白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記-0003

2013-07-30 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

臨時公開

 

以前別のブログで掲載しておりました「能面と能楽」を8/20迄、数回程、再公開します。ご覧になっていない方はどうぞ参考にしてください。

 

 
能面と能楽 
  
能楽の歴史と能面-
003
 
 

                  逆髪 (大宮大和)

           逆髪・大和.jpg



 
旧の正月も過ぎゆくと、いよいよ頃は冬の真っ只中、所によれば厳寒の季節ともなります。
今年の冬は全国的に風雪や北風が強いようで、筆者の畑の作物も、冷たい潮風混じりの強風に煽られ、作物によってはボロボロの状態になってしまいました。折角苦心惨憺して手入れをしたのですが、一夜の嵐の前にはひとたまりもありません。自然の驚異を身にしみて感じさせられました。

                            雪


さて、先回は能楽における「能面」の存在感について、しつこく書いてみました。能面打ちをされる方には二通りありまして、はじめから能楽の鑑賞を経験して、その道からこの世界に入り、そのうちに自然と能面の制作の世界に入って行く方と、能楽鑑賞などとは一面識もなく、たまたま彫刻が趣味だったとか、博物館や美術館、あるいは画廊で能面を見て急に興味をそそられ、カルチャーセンターや、その道の専門家の下に生徒や門下生や、弟子として入門して、見よう見まねで能面らしきものを打っている内に、能楽の存在の重要性に気づいて行くというような方、様々な形態があるようです。

 能の宗家で仕舞や手伝いを、若い頃からやり始めて面打ち師になられる方、あるいは生家が面打師であった方も居ります。現代の名工と言われた能面師でも、その生い立ちは様々で、最後まで独学に近いような人生(古面だけが師匠)を送られても、国の重要無形文化財技能保持者になった、故・長澤 氏春師のような方がおられるので、どの道からはいいても良いわけなのでしょう。どの道、最後はその方の努力と集中力と運と持って生まれた才能に尽きると思います。


                      猩々(ショウジョウ)

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薄暗がりの博物館で江戸時代の名工・河内の「若女」を観て、たじろぐような感動を得る。このようなカルチャーショックのような精神的衝撃が大切で、街の一角にある個展の中で、余り結構でもない能面らしきものを見て、<これなら自分でも行けそうな>と思う程度から、面打ちの世界に脚を踏み入れるなどすると、何時までも師匠を越えられず、「能面」なのか「お面」か分からないものを、延々と作り続ける羽目になり、つには嫌気がさして放り出してしまうのが落ちではないでしょうか。

美術品は最初期の頃は出来るだけ、一流のものを見ることを薦める方がおりますが、誠に持って素晴らしい指導方法であろうと思います。古道具屋の丁稚にはこの方法を徹底的に取るそうですが。その経験がいずれ美術品の真贋を見極めることになるとか。素晴らしい贋物は誠に持って、本物らしく見えるのだそうで・・・・


                       
                      喝食
(かっしき)

渇食.jpg




朝鮮青磁の真贋は、もちろん全体から放つ色調から判断できましょうが、その年代判断はなかなか難しいとか。しかし、瓶の台、つまり「高台」の色合いを見れば、立ちどころに分かるとか。
醤油色の付き具合・・がそのポイントとか。やはり、日頃の勉強、感の付け所が有るのでしょう。


青磁茶碗 馬蝗絆(ばこうはん)

                       高台 ↓  (醤油色)

LL_C0049761.jpg




 
そのような訳で、面一つ打つにしても予めしておかなければならないのは、古来から伝わる名工の作の名面を出来るだけ鑑賞し、頭に焼き付けて置く必要があるのではないでしょうか。よく、カルチャーセンターなどの講習会などを見ておりますと、先生の作られた木型を写すことに一生懸命で、その完成品がどのようなものであるか、気にも掛けないような方が結構多く見られます。カンナや鋸、鑿の扱い方に忙殺されて、それで終わってしまう方のいかに多いか。


                      曲見(しゃくみ)

曲見-02.jpg



鑿の研ぎ方、扱い方は修練ですから、時間をかければそれなりに上達しますが、名品の鑑賞はしないでも、当座は何の支障もありませんが、知らぬ間にその重要性を忘れてしまい、お亀ヒョットコならぬ お面 を作成しても、ちっとも気にならないという悲劇に陥ってしまいます。
能書きだけでは面は打てませんが、仏道の修行と同じく、<教学>と<>を並立させて行かねばならぬという、古人の戒めはここにも生きていると思います。

