白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記-0013

2013-09-28 | 日本の伝統芸術

 

 

白洲正子文学逍遥記

-013

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

唐招提寺の仏像

 

金堂

 

 先回は奈良市内の西、尼辻の付近を散策してみた。昭和61年当時の記憶で書いているので、辺りの景色は古都であっても、現在の状況とはかなり違っていると思う。大津から京都駅で乗り換えて、近鉄線で近鉄奈良までは諸中訪れていたが、何分にも奈良市内は地下を行く事になるので、平城京跡までしか記憶に残らない。何時行っても奈良に入ると落ち着いた気分になる。

先ずは、唐招提寺・金堂から訪れて見る事にしたい。

金堂 乾漆廬舎那仏坐像・304.5cm

 

 

 廬舎那仏坐像

 

 ご覧お通りの三尊形式で、向かって右が・木心乾漆薬師如来立像、左が木心乾漆千手観音立像である。主尊を含めてすべてが乾漆像である。金堂は奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものであり、国宝である。乾漆像にはA-脱乾漆像 B-木心乾漆像の2種類があるが、主尊は脱乾漆像である。因みに脇侍像は木心乾漆像である。

乾漆像は亜麻布と漆によって制作するものであるが、現在は特にそうであるが、漆は高価な材料であるがために、平安時代以降は余り使われなくなり、その代り豊富にある檜、樟、栢材を使用するようになった。ブロンズは比較的使用頻度は高いが、素晴らしい作例は乾漆像と大差はないであろう。脱乾漆像は簡単に言うと張子である。軽いので万が一の時持ち出す事が出来る。木造は大きな像の場合はそれが利かないのが難点である。

 

 

 

先回ご紹介した<鑑真和上坐像>も乾漆像であるから、この寺の創建当時の意気込みが解かろうというものである。話は前後するが、唐招提寺は鑑真和上が754年に来朝し、東大寺にて戒壇院を建立し、その後新田部親王の邸宅を朝廷から下賜され、これが唐招提寺の始まりとなった。当時としては最高の待遇を持って遇されたという事であろう。仏像の製作材料から推し量れるというものである。

廬舎那仏、薬師如来、千手観音の組み合わせは他に例がなく、経典にも見えないことからその典拠は明らかでない。東大寺(本尊は廬舎那仏)、下野薬師寺(本尊は薬師如来)、筑紫観世音寺(本尊は聖観音)を「天下三戒壇」と称する。唐招提寺の三尊は廬舎那仏・薬師・観音の組み合わせで天下三戒壇を表しているとする説もあるとされる。

薬師如来 

 

 

 廬舎那仏坐像の右隣は薬師如来である。左隣は千手観音菩薩である。女人荒野室生寺は主尊が釈迦如来(元々・薬師如来)で、右隣は薬師如来であった。

千手観音菩薩

 

 それでは、もう少し細かに観てみよう。先ず主尊から。 廬舎那仏は大乗の戒律を説く経典である『梵網経』(5世紀頃中国で成立)の主尊である。似たような尊名で。「毘盧舎那仏」という表記があるが、同一である。毘盧遮那とはVairocana・ヴァイローチャナの音訳で「光明遍照」を意味する。これは華厳経で説かれる尊名。また、密教では「摩訶毘盧遮那仏」(大毘盧遮那仏、Mahāvairocana(マハー・ヴァイローチャナ))とされ、大日如来をあらわしている。

* 仏教は大きく分けると顕教密教に分かれる。 真言宗、天台宗などは密教。浄土、浄土真宗、禅宗などは顕教に分類される。因みにキリスト教でも密教は存在する。このような事からも、仏教とキリスト教系宗教とは姉妹の関係の宗教であり、全く異なる宗教ではないことが大事なところである。キリスト教と深い関係にあるユダヤ教と仏教と深い関係にあるヒンズー教は、古代において中央アジアの奥地に存在していた、母なる宗教が次第に南下して来て、そのご東西に別れ独自の発達をして行ったものであろう。

 

 

ちょっと一服」 

     話の喫茶店  

 

 キリスト教の方たちは<アーメン・amen>という大事な聖語を使われる。その他、アメン、アーメーン、アミンなどの発音も有るが。このAMENであるが、AUMENと書いても発音は殆ど変わらない。ゲルマン語系の発音はアウメン、アーメンである。ところが英語の発音ではOHMEN(オーメン)とも発音する。AUTO(オート)など。ここが大事なところである。ここまで来ると気が付く方が居られると思う。どこかで聞いたような言葉? ヨハネの黙示録オーメン(OMEN)

仏教の聖語の中でもっとも大事な言葉は、“オン”(おん)である。これは原語はオーム( [om] 、または[oM] 、Aum)である。AUMは英語圏ではオームと発音する

となればAMEN=AUMEN=OHMEN=AUMと考えるのは偶然とは言いがたい。ということは古代中央アジアで発生した宗教での聖語・XXXが伝播の途中で、若干変化して行ったというのが、常識的な考え方ではないであろうか。ここからもユダヤ教、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教、仏教などの宗教は、同種類の宗教、詰まり兄弟の宗教と考えても間違いがないということになろうか。宗教的対立で争いや殺し合いをするなど、持っての他なのではないであろうか。

