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-038
文殊菩薩騎獅像および侍者立像・東京孤立博物館
獅子に乗った文殊菩薩に4人の侍者が従う,いわゆる渡海文殊の作例です。獅子の頸部矧ぎ目の銘文と体内に納入されていた文書から,文永10年康円の作と知られ,のちに興福寺勧学院本尊となった。入念の作で,細部まで彫技が冴えわたり,彩色もみごとです。
文殊菩薩
最終回
今回で3回目になりました文殊菩薩。先回は渡海文殊まで書いてみました。古代中国には文殊信仰というものが有り、論語、老子、荘子などと共に注目され、教養書として貴族の間で持て囃され、維摩経に因む絵画や彫刻が制作されました。
文殊信仰は鎌倉時代になって、浄土信仰に対抗するようになり「旧仏教(南都仏教)」の間で、智と戒律の菩薩として盛んに勧められて、多くの文殊菩薩像が造られました。上の像は鎌倉時代文永10年(1273)重用文化財です。
維摩居士 文殊菩薩
文殊菩薩・釈迦三尊像の内・聖衆来迎寺(滋賀)伝来
稚児文殊
MOA美術館
名称 | ちごもんじゅず 稚児文殊図 |
時代 | 江戸時代 十八世紀 |
素材 | 絹本墨画 一幅 |
寸法 | H-87.4 W-36.4 |
個人蔵 |
それでは<青い目の人形>に移りましょう。
「 青い目の人形 」 -004
高知県
高知県室戸市立佐喜浜小学校
エミリ-・キャサリン
昭和2年にアメリカのオハイオ州シンシナティーから送られた親善の人形で、高知県には187体のお人形が届けられ、大歓迎を受けて県下各地の小学校に配られました。しかし、現在高知県に一体残っているだけです。
エミリーちゃんの入っていた木箱の中に手書きが入っておりました。この手紙から、この人形がアメリカ合衆国のオハイオ州シンシナティ市にあるエヴァンストンという長老派教会の婦人会から贈られた人形であることが分かりました。
<Emily Katherine >に携帯された手紙
その後、 シンナシテイの教会の婦人会が、工ミリーの孫娘を贈ろうという話が持ち上がりました。ニーマンさんというご婦人が、日本旅行をされるついでに、その人形を持ってこられました。
<答礼人形>に移りましょう。
「答礼人形」
Miss 沖縄・大田 徳久作
先回は南国・鹿児島からMiss 鹿児島をご紹介しましたが、今回は更に南に下がって沖縄から、Miss 沖縄をご紹介します。
人形の紋 |
![]() 笹竜 ![]() |
---|---|
道具の紋 |
|
オハイオ州シンシナティ ・ シンシナティ美術館 にMiss 沖縄は所蔵されておりますが、実はこの人形も取り違えられておりました。現在のMiss 沖縄は実は調査の結果、Miss 樺太である事が分かりました。
Miss 樺太(正しい名称)
では、本当のMiss 沖縄はどこへ行ったのでしょうか。それはメイン州オーガスタのメイン州立博物館に有りました。下の写真の人形が正しいMiss 沖縄です。でも、着物が違っています。複雑になってきましたが、ご安心。理由が分かりました。
Miss 山形
Miss 沖縄(正しい名称)・着物は着替えております
上と下の写真の着物の柄、色合いが違うのは、上の着物は現地の(メイン州オーガスタ)の日本人女性が、当初の着物が退色が甚だしいので、寄贈したものだそうです。下の写真の着物が当初のもので、日本に里帰りの時の修復後の写真です。
Miss 沖縄(当初のまま)
しかし、Miss 山形 の写真は見つかりませんでした。Miss 山形 千歳ちゃんはどこへ行ってしまったんでしょうか?