偉そうではありますが、先回は<能楽に於ける能面の重要とその占める位置>、そして、今回は<能面制作の在り方、学習方法>の一部を筆者の経験から書かせてもらいました。




         
自宅の庭の今年咲いた Old Rose

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白洲正子文学逍遥記-0002

2013-07-29 | 日本の伝統芸術

     

 

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能面と能楽 
  
能楽の歴史と能面-
002

般若              
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  能と能面

 能楽は一言で申せば歌舞劇である。古代ギリシャには「ギリシャ悲喜劇」、近・現代ヨーロッパではオペラが存在する。日本の古代(平安朝~室町)辺りからそ存在して来たとされている能楽も、これらの歌舞劇と大まかに見れば、大差はないであろう。いずれも面(マスク)、面(おもて)を用い、それに歌舞が付帯し、一定の筋立てが存在する。曲芸や見世物のような即興性は余りない。

江戸時代から現在まで続いている歌舞伎も、細かい部分の違いがあっても、形式的には大きな差はないであろう。ただ、能楽に象徴的に言えることであるが、面(おもて)・能面の存在は、上記の歌舞劇とはかなり違っている。つまり、面・能面の独立性が相当強いということである。


          能装束・「道成寺

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 * 鱗模様の摺箔の上に、唐織を「壺折」という形につけた白拍子

 ギリシャ悲喜劇でも西欧のオペラでも面は被る。これは飽くまで道具の一部であり、劇の主要な位置を占めていない。勿論、無ければ劇にとって支障は来すであろうが、劇そのものを根幹から突き崩すものでもない。しかし、能面(のうおもて)は違う(能の曲目によっては面を掛けない、直面(ひためん)というものはある)。

いまここでお分かりのように、能楽では面を掛けるとする。この被ると掛けるの差に注目してほしい。能楽において面は主役なのである。能楽において<シテ>は主役ではあるが、能面がなければ能楽そのものが成り立たない(直面の曲は別として)。独立性が強いという意味がここにある。西欧のそれは面は基本的に<仮面>である。能のそれは仮面ではない。

                    能装束
能衣装-001.jpg

能が始まる前には、シテは鏡の間で様々な用意が整えられた一番最後に、鏡の前で座り、面に一礼をして面を頂いて、これを顔に掛ける。面は大体顔の大きさよりも一回り小さい。付けるというのが相応しいかもしれない(曲目によって顔よりかなり大型のものもある事はある)。

この辺のところが西欧のそれらとは根本的に違う。面は能の主役であり、且つ、神聖なものなのであり、道具レベルのようなものではない。能の各流派に於いても、一様に能面は大事に面箪笥の中に面袋に入れて保管される。また、誰かれが自分勝手に触ったり、持ち運びは出来ない。

能面を彫る能面師はたとへ相当の技量の者であっても、そう簡単にその面を観たり、拝借できるようなものではない。能面は各流派の象徴でもあり魂でもある。外部の者は許しがなければ、虫干し以外にはお目にはかかれない。能面の研究者が簡単に育たない理由はここにある。<ちょっと見せて>なぞという世界ではない。

能樂」の能書きの一番最初にまずこれを申し上げておきたい。

                     能装束
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 余談・冗談レベルにはなるが、筆者のようないい加減な素人の能樂研究者にとっては、「能面」だけ見ておれば良いので、また、関心があるのであって、面の能の曲の中の位置、存在性なぞは余り関心がない。極論を申せば、「能面が有って能という曲が存在し得るのだ」位までに思ってる。ただ、一つだけ申せば、能における能面の象徴性・独立性はよく理解しているつもりである。
専門家が聴けば<暴論>の類だろうが。これだけでも、同じ「」とは言いながら、西欧のそれとは全く違うのが分かるであろう。

                      能装束

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本日はいろいろな能装束をご紹介しているが、人のよっては能面も能楽も興味はないが、染色の好みから能装束に凝っている方も、数の中には居られる。ご婦人方には割と多いかもしれない。筆者が以前住まいしていた滋賀県・近江は、昔から良質の絹の産地であり、且つ水も良いことから、三味線の弦や能装束の染色、製造が盛んである。

能楽資料館」を民間の会社が公開しているが、機会があれば訪れて貰いたい。ご婦人だけでなく男でも、その色鮮やかな能装束の陳列ケースを見ると目が点になる。草木染めという化学染色に見慣れた者達には、唯、その美しさには驚くばかりである。

