白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記ー「十一面観音巡礼」編-033

2015-01-30 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

十一面観音巡礼」編

033

 

 

 

避寒桜・・<瀬戸内町役場>

 

奄美大島の避寒桜が今満開を迎えようとしております。

 

 

 <お知らせ>

 

 

既に2週間ほどブログを休載しましたが、現在今年4月からのブログの大幅な改定の準備をしております。資料の読み込みや準備に大わらわです。加計呂麻島に来て4年目の春になりました。出来るだけ斬新さを兼ね備えようと日々工夫に余念がありません。

 

つきましては、勝手ながらブログの休載(3本)を2014.03.31」まで継続することになりました。何時も観てくださる方にご迷惑を掛けますが、よろしくご理解の程お願い致します。

 

 

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お願い致しま~す!

 

 

* <花咲きおまささんのBLOGから掲載・・・サワラちゃん


白洲正子文学逍遥記ー「十一面観音巡礼」編-032

2015-01-09 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

十一面観音巡礼」編

032

 

湖北の旅

 

渡岸寺-01 

 

七草も過ぎ寒の入りに至る頃となると、全国的に冷たい北風が吹き荒れ、ところによっては豪雪、吹雪の日が毎日続くようになります。皆様のところは如何でしょうか。奄美群島も毎日冷たい乾いた北風が吹き続く毎日となっております。そうは言っても11℃~13℃位で、北国から比べると何のことはありませんでしょうが・・・

昨年は「十一面観音巡礼」の長い旅は、奈良の東大寺から美濃の日吉神社まで、大凡1年がかりでした。本年は後、近江、紀州那智までの二地域を残すだけとなりました。当初、一年程の旅と予定しておりましたが、足掛け三年の旅となるとは思いも寄りませんでした。よくもまあ諦めずに旅を続けられたと思います。

 

奥琵琶湖から長浜方面を見る 湖北

 

恐らく今回の「北近江」にある「渡岸寺・十一面観音菩薩」が在るが故に、是だけ息長く続けて来れれたのかもしれません。皆さんも「同行二人」の巡礼宜しく連れ立って、このブログと一緒に歩いてみてください。

 

比良山系を湖南方面から見る 内湖

 

大きなパノラマ写真をご覧になって、どちらが強く皆さんの記憶に残っていますでしょうか。恐らく圧倒的に下の比良山系の写真だと思います。

筆者は以前、写真の右側に見える琵琶湖大橋の袂付近の「小野」と呼ばれる辺りに住んでおりました。そして、ここに引っ越してくる前は、上記の写真の奥琵琶湖の中央の、小高い山のある付近の丁野(浅井町)といわれる、現在の長浜市内に住まって降りました。その関係から二枚の写真はとても懐かしさの込み上げて来るスナップ写真です。

 

琵琶湖

 

大まかに見ると、近江は5地域ほどに分類できます。地域によっては歴史も文化もそれなりに違っており、湖北は若狭方面を経由した朝鮮の新羅の影響が色濃くなっております。それに引き換え、大津・滋賀や湖南は遠く奈良方面からの影響が強く見られます。

湖北、湖東方面は特に十一面観音の本場とも言うべきほどに、著名な仏像群が多いのが特徴でしょうか。白洲正子著「十一面観音巡礼」も先ず湖北から始められているのも、これが大きく影響しているからでしょう。それではゆっくり参詣を開始しましょう。

 

 

渡岸寺 十一面観音菩薩

 

北近江を代表する十一面観音菩薩といえば、渡岸寺の観音が有名である。聖武天皇の御世、泰澄が創建した渡岸寺は現在「向源寺」という寺の寺域内にある。著者が始めてこの寺を訪れた頃は、今と違って案内板もなく、人に尋ねながら探し当てるような形で、やっと目的の寺に辿り付いたものである。

   

                                                   ↑ 観音堂

現在は文化財の管理も良くなって、下の写真のような状態(新・収蔵庫)であるが、筆者が訪れたときは、上の写真のように田圃の中に寂しく観音堂が建っている状態であった。観音菩薩の像は渡岸寺の左隣の仮の木造の建物に祀られていた。

新・収蔵庫

 

 

筆者はたまたま観音堂の近所に住んでいたので、時々訪れては参拝をさせてもらっていた。

朱印帳

 

 

当時は観音堂の管理は近所の住民が当番で行っていたので、見学ものんびりしていて、対応も顔を知られていることもあり長閑な雰囲気であった。現在はどのように観音像が収蔵庫で祀られているかは定かではないが、そのころは像に触れようとしたら何時でも自由に出来るような環境であった。像の周りを360度回って、思う存分拝見することが出来た。<大爆笑面>もじっくり見せていただいた。

 

 

泰澄が建立した後の渡岸寺は、七堂伽藍を備えた大寺であったが、その後の戦火で寺は廃され、仏像は村人によって土中に埋められて戦火の治まるのを待った。その為か金色に輝いていた像は今のような黒い漆が木地に塗布されたような状態となったのである。近寄って良く見れば像の所々に、塗布した金の存在を確認することが出来る。

初めてこの観音像を拝見した時、この仏像は別な大寺から運び込まれたもので、近在の寺の仏像ではないと判断していた。兎に角、仏像の彫刻技術のレベルが奈良の高名な寺の仏像に、勝るとも劣らない、あるいはそれ以上に感じていたからである。

この地は戦国時代に織田信長の好敵手・浅井長政の小谷城の麓に存在している。近くの山々には今でも有名な十一面観音の宝庫ともなっているほど、その昔は大寺が犇めいていた事であろう。

次回はいよいよこの十一面観音をご紹介したい。

 

 

お知らせ

次回のブログの更改は01/030とします。

 

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白洲正子文学逍遥記ー「十一面観音巡礼」編-031

2015-01-01 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

十一面観音巡礼」編

 

 

 

謹賀新年

 

 

 

新年明けましておめでとうございます。

 

昨年は美濃まで十一面観音巡礼の旅は続きました。

本年は滋賀県の北近江から数多くの十一面観音菩薩をご紹介します。

北近江は筆者が数年前まで十数年に渡って住み着いたところ

国宝・渡岸寺十一面観音菩薩像を始め数多くの観音の里です。