次回はオハイオ州にあるもう一体の答礼人形と現在Miss 樺太とされているの正しい名称は何かを追ってみましょう。
Ambridge_Rose(花咲きかおまさサン提供)
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仏像と仏像彫刻・
青い目の人形と答礼人形
-037
大和文華館
* 文殊菩薩を刺繍で表した繍仏です。同様の図像は鎌倉時代に描かれた仏画にしばしば見られるものですが、本作品は、平繍、繻子繍、纏い繍を基調に運針を巧みに使い分け、まさに絵画のような高い表現効果を生み出しています。
文殊菩薩
Manjusri
先々回から「文殊菩薩」をご紹介しております。「知恵の文殊」、「三人寄れば文殊の智慧」などの諺などで有名な菩薩です。先回までは安部文殊院、西大寺の文殊菩薩を紹介してきました。
文殊菩薩は作例が多く、全国至るところの仏閣や博物館などに祭られております。今回は余り見る機会がない仏画や博物館に祀られている文殊菩薩をご紹介しましょう。
八字文殊菩薩及び八大童子像(重要文化財)
MOA美術館
上下いずれも鎌倉時代の作とされております。仏画は彫刻と違って非常に細密に表現できる反面、絹紙に二次元的に日本画の顔料を塗っていくので、保存状態が悪いと破損しやすいことが難です。しかし、持ち運びが簡単ですから火災などの被害には仏像よりは遭い難いかもしれません。
文殊渡海図
醍醐寺・霊宝館
拡大図
文殊菩薩
マンジュシュリーを音訳して文殊師利と書き、文殊ともいいます。インドでは二世紀にその信仰が確立していた。文殊菩薩は舎衛国のバラモンの子とされ、釈迦如来入滅の後に生まれた実在の人物であるとか。菩薩道を修し仏典結集に深い関係を持ったとされています。
経典に説く文殊菩薩
文殊菩薩は維摩経(ゆいまきょう)の問疾品(もんしつぼん)に出てくる菩薩で、仏弟子である維摩居士と病床で問答が繰り広げられたことで有名。
法華経においては文殊菩薩が釈迦如来の師であると説かれています。華厳経においてはこの入法界品で、善財童子が文殊菩薩の教えに従い、あらゆる階層の人々を訪れ、その後、弥勒菩薩、普賢菩薩に教示を受けるとされております。
維摩経による 陀羅尼集経による
上の写真は同じ文殊菩薩の木彫像ですが、仏画も含めて2種類の形があります。維摩経に由来するものは結跏趺坐の形を取り、陀羅尼集経に由来するものは威猛獅子王(いみょうししおう)に騎るのが一般的です。
結跏趺坐のほうが歴史が古く、古代中国ではこの形を基本としている。古代インドでは8世紀の密教に関連がある。日本では平安以降の作例になる。安部文殊堂の文殊は鎌倉時代である。
渡海文殊
厳経には文殊菩薩の居所を清涼山としており、中国では唐代後期頃に五台山(中国の北京北西部)がその居所とされ、「五台山文殊」という像容形式が生まれました。この形式は入唐した天台僧円仁によって、わが国にもたらされました。上の右の陀羅尼集経による形式の像を「文殊五尊像」といいます。
文殊五尊像が 海を渡りわが国に来臨する姿の像を渡海文殊といいます。作例は平安時代の終わり頃から盛んに造られるようになります。
次回は「文殊菩薩像」の最終回を書いてみましょう。
それでは<青い目の人形>に移りましょう。
「 青い目の人形 」 -003
北海道上川郡和寒町立三和小学校二現存する青い目の人形の<サミー>ちゃんです。正式な名前は不明です。筆者はこの近所の旭川市で生まれておりますので、とても懐かしいですね。この辺りは北海道でも寒いところで有名で、近くの朱鞠内という辺りではマイナス40℃位の記録すらあります。
町教委は町文化財に指定したばかりの「青い目の人形」を、町公民館ロビーの展示ケースで公開しているそうです。
サミーちゃん
上川管内ではこの人形が唯一という。50センチほどの大きさで、小豆色の洋服と帽子を着用している。保存状態が良く、淡いブルーの目がかわいらしいの評判です。
最後に筆者の所縁の地の当別でもう一体。会社の勤務の転勤の関係で2年ほど暮らしていたことが有りますので、大変懐かしいですね。札幌から電車で当時は1時間位かな。今は30分程度でしょうか?
北海道石狩郡当別町立弁華別小学校
「エリザベス・アン」
保存状態もとても良いですね。大事にされているのが良く分かります。現在、北海道には20体前後の青い目の人形が保存されております。
<答礼人形>に移りましょう。
「答礼人形」
今回の初めは九州・鹿児島に行って見ましょう。Miss 鹿児島です。この写真は高岡美知子著「人形大使」から掲載したものです。Miss 鹿児島の資料が余り見当たらないのです。本の写真の撮影ですので鮮明ではありません。
Miss 鹿児島 ・薩摩 昭子
下の写真はアリゾナ州フェニックスのフェニックス歴史博物館で所蔵されているMiss 鹿児島 のものです。 着物の色合いが一見違うように見えますが、写真の解像度の違いで同じものです。
2002 年10月に人形は鹿児島県のホームカミング展示、山形屋デパートの山形屋文化ホール展示のために里帰りされております。その際に修復しておりますので。見た目が少し違って見えますし、帯揚げが違って見えてますね。修復は東京・吉徳で行われました。
保管状態
人形は頭、首は痛みは酷くなかったが、足の傷みが激しく立つことは出来ませんでした。人形を入れるトランクは別なところに有ったのを、博物館で回収し元に戻りました。
人形の紋 |
![]() 丸に橘 |
---|---|
道具の紋 |
![]() 丸に橘 |
Miss 鹿児島 ・薩摩 昭子
トランクの中に入っている状態のMiss 鹿児島 です。アメリカの博物館の記述にも「それは綿と革トランク内部のホワイト ペーパーに包まれた保管されていたので、人形の条件は良いです。松の木や緑がかった茶色着物、ピンクの口紅の上の鳥のデザイン、鮮やかな色を保持します。当時、最高の価格で作られたこの人形は、絶妙な手首の関節およびふっくらした頬上の小さなディンプルなど」のように書かれて居ります。
Miss 鹿児島は当時日本から贈られた人形で取り違いはなかったそうです。良かったですね。高岡美知子氏の鑑定でも、間違いはないそうです。
次回はMiss 兵庫、静岡を再度ご紹介。
今年の一番のバラの花の開花!