日本画のみならず、染色の世界の色数の豊富さは世界に冠たるものである。簡単に「」と言っても、<紅>、<蘇芳>、<臙脂>、<朱>、<緋>・・・この違いがどの程度お分かりになろうか。すぐ違いが分かる方は素晴らしい。これから機会を見て能衣装もご紹介する予定です。

                     紅花  (紅の原料)      
   
  

       唐紅
博多献上半幅帯 唐紅色地金魚 23.500円 絹100パーセント

 

           ワインレッド
 

次回は能楽の歴史的展開について書いてみたい。

 

白洲正子文学逍遥記-0001

2013-07-26 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

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臨時公開

 

以前別のブログで掲載しておりました「能面と能楽」を8/20迄、数回程、再公開します。ご覧になっていない方はどうぞ参考にしてください。

 


能面と能楽
 


能楽の歴史と能面-001


 ご挨拶



三輪明神

 
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  以前、他のブログで「
能面 能衣装 面袋」という似たような題名のようなものを公開しておりました。先日まで公開しておりました「日本の伝統芸術と芸能」から能楽・能面の部分を移動して、新しく内容も一変して公開することにしました。内容的には「白洲正子・能面」と「岩波講座・能狂言」を典拠として、筆者の長年の微々たる研究を加味して構成することにしました。
                       

                                                     白洲 正子 

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 能面と能楽は室町時代から安土桃山時代ににかけて、ほぼ完成位の域にに達していた日本の古典芸術でした。江戸時代に入ってから武家社会の式学として取り入れられ、多くの能面師を抱え、大量の能面が写という形で制作されました。出目家という職業的能面製作集団が江戸に住み着き、明治時代になって能楽が衰退するまでその伝統は続きました。

明治時代以降は職業的面打ち師の系譜は途切れ、仏像彫刻家からの面打ち師への転身、その他の芸術分野から、あるいは一般の素人大衆の趣味趣向によってなど、様々な形態の方々が面打ちを行うようになりました。
本来、面打ち師というのは、能舞台に掛けることを目的とした職業的専門家です。趣味で面を打って自宅の床の間にかけるような作品は、能面とは言いません。その辺りは峻別して考えることが必要です。

筆者のように単に床の間や壁にぶら下げて、悦に入っているレベルでは、それは「お面」ということになります。・・・・「小面」一つ取っても、型を覚えるのに10年掛かる・・・・と先年、逝去された名人がおっしゃっておられましたが、それはそれは大変な時間と修練が必要だと思います。 ところが素人は悲しいことに、数々の面を大量製作をするのですが、出来上がったものは、<小面>なのか<お亀>なのか、そもそも能面なのか何なのか分からないのが大方です。

        小面  赤鶴 作                                                                                              

                                                  

 

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それはひとへに本物の能面を直にこの眼で見ていないからかもしれません。一般の素人が舞台に掛けることが出来るレベルの能面を持たれているということは、極めて稀だと思います。何故かといいますと、本物の能面が市井に出回るということは、平和の状態ではまずありません。財産整理などでたまにオークションに出品されることがあり有る位です。 現代作家の能面でも名人クラスですと、¥3.000.000円位でしょうから、小遣いで素人の方が買える値段ではありません。 ましてや、古典の時代の能面などはほとんどないでしょう。有ったとしても桁が違う値段になるでしょう



     孫次郎・橋岡 一路 作                         

   

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本物の能面をご覧になるのは、どうすれば良いか。
能楽堂に行けばいいじゃないか>と言われるかもしれませんが、ほとんど無理ですね。顔に面を舞台で付けて舞うのですが、能衣装を付け面の周りに数々の飾りなどを付けてしまいますし、大体照明が暗いし、客席から舞台は距離がありますから、視力2.0でも3.0でもなかなか無理だと思います。これは、TV放送で面がアップして撮されてもなかなか難しいのです。

演目が解かれば、面の種類は決まっているのだから簡単だ>というでしょうが、流派によって使う面が違うこともありますので、思わぬ間違いをしてしまいます。<じゃどうしたらいいんだ
>ということになりますと、面の鑑賞の経験、つまり己の眼力と面の毛書きによって識別するしかないのです。女面は特に難しいのです。

