白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記 番外編-03

2017-02-12 | 日本の伝統芸術

 

 

 

 白洲正子文学逍遥記 番外編ー03

 

 

 

 

2010/12/25(土) 午前 7:09

   

 

番外編として第3回目となります。これ以降はこのブログにて進めて行きたいと思います。

先日来、韓国での対馬の寺から盗難にあった仏像の裁判が、韓国・大田裁判所であった。

いろいろ調べていたら、思い掛けない写真をWEBで偶然発見した。

最初は似ているなという程度であったが、細部を丁寧に観察すると、まったく同じ仏像であることが分かった。

左の写真の座像佛が問題の仏像である。これがWEBで公開されていた問題の仏像の写真である。

 

WEBに公開されていた仏像

 

 

この写真は地元の方が、2010/12/25に地元(対馬)の豊玉町小綱の親戚の通夜の時に、撮影されたもののようである。

対馬の浅茅湾の近くの町である。盗難事件は2012/10/08である。二年ほど前の撮影であった。

仏像のお顔の表情や印相は全く同じである。まごうことない同一の仏像であった。

http://blogs.yahoo.co.jp/milkmikky22/62028886.html 写真の有ったブログ 

 

宝冠 

 

     

 

上記の仏像は横蔵寺と円成寺の大日如来である。 運慶一派の慶派の流れをくむ代表的な仏像である。

よく見ると・・佛頭の部分が少し違う。 つまり、宝冠が欠落しているかないかの違いである。

胸の瓔珞はどちらも残存しているが、横蔵寺の仏像の宝冠は欠落している。

 

 

 

 

 

筆者は 初めてこの写真をWEBで見た時から、頭部の髻や毛筋の表し方に、違和感を持っていた。

少し簡略しすぎているような感じである・・この仏頭には宝冠があった筈だ?・・・

今回、その予感は的中した。もともとこの仏像には宝冠が仏頭に置かれていたのである。

 円成寺の仏像の宝冠とは形式が少し違うが。

 

 円成寺・大日如来

 

 

 

 

 宝冠の左の方は下の肩先まで残っているが、右肩にはそれが見えない。

右肩に突き刺さるような突起物も左にはない。報道の写真にはそれらは見えない。

何故、無くなったかはいろいろ考えられる。これについては次回以降に書いてみたい。

 

 印相

                                                               阿弥陀如来

      

 

 両者を見ると同じ印相がみられる。この問題の仏像はお顔を見ると観音菩薩である。

筆者も経験から考えて、ほぼ直観的にそれが分かる。

事件の段階からこの仏像は「高麗佛」とされていたようであるから、

窃盗に遭われた寺の名が「観音寺」であるから、昔、この寺以外から運び込まれたことは確かである。

それがどのような事情を持っていたかは不明である。

地元の教育委員会や専門機関の調査で、その程度くらいはすでに分かっていたであろう。

 

韓国の大田地裁の判決の中で、仏像内に文書があったことが判明している。

日本の専門家はそれについて調査していたかは判然としない。

今回は事実を有りのままに、お知らせした次第である。

この事件は捜査中の案件であるから、その分野には立ち入らない所存である。

この辺は読者はご留意願いたい。

 

次回はこの仏像の歴史的な面の問題を考えてみたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


白洲正子文学逍遥記 番外編-01

2017-02-12 | 日本の伝統芸術

 

 

 白洲正子文学逍遥記 番外編ー01

 

 

 

大分長い間お休みしておりました。

今回は、少しの間先般来隣国の韓国と我が国の対馬との間で問題となっておりました、

盗難仏像の韓国裁判所での判決にかかわる事件を、取り上げて見たいと思います。

「サワラチャンの加計呂麻島日記」にも連載しておりましたが、こちらの方が相応しいと考え、

今回、内容が同じですが移動させて掲載し、以降はこのブログで連載いたします。

 

 

対馬の仏像盗難事件 その1

 

 

先日来ニュース面を賑わした対馬の盗難仏像の韓国裁判所の判決が有ったのはご承知の通り。

日韓の間で喧々諤々の意見が飛び交っている。最近は慰安婦の少女像の設置に絡んで、政治状況が大変な状態だ。

今回は政治状況の問題は一旦横に置いて、純粋に文化財からの視点で書いてみようと思う。

 

5年前に長崎県対馬市の寺から盗難にあった観音佛

 

 

筆者は文化財や仏像関係の専門家ではないが、長年足を使って数多くの仏像を神社仏閣や博物館等で観て来ている。

そのような経験を基にして、この仏像を論じてみたいと思う。 

 

 

 

 

この観音と称される仏像。お顔立ちからはそのものずばりの観音像である。

しかし、仏像の印相を見ると疑問が出て来る。仏像の印相を見て頂きたい。

 

  阿弥陀如来

  

 仏像の手の形や組み方を印契あるいは印相といい、略して「印」と呼ぶが、この観音像は例に挙げた阿弥陀如来と同じである

 

 

観音像の印相

            

 

例として十一面観音、聖観音、如意輪観音を見てみると良く理解できる。

如来とはまるで違うという事が解るであろう。

 

仏頭の髻(もとどり)

    

 

仏頭の曲げ=髻・・が右の大日如来に同じ

また良く仏頭を良く見ると、以前は仏頭に宝冠が有ったようにも見受けられる。

大日如来

 

上記の大日如来は運慶の慶派の代表的な仏像である。下段の円成寺の大日如来は誰でも教科書で覚えが有るはずだ。

対馬の「観音寺」の所有物とされているので観音とされているが、元々は如来系の仏像ではないかという憶測が成り立つ。

 

