白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記-「十一面観音巡礼」編 -002

2014-02-10 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

十一面観音巡礼」編

西大寺

003

 

 

 西大寺・本堂

 

 

連日のように気温の高低差が激しく、春のような気温になったと思えば、翌日には北風が吹き荒れ肌寒くなるといったような日が、代わる代わる続いております。 既に緋寒桜が満開になり、天気の良い日などは赤や黄色の花々が、辺り一面を覆っている景色が其処此処に見受けられます。

前回までは「四王堂」と「愛染堂」をご紹介しましたが、今回はいよいよ西大寺のメインである「本堂とその仏像群」をご紹介しましょう。

 

本堂

西大寺の本堂は光明真言堂の後身で、寄棟造り・本瓦葺で、土壁を使わない総板壁の建物です。本堂内には本尊の釈迦如来立像、文殊菩薩五尊像などの、重要文化財が安置されている。

 

釈迦如来立像

 

西大寺釈迦如来 167cm 

 

 

鎌倉時代に叡尊の意を受けて、建長元年(1249)に善慶(善円)ら仏師9人が京都・嵯峨清涼寺釈迦如来像を模刻したものが、この本像である。 世にこの様式を「清涼寺式」と称し、中国宋時代の仏像で、インド伝来の生身の釈迦とされた霊像を模したものである。

 

嵯峨清涼寺・釈迦如来 

  

 

頭部は独特の縄目状で、衣文は肌に纏わり付くような様式である。

清涼寺式釈迦如来の彫刻方法 

 

 

衣文の表現手法がギリシャ彫刻の影響を多分に受けているとされている、ガンダーラ佛から影響を受けていることが分かるであろう。 中東以西の彫刻技術がタクラマカン砂漠を踏破し、古代中国を経て朝鮮や、直接東シナ海を越えて日本に伝播されて来た。

ガンダーラ佛 

                                  

 

 日本の諸寺の作例

                                           

 

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「 西大寺の宝物

国宝 

 

鉄宝塔・172.7cm

 

 

鎌倉時代 叡尊が願主となり造立された鉄製の宝塔。塔の中には下記の宝瓶形の容器に、叡尊が生涯に渡って収集した5447粒の舎利(釈迦や高僧の骨の粒)が納められている。

 

舎利瓶(シャリビョウ)

 

下記の舎利塔も銅製・鍍金製で、鉄宝塔と同じく舎利瓶が納められている。 

 

金銅透彫舎利塔・37cm

 

舎利は様々な神変を起こすとされている。キリスト教での「聖骸布」のような超自然的な霊的効果が有る様である。本来的に仏教はキリスト教と同じく偶像崇拝を禁じる宗教的教義を持っている。

 

トリノの聖骸布

 

聖骸布・・・キリスト教の聖遺物の1つで、イエス・キリストが磔にされて死んだ後、その遺骸を包んだと言い伝えられている布。確かに横向きに人の顔と組んだ両手が布に浮き出ている

・・・聖骸布に関する今回の研究は、ほぼ5年に渡り続けられ、学者達は、一連の複雑な鑑定がなされ、それにより布がほぼ100%本物である事が証明された。 布の年代測定が行われ、キリスト誕生後一世紀のものであると特定された。 素材は麻、中世のものでない事が証明された。我々は、色素顔料が全くないことを証明した。つまり、布は人の業とは思えないものなのだ。 明らかになった部分すべては、本質的なものだ。聖書では、キリストはこの衣に40時間包まれていたと書かれている。 今回の調査では、実際にこの布の中に40時間遺骸があった事が、証明された。 ゆえに95%、この布は本物だと言える・・・HPより転載

* 筆者は仏教徒を自認する者では有るが、「聖骸布」についてはその霊的効果に疑問は持たない。

ストゥーパは釈迦の遺骨の一部を祭った塔である 仏足跡」もその代表的なもの。それ以外には原始仏教では存在しなかった。それが後々大乗仏教の時代に入って、ガンダーラやアローラ辺りで独自に仏像が製作されるようになった。舎利塔は仏教の最も原初的形態の産物なのかもしれない。日本にも釈迦の舎利が僧侶などにより、中国経由でもたらされた様である。

上記の清涼寺式・釈迦如来は遠い古代インドと中東以西の文化の薫り高い融合された芸術的作品でもある。正に日本は世界的古代文化の終着点を髣髴とさせる。

 

 

 

  

 

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白洲正子文学逍遥記-「十一面観音巡礼」編 -001

2014-02-03 | 日本の伝統芸術

 

 

白洲正子文学逍遥記

十一面観音巡礼」編

西大寺

002

 

 

 

 暦も本日は運命学上の年の変わり日。人それぞれが様々な運命をまた1年間辿ることになります。古代の運命学は災厄を如何に回避し、やり過ごすかが主眼で、運を招くのが主眼ではありません。現代人は後者だけを頭に置いている方が、圧倒的に多いと思われますが、それは本末転倒ですね。謙虚に慎重に人生を歩きたいものです。

さて、「西大寺」の愛染明王堂の次は、<十一面観音菩薩>のまします通称・観音堂と呼ばれる、「西大寺四王堂」に向かいましょう。 

 

 十一面観世音菩薩・同信作

 木造・484.4cm

 

12世紀の和洋様式

 

後鳥羽上皇によって像立された、西大寺・四王堂に安置される像で、正応元年・亀山上皇の院宣により、京都の十一面堂から移安された。彫刻形式は下記の長谷寺の主尊・十一面観音と同じ長谷寺形式である。この形式へは移安されたときに補修された。

高さは1丈6尺(484.8cm)。所謂、「丈六佛

 

長谷寺・十一面観音菩薩

 

右手に錫杖 、左手に華瓶(けびょう)を持つ、独特な形式である。

 

 

四天王堂・四天王立像 

 

  左から<多聞天>・木造、<広目天><増長天><持国天>・銅像 で、孝謙上皇が藤原仲麻呂の乱の際に勝利を願って像立。西大寺創建の由緒ある仏像である。

 

 

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十一面観音菩薩 

 

各部の名称

奈良国立博物館 所蔵 

 

法隆寺・九面観音

 

 

十一面観音菩薩像の各部の名称は下記の通りです。 

 

 

 詳細部分はそれぞれの像によって微妙に違っていたり、時間の経過で損失したり、移動の際に欠落したりしております。また、頭上面は仏像によって10,11面で有ったりします。観音菩薩でも形式の違いがあります。また、頭上の化佛の有る無しの違いも有ります。

聖観音、十一面観音、千手観音・・・と様々な仏像を実際に観て学習するしか有りません。また、宗旨でも違いが出てきます。複雑多様な世界です。

仏像は寺院だけでなく、博物館や美術館でも、個人でも常設展示されて居りますので、機会を見てじっくりご覧ください。経験がものを言う世界ですね。

法隆寺・九面観音

                             

 

参考図の「法隆寺・九面観音像」は壇像佛の最高峰です。

是非、法隆寺を訪れた際はご覧ください。

次回はいよいよ西大寺・本堂に参ります。

お知らせ 

次回ブログ更改は2014.02.10です。 

 

 

 

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