                                     能衣装                           

                                    o0220024612307535144.jpg




ということで、泥縄ですがこれから白洲正子著<能面>などを教科書にして、できる限り資料の中の本面を参考にして覚えていただくか・・・これがこのブログの目的になりますが・・・美術館、博物館、能楽資料館、宗家の虫干しの時に古典の本面をご覧になるのが、一番間違いのないやり方です。<それなら能面の美術書を買えばいいのじゃないか>と考えられるでしょうが、良い本は市中には余り出回っておりません。 マニアや専門家が全部買ってしまいます。たまに有っても一冊100.000円とか、¥50.000円とかがほとんど。素人にはかなり負担です。
 
    白洲正子著・「
能面

                                                                           

                                

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安い本はある事はあるのですが、図版が縮小されておりますし、正面の写真のみが殆どですから、ものの役に立ちません。ななか勉強しづらい分野なのです。それが為に失礼ですが、小面がお亀の面になって見えても、本人にはなかなか判断が出来ないのかもしれません。また、そんな方に限って展覧会を画廊で開かれるのですから、ますます困ったことになります。そのような方が素人に「先生」なんて言われたら、もうどうしょうもありません。


何事も基礎が大切だと思います。 一番良いのは本物の能面師に小言を言われながら、打つのが一番でしょうがなかなか京都や名古屋、東京、大阪、奈良辺りでないと無理なことがあります。地方の方はコツコツと資料(本)を集め、たまに博物館、資料館に行かれるのがベターかと思います。

        童子・羽生 光善 作


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このブログでなんとかその辺りをお手伝いさせていただきたいと思っております。面は本物を写真で撮影し、お見せするのが一番良いのですが、それはほとんど無理です。その代わり筆者が10年ほどかけて集めました古書の面を撮影して(
腕に自信が今もありません)ブログに貼ることにします。それで納得して頂きたいともいます。

本日は最初ですので、能面についての勉強の仕方を書いてみました。


 
 

白洲正子文学逍遥記-007

2013-07-20 | 日本の伝統芸術

 

 

白洲正子文学逍遥記

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

                   -007・室生寺最終回

 

 

 

 盛夏たけなわの頃となりました。連日青空の日が続き、たまには雨が恋しい季節です。太平洋高気圧がどっしりと西南諸島の上に圧し掛かり、台風も遠慮をして通り過ぎる始末、おかげで中国や朝鮮・中国方面や、本州の中国・東北地方が大雨の被害を受けているようです。少し、お裾分けを頂きたい位です。

連日、室内も30度付近で固定されたような按配。外にうかうか出ると強烈な紫外線にやられてしまいますので、つい自宅内で貝殻を整理するような始末。もうすぐ小中学校等の教育機関が夏休みに入ります。離島の一番華やぐ頃となりましょうか。

 

                                     

桜の季節頃に室生寺に入山してから数ヶ月、漸く寺の寺域の中は回り終えたようである。以前近鉄榛原駅から古い参道を野を越え山越えして、室生寺の南の奥に鎮座する竜穴神社方向から、室生寺の桜の満開の風景を眺め降ろした事がある。 Y字型の狭い谷間の中の森の茂みの中に室生寺は桜に埋もれていた。 辺り一隊は高い山塊に覆われている。

室生寺の僅か上流に竜穴神社がある。このあたりは著書も度々著しておられるように、水神や竜神に係わりのある地名が多いようである。「赤目四十八滝」は夙に有名である。室生寺には4~5回訪れた経験が有るが、滝の傍には行った事がない。観光地化しているのだろうという勝手な推量で足が向かなかったのかもしれない。著書を読んでみて、車で走っておけば良かったと思っている。ただ、道が険しく細いという現状でもあるので、躊躇ったのかも知れない。

 

 

 室生寺の付近一帯は谷川、滝、水流など水に纏わる自然に覆われ囲まれている。 竜神、水神信仰は古代日本の民俗学的な信仰形態から発生してきたものであろうが、それに大陸から伝来してきた仏教が混交し、十一面観音信仰が次第にこの辺りにも浸透していった事であろう。著者も著している事であるが、榛原の南にある佛隆寺辺りを「赤埴」(アカバネ)・・アカハ二・・や曽爾が朱の生産地であった事は興味深い。

以前にも筆者がこのブログの中で書いたことであるが、全国には至る所で「丹生川」、「丹生神社」なるものを見かける。 水銀の原料である朱に纏わる名称である。 宇多下水分神社・・中社・・上社・・吉野丹生神社に達するそうである。その先には高野山が控えている。

