「白洲正子文学逍遥記」
& 能面・仏像・日本人形・・etc
臨時公開
以前別のブログで掲載しておりました「能面と能楽」を8/20迄、数回程、再公開します。ご覧になっていない方はどうぞ参考にしてください。
能楽の歴史と能面-003
逆髪 (大宮大和)
旧の正月も過ぎゆくと、いよいよ頃は冬の真っ只中、所によれば厳寒の季節ともなります。
今年の冬は全国的に風雪や北風が強いようで、筆者の畑の作物も、冷たい潮風混じりの強風に煽られ、作物によってはボロボロの状態になってしまいました。折角苦心惨憺して手入れをしたのですが、一夜の嵐の前にはひとたまりもありません。自然の驚異を身にしみて感じさせられました。
さて、先回は能楽における「能面」の存在感について、しつこく書いてみました。能面打ちをされる方には二通りありまして、はじめから能楽の鑑賞を経験して、その道からこの世界に入り、そのうちに自然と能面の制作の世界に入って行く方と、能楽鑑賞などとは一面識もなく、たまたま彫刻が趣味だったとか、博物館や美術館、あるいは画廊で能面を見て急に興味をそそられ、カルチャーセンターや、その道の専門家の下に生徒や門下生や、弟子として入門して、見よう見まねで能面らしきものを打っている内に、能楽の存在の重要性に気づいて行くというような方、様々な形態があるようです。
能の宗家で仕舞や手伝いを、若い頃からやり始めて面打ち師になられる方、あるいは生家が面打師であった方も居ります。現代の名工と言われた能面師でも、その生い立ちは様々で、最後まで独学に近いような人生(古面だけが師匠)を送られても、国の重要無形文化財技能保持者になった、故・長澤 氏春師のような方がおられるので、どの道からはいいても良いわけなのでしょう。どの道、最後はその方の努力と集中力と運と持って生まれた才能に尽きると思います。
猩々(ショウジョウ)
![猩々.jpg](http://sawarachan.up.d.seesaa.net/sawarachan/image/E78CA9E38085-thumbnail2.jpg?d=a0)
薄暗がりの博物館で江戸時代の名工・河内の「若女」を観て、たじろぐような感動を得る。このようなカルチャーショックのような精神的衝撃が大切で、街の一角にある個展の中で、余り結構でもない能面らしきものを見て、<これなら自分でも行けそうな>と思う程度から、面打ちの世界に脚を踏み入れるなどすると、何時までも師匠を越えられず、「能面」なのか「お面」か分からないものを、延々と作り続ける羽目になり、つには嫌気がさして放り出してしまうのが落ちではないでしょうか。
美術品は最初期の頃は出来るだけ、一流のものを見ることを薦める方がおりますが、誠に持って素晴らしい指導方法であろうと思います。古道具屋の丁稚にはこの方法を徹底的に取るそうですが。その経験がいずれ美術品の真贋を見極めることになるとか。素晴らしい贋物は誠に持って、本物らしく見えるのだそうで・・・・
喝食(かっしき)
![渇食.jpg](http://sawarachan.up.d.seesaa.net/sawarachan/image/E6B887E9A39F-thumbnail2.jpg?d=a0)
朝鮮青磁の真贋は、もちろん全体から放つ色調から判断できましょうが、その年代判断はなかなか難しいとか。しかし、瓶の台、つまり「高台」の色合いを見れば、立ちどころに分かるとか。
醤油色の付き具合・・がそのポイントとか。やはり、日頃の勉強、感の付け所が有るのでしょう。
青磁茶碗・銘 馬蝗絆(ばこうはん)
高台 ↓ (醤油色)
![LL_C0049761.jpg](http://sawarachan.up.d.seesaa.net/sawarachan/image/LL_C0049761-thumbnail2.jpg?d=a65)
そのような訳で、面一つ打つにしても予めしておかなければならないのは、古来から伝わる名工の作の名面を出来るだけ鑑賞し、頭に焼き付けて置く必要があるのではないでしょうか。よく、カルチャーセンターなどの講習会などを見ておりますと、先生の作られた木型を写すことに一生懸命で、その完成品がどのようなものであるか、気にも掛けないような方が結構多く見られます。カンナや鋸、鑿の扱い方に忙殺されて、それで終わってしまう方のいかに多いか。
曲見(しゃくみ)
![曲見-02.jpg](http://sawarachan.up.d.seesaa.net/sawarachan/image/E69BB2E8A68B-02-thumbnail2.jpg?d=a1)
鑿の研ぎ方、扱い方は修練ですから、時間をかければそれなりに上達しますが、名品の鑑賞はしないでも、当座は何の支障もありませんが、知らぬ間にその重要性を忘れてしまい、お亀ヒョットコならぬ お面 を作成しても、ちっとも気にならないという悲劇に陥ってしまいます。
能書きだけでは面は打てませんが、仏道の修行と同じく、<教学>と<行>を並立させて行かねばならぬという、古人の戒めはここにも生きていると思います。
偉そうではありますが、先回は<能楽に於ける能面の重要とその占める位置>、そして、今回は<能面制作の在り方、学習方法>の一部を筆者の経験から書かせてもらいました。
自宅の庭の今年咲いた Old Rose
![P1071388.jpg](http://sawarachan.up.d.seesaa.net/sawarachan/image/P1071388-thumbnail2.jpg?d=a0)