。能楽なぞどうでも良いと・・・極論ですが・・・
では最後に、この方の師匠の小面・・・石川龍右ヱ門重政の作<雪の小面>の写しをご覧ください。
如何でしょうか。私には女面というより女神の面に見えます。そして、作者の高潔な人格を感じます。流石と言うべきでしょうか。現代日本を代表する能面師です。この面を見ながら、赤鶴、大和の小面と比較されながら、先程来申し述べてきた事をお考え下さい。・・・・・赤鶴、大和は正に天才能面師ですが。
女面を打たせたら最高といわれる能面師に「河内」が居ります。上の若女は河内が創作した女面であるといわれて居ります。それでは次回は河内について若干書いてみたいと思います。故 長澤氏春という能面師が登場します。
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