 

 

面白い事に宇多下水分神社・・・室生寺・・・大野寺・・・伊賀上野・・・近江と越前を繋ぐ山塊の中にも丹生川が存在し、朱の生産地になっている。日本列島を斜めに横断した、巨大な朱の鉱脈が存在していたのかもしれない。山岳宗教の行者によって発見され、それが彼らの活動の拠り所になった来たのも事実である。その先端に咲き誇った華が弘法大師空海である。 

古代朝鮮の百済、新羅を経由して古代の大陸文化が伝播してきたのであろうが、いずれにしても若狭がその上陸地点で有ったことは間違いのないことであろう。一つは小浜から鯖街道を越えて山城・・平城奈良へ、一つは越前若狭の辺りから琵琶湖の北岸を経由した、丹生の鉱脈沿いであろうか。それが何れも飛鳥の地で合流する。大いなる古代ロマンを感じさせるではないか。 

著者もこの辺りで「能面」・「能楽」に触れているので、筆者も立ち入ってみたい。世阿弥の生まれた伊賀の小波多も宇田川沿いの延長線上に存在している。

 

                      飛出室生大野 

 

 筆者が在世のころ室生大野の檀家が預かっていたと言う竜神の面「飛出」である。竜穴神の御神体として秘蔵されている様であった。

飛出」は能面のカテゴリーでいえば、鬼神・鬼畜を主役とする曲に付ける面(おもて)である。世阿弥の「申楽談義(サルガク)」にも、この能面についてに記述が見られるようである。

 

 ・ 近江には<赤鶴(しゃくつる)>と呼ばれる名人がいた。鬼の面の名人であった。大べしみ、小べしみ・・

 ・ 大べしみ は大和べしみ と呼んでいた。飛出、べしみ、天神の名が出てくる。

 

菅丞理(菅原道真)の石榴、くわっと吐き給えるところを打つ」・・・という記述が飛出を表している。著者によれば形式としては飛出の方が古く、天神は世阿弥の言葉から生まれた表ではないかと書かれている。

世阿弥親子(観阿弥・世阿弥)が活躍する室町時代初期を遡る南北朝時代には、猿楽にも田楽にも鬼が登場し、その際に鬼の面を付けていたようです。貞和5年(1349)の京都四条河原で催された勧進田楽のことは「太平記」巻27に記されており、この頃の猿楽や田楽では、動物や鬼を演ずるときは、必ず面をつけていたことがわかる。

 

  大飛出                         小飛出

        

 * 「小飛出」・・・室町時代の作で岐阜県 長滝・「白山神社」蔵

 

大飛出」・「小飛出

   飛出の名の由来は、眼球が飛び出ていることによる。 カーッと見開いた眼球、眉が三日月状に釣り上がり、眼球の部分に金具が嵌め込まれております。瞳孔が少し内向きに穿って工作がなされているので、天上から下界を見下ろすような相貌になっている。面の表面は金箔が塗られている。隣の「小飛出」と比較すると、スケールの大きさと力強さに満ち溢れているのがわかる。また、大きな耳がある。 

                                       

                                       天神 

 

 * 元亀二年(1571) 須波阿須疑神社・福井県

 

 次回は類型の「釣眼」「猿飛出」などをご紹介したい。 

能面の紹介とは別に「十一面観音巡礼」も漸く水神の里・室生寺を去り、奈良市内の「秋篠寺」に次回は向かう事にする。

 

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白洲正子文学逍遥記-006

2013-07-13 | 日本の伝統芸術

 

 

白洲正子文学逍遥記

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

                                    -006

 

古くから竜神信仰の霊場として名高く、興福寺の僧・賢景によって奈良時代末期に創建された室生寺・・その後興福寺、天台・真言密教などのさまざまな宗派の影響を受けてきた。

今回は御影堂、五重塔、弥勒堂、灌頂堂をご紹介することに・・・ 

 

奥の院 御影堂

 

     

        五重塔  

                                 

 

  室生寺の金堂から北西方向に眼を向けると、美しい五重塔が見えてくる。全国の仏閣には五重塔は多いが、その端麗な美しさの第一に挙げられるかと思われる。一般的な五重塔の高さの1/3程度だそうである。

         五重塔

 