仏像の鑑定

仏像の鑑定は専門家の手によって、科学的に行われている。日本では東京芸術大学に専門の教育機関が大学院にあり、

奈良の国立博物館等でも研究機関が、専門家の立場で仏像の鑑定・修理修復を行っているのが日本の現状である。

仏像の外見的な様式、仏像に付帯する文書資料、仏像内の様々な資料(体内仏や文書他)

だけでなく、仏像の材質まで科学的に検査するのである。木造で有れば木の材質(檜など様々)で産出地まで分かる。

 

 

金属はブロンズで有れば銅と錫、その他希少金属の混合割合が、時代や国ごとに違うデータを使って、

大凡、製作時代や国まで特定できるのである。韓国の研究機関でも同じ手法が取られている筈である。

今の段階では詳細が発表されてはいないが、仏像体内に文書が有ることは判明している。

この文書の内容からは更に詳しい内容は判明できる。後はこの文書の真偽だけである。

 

 

今回の段階ではこの仏像の外見面だけを取り上げて検討してみた。それだけでもこの仏像の問題の謎が出て来た。

 

 


白洲正子文学逍遥記 番外編-02

2017-02-09 | 日本の伝統芸術

 

 

2月に入ってから暖かい日が続いています。山の中でイノシシを撃つ猟銃の音が木霊している。

緋寒桜も咲き始め蝋梅も花開いています。もう春の足音が強く響て来ています。

 

      

 

先回に続き 

 

 

 対馬の仏像盗難事件 その2

 

 

筆者は文化財や仏像関係の専門家ではないが、長年足を使って数多くの仏像を神社仏閣や博物館等で観て来ている。

そのような経験を基にして、今回もこの仏像を論じてみたいと思う。

 

先般韓国の地方裁判所で、対馬から盗まれた観音寺の所蔵する仏像に対する判決が言い渡された。

「韓国の忠清南道瑞山寺・曹洞宗・浮石寺(プソクサ)に対して、問題の仏像を引き渡す」という判決。

しかし、韓国検察庁はこれを不服として控訴をして、同じ裁判所で控訴事実が認められた。

結果的には浮石寺への即時引き渡しは停止された。

 

この判決を読んで、不思議に感じる点がすぐ分かる。

1-この仏像の体内に納められていた文書の存在は認めたが、内容を判決の中で公開していない。

2-この仏像を高麗佛と認定した。          

判決文の内容を実際に見ていないので、軽率なことは書けないが、

少なくとも韓国の文化財研究所等の科学的な鑑定を基に、司法判断したものかは疑義がある。

また、浮石寺の倭寇による盗難流出によるという証拠も確認していない。

寺の言い分を一方的に認めただけである。これでは初めに結論ありと言わざるを得ない。

初めから政治的な意図をもって、主文を決め、それに見合った判決文を書いたに過ぎないと言わざるを得ないのである。

 

韓国の検察庁がどのような意図を持って、控訴を決めたかは色々考えられる。

ハッキリ分かっていることは、

韓国裁判所の判決で、この仏像等の窃盗犯8人のうち、7人が懲役1~4年の実刑判決。一人は無罪であったことだ。

2012年に盗まれた対馬の文化財は、「銅造如来立像」(統一新羅時代)、「銅造観世音菩薩坐像」(高麗時代)、

「大蔵経」であった。未だに「大蔵経」の行方は不明となっている。経典は小さく分割できる紙製のものだから、

幾つかに分けられて蒐集者に手渡った可能性が高い。何れにしても韓国司法当局は盗難品と認定したのである。

しかし今回の裁判の案件となった「銅造観世音菩薩坐像」の日本への返還を認めなかった。

 

文化財不法輸出入等禁止条約(1972年発効)

 

国際的な文化財の取り決めには、上記のような条約が有る。文化財の不法な搬出を禁ずる国際的な取り決めだが、

発効以前(1972年)に起こった問題には適用されず、盗難品に限られている。

本来なれば盗難品であることが明白であり、1972年以降の事件であり、犯人の処罰もされている事から、

即日、日本に当該仏像は返還されてしかるべきである。しかし、そうはならなかった。

 

世界中にはこのような文化財の返還問題はたくさん存在する。

英国の大英博物館やドイツの博物館には、超国宝級の他国の文化財が存在するのは事実である。

ロゼッタ・ストーンやエルギン・マーブル、ネフェルティティ胸像など・・

しかし、所有している側は正当な手段で入手した主張して、難航する場合が多い。

 ロゼッタ・ストーン、エルギン・マーブル、ネフェルティティ胸像

       

 

 

ナチスがフランスなどから略奪した文化財 

     

 

最近でも ナチスがフランスやオランダなどのヨーロッパ諸国から略奪した文化財が、

政府間の取り決めによって返還された案件も数多い。

今回の問題は仏像や経典など、アジア独特の歴史的な経緯が関係し、日韓の政治的な問題が絡んでいるので、

単に法律的にすんなり解決するレベルの問題ではなくなっている。

 

慰安婦像設置問題・強制労働者像問題 

   

 

文化財の返還問題だけに限るのであれば、本来関係ない筈ではあるが、最近の日韓には多くの歴史的因縁の有る政治問題や、

一見関係ない筈の「南京大虐殺」の問題までが政治問題化し、それが微妙に影を落としている。

 

APA HOTEL の歴史書の問題

 

      

 

この項では政治問題は取り扱わないので、これ以上論術しないが、唯でさえややこしい問題を一層解決困難に仕立て上げている。

次回はさらに踏み込んで、今回の高麗佛と言われる仏像の由来の、歴史的な真相について迫ってみたい。