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仏像と仏像彫刻・
青い目の人形と答礼人形
-036
謹賀新年
明けましておめでとうございます
文殊菩薩
文殊院
安部文殊印院・文殊菩薩
安部文殊院の文殊菩薩は日本三大文殊の一つとして有名です。座高700mmで鎌倉時代を代表する仏師快慶の作です。
切戸文殊(京都府宮津市)・亀岡文殊(山形県高畠町)とともに日本三文殊に数えられる。宗教法人としての公称は文殊院。
奈良県桜井市の市内にあります。本尊は文殊菩薩。開基は安部倉梯麻呂。
文殊菩薩
筆者は以前桜井市の安部文殊院を訪れたのですが、ご開帳の日では有りませんでしたので、参拝は叶いませんでした。やもなく初瀬の聖林寺、長谷寺に向かいました。
文殊菩薩
鎌倉時代の仏像の彫刻家の集団としては、慶派、院派、円派などがありますが、慶派の定慶、運慶、快慶は超有名な彫刻家でした。キリリとした顔立ちなど一目でそれと分かります。
京都市内の千本釈迦堂の六観音、三十三間堂・妙法院の千手千眼観音菩薩・峰定寺の千手千眼観音菩薩 奈良の円成寺の大日如来など名品が数々あります。
文殊菩薩
先回ご紹介した奈良市内の西大寺の文殊菩薩
西大寺本堂・文殊菩薩騎獅像
西大寺・文殊菩薩
鎌倉時代・正安3年(1302)・82.2cm
中央に文殊菩薩像・左右に文殊四侍者像
文殊菩薩
文殊五尊像は鎌倉時代に流行した日本独自のもの
像の製作者は不明のようですが、彫刻の調子からは慶派では有りません。
院派か円派の都の一流の方達でしょう。
文殊五尊像の一体<善哉童子>
善哉童子
それでは<青い目の人形>に移りましょう。
「 青い目の人形 」 -002
北海道編-003
北海道八雲小学校の青い目の人形
初めに着ていた洋服
八雲小学校は北海道の南部の方で、噴火湾と呼ばれる辺りの、茅部郡という所に所在しております。この人形の名前は残念ながら不明です。
当時、政府などから焼却命令が出ておりましたが、秘かにコレを隠して難を免れたそうです。そのような青い目の人形が全国的に多いのです。この点はアメリカとは大きく違っております。
それでは<答礼人形>に移りましょう。
先回の答礼人形のご紹介はMiss 福岡でした。この市松人形もMiss 群馬と取り違えられておりました。そして、本当のMiss 福岡はMiss 北海道でした。
元・Miss 北海道は調査の結果カンザス州にある Miss 宮城(個人蔵)が本当のMiss 北海道だということです。兎に角、相当複雑になっております。なお、Miss 群馬は現在行方不明となっております。
Miss 福岡 (正・Miss 群馬)
↓
Miss 宮城(正・Miss 北海道) Miss 北海道(正・Miss 福岡)
↓ ↓
そっくり入れ替わってしまった答礼人形<Miss 秋田とMiss 石川>
アメリカの地で秋田と石川の答礼人形がそっくり入れ替わってしまったのです。
このブログ-016回で掲載しておりました・・・・
Miss 石川 ( Miss 秋田・取り違えによる )
↑
人形制作者・瀧澤 光龍斎
人形の台の名称は<秋田県>となっているが、人形は<Miss 石川>
Miss 秋田 (Miss 石川・取り違えによる)
秋田蕗子
人形制作者・秀徳
兎に角、いろいろな現地事情が有ったらしく、複雑なことになっておりました。行方不明の答礼人形や人形の所属が分からないという答礼人形も有ります。
次回はMiss 兵庫、静岡を再度ご紹介。どのような結果になっているでしょうか?