平安初期の創建だそうであるが、平成10年の台風で倒れてきた大木によって、桧皮葺の屋根が大きく破壊され、可なりの損害を受けてしまった。桧皮自体が貴重品であったから随分と苦労されたと思う。五重塔を通り過ぎると杉木立の間を300段ほどの石段が「奥の院御影堂」に向かって続いている。

最近は石段がどのようかは記憶にないが、冬の寒い日に革靴でこの階段を登っていった事がある。足元は氷のような石段で覚束なく、転べば怪我ぐらいでは済まない急斜面である。心底恐怖を感じた。安易に思いつきで冬期間は登るべきではない。

 

 

思えば、過日高野山で参拝して、帰り道一度も通った事のない断崖沿いの道を、麓の橋本までウネウネと曲がりくねった山道を、車で降りた事がある。

道幅は一車線。下は断崖。途中であろうことかダンプとすれ違った。その時は断崖側に我が車があったからその恐怖たるやすざまじいものであった。どちらがキツカッタかは比較も出来ない。山寺の恐怖であった。慣れぬ事はするものではない。

そのような訳であるから、「御影堂」の記憶は欠落してしまっている。大汗をかいた記憶のみがハッキリ残っている。御影堂は弘法大師42歳像が安置されていると言う。拝観は出来ない。山の頂上には「七重の石塔」が見える。

 

                  弥勒堂      

 金堂の斜め下にあるのが、「弥勒堂」である。

 堂の中には本尊の弥勒菩薩立像が安置されている。カヤを用いた壇像造りである。

 

 

                                  弥勒菩薩立像・95.4cm

 

                 蓮の花を持たれている状態の写真もある。

 

 

胸飾りや瓔珞などの装身具は一木から彫り出されている。興福寺・伝法院から招来されたものとされており、鎌倉時代の作とされている。

 

 釈迦如来坐像

 

 平安時代前期(9世紀)の作とされている。かや材で彫刻されている。像全体に白土が下地に塗られているので、創建当初は極彩色の仏像であったであろう。頭部は現在は剃髪したようになっているが、元々は螺髪が(一個一個彫られたもの)が貼られていた可能性がある。

 

 

 衣文は装飾性のある翻波式衣文となっている。渦巻き衣文がアクセントを付けている。

 

         灌頂堂

 

 五重塔と金堂の間にある灌頂堂は本堂でもある。鎌倉時代の真言宗の灌頂が行われた建物で、内陣と外陣の二箇所に分かれている。神社ので良く使われている手法でもある。密教系の仏堂の古式間取りの形式を採っている。

 

                                      如意輪観音坐像

 

如意輪観音は一面六ぴである。78.7cm。平安時代の作。漆を下地としてその上から彩色しているようにも見えるが、詳細はわからない。佛顔は古風な中に温かみのある穏やかなお顔である。

 

   

答礼

加賀梅鉢

                                                

 

 1998年10月ニュージャージー州のとある骨董店で並べてあった人形を眼に留めたコレクターが買い求めた人形が、実は答礼人形であったのです。現在は個人所有になっております。その後の調査で、この人形は「ミス 関東州」である事が判明しました。Miss モモちゃん

 

所蔵場所    ニュージャージー州  個人像  瀧澤 光龍斎

花 紋        加賀梅鉢

                  Miss 関東州 (満州子・ますこ)

 

上の写真と色合いが違うように感じるでしょうが同一人形です。この人形は高岡 美智子著「人形大使」のよれば、<不明人形>ということになっている。ところが、マサチューセッツ州ビバリーにも、一体の別の個人像の答礼人形が存在していた。

 

                           九枚笹

 

所蔵場所    マサチューセッツ州ビバリー  個人像  作者 岩村 松乾斎

花 紋        九枚笹

当初、バーモント、ニューハンプシャー州の二州へ贈られた答礼人形だったようである。その時「Miss 関東州」とされたようであるが、実際は違っていたのです。現在調査の結果この人形は日本の何処から贈られたものかは残念ながら判明しておりません。写真で見る以上に痛んでいるとの事。とても残念ですね。日本に送り返し修復したら、何か解かるかもしれませんね。

 

                   岩村 松乾斎 作

 

この人形は最近になってオークションで個人が買い求めた人形なのです。不思議な因縁ですね。取り違えられてオークションで売られてと、共に悲しい経験を経て理解のあるコレクターの手に渡る答礼人形も有ったという事です。とても綺麗な顔立ちの人形ですね。

次回は海外出身のMiss 朝鮮とMiss 台湾 をご紹介しましょう。

 

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