 * 南無阿弥陀仏の南無はAUM(サンスクリット語)の漢語への音写から来ている。ナーム・アミュタ-スがナムアミダブツとなった。オン=ナームである。 オンは本来的に意味は問わない事に成っている聖語であるから。南無観世音も同じ用例。・・・<オーム>と長時間発声していると、神秘的な気分になってくる。人によってはトランス状態になり、神仏と直結出来る様である。ただし、修行者のみ可能か。特に危険はないので、イライラする時は試してみるのも良い。

  

 

 「能面鑑賞」 

 

猩々 ・出目家是閑吉光作

 

 桃山から江戸時代に掛けて、越前大野から出た傑出した能面師・天下一・是閑吉光の作である。三光坊(越前平泉寺の僧)の孫弟子である。筆者の記憶でも、猩々ではこれ以上の作はないであろう。女面を打たせても鬼畜面を打たせても、何れも絶品である。これを名人というのであろうか。額の毛書きの線は素晴らしい。これだけ観ても評価は出来る。この方の「増女」は特に良い作品である。

大飛出

                          出目是閑吉満作の能面(ベルリン国立東洋美術館蔵)・・WIKIより

 

どのような経緯でドイツに渡ったかは不明であるが、素晴らしい出来である。海外にはこの外にも何面か有るようである。目利きの利く外人が持ち出したものか?流石である。余計な部分が全く見えない。天下一・河内も勿論素晴らしいが、筆者はこの作者が好きである。如何にも男らしさを感じるのである。もともと僧侶だったのかもしれない。特に何度も書くが<増女>は神面を連想させる。色気を既に超えている。

ご覧のように彩色の胡粉の研ぎ出しが硬いので、痛みが少ない事がこの作者の特徴。丁寧で腕が良いという証である。その逆を行くのが天下一・大宮大和である。触ったら胡粉が手に付きそうに見える。どちらへ行っても上手い方は、普通人とは違うのであろう。

是閑は大野出目家の祖となった。 弟子筋に第四代・天下一出目洞白、第五代出目洞水がいる。何れも名人である。時代は江戸時代。個人的には洞水の方が上手いと思っている。

 

 

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白洲正子文学逍遥記-0012

2013-09-20 | 日本の伝統芸術

 

 

白洲正子文学逍遥記

-012

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

 今年の夏は例年になく暑かった。日本中が太平洋高気圧の異常とも言える強さに、圧倒されっぱなしという状態。 台風18号も京都・滋賀・福井を猛烈な雨風で攻めまくったようです。大津の湖畔のこ高い山の裾野にある、小野という里近くに住んでいたので、山坂の急な所が沢山ある辺り、どのような状態になったか・・・・心配です。

7年ほどお付き合いさせていただいた小野妹子、小野稲荷大明神の大きな古墳はどうなったやろうかなと案じております。付近には知人も居りますので心配です。南西諸島は反対に旱魃気味で、毎日空を見上げて嘆息している按配。

雨あめ ふれふれ・・>です。

 

唐招提寺

 

 7月の暑い盛りから、「室生寺」から離れて長い間、能面シリーズを掲載してきた。白洲正子様といえば<能面・能楽>であるから、それ程違和感のある題材ではない。能面集のご紹介と製作手順を少々僭越ではあるが、長々と書かせていただいた。

最近は経済不況のデフレの世の中であるから、巷の古本市場にも昔は手に入らなかった、能面集が出回っている由。 このような時にこそ、著名な能面集は手に入れて置かれれば宜しいかも。何れ何処にも見当たらなくなる時が来る。

仏像の製作も、能面打ちも何れも原木を手ごろな大きさに切り取って、当たりを適当に取りながらブッツケ本番で、形に仕上げていく伝統芸術である。 頭の中に仏の概観や能面の顔を思い浮かべながら、始めは荒彫り(コナシ)からはじめ、次第に小作りに入り、最後は仕上げに至る。

 

 

どちらも姉妹のような芸術なので、手順は良く似ている。ただ、仏像は信仰の対象物であり、片や芸能の道具であるが、共通なのはどちらも扱う者にとっては、神聖なものであり神仏に等しい。誰彼と勝手に決して触れさせないのも、合い共通な事である。少々離れてはいるが、類似なものに市松人形がある。高級品と成れば庶民にはオイソレと手が届かない。これは「仏像+能面」/2 とい所であろうか。機会が有ればよく間近にて見るのも良かろうと思う。能面の彩色の勉強になる。

 答礼人形・市松人形

 

 さて、「女人荒野・室生寺」を経てから、一路 山野辺の道を北に上って、近鉄奈良線の沿線を西に辿っていくと尼辻に出る。 昔、筆者が車を運転しながら、近所を通った頃は割りと鄙びた寂しい通りであったかのように記憶している。右手には大和西大寺、秋篠寺、奥には法華寺がある。

左に折れて吉野方向に向かっていくと、唐招提寺、薬師寺と続き・・・いずれは法隆寺の大伽藍や法起寺、法輪寺、中宮寺に至る。この界隈もお寺がメインである。本来成れば尼辻辺りから歩いて行くのが一番よいのかも知れぬが、現在の町の風情は良く解からないので・・・・・省略とする。

                           中宮寺

 

今にして資料を見てみると、薬師寺を先に巡拝していたようである。ご朱印帳はそのように成っている。昭和61年6月21日、まだ梅雨の頃である。中宮寺の庭の紫陽花の美しさが眼に残っている。

 

 

唐招提寺

 

           ご朱印張右に薬師寺・講堂の朱印

 

 <十一面観音巡礼記>は「秋篠あたり」として、先ずは唐招提寺を挙げている。この寺は言わずと知れた「鑑真和上」縁の寺であり、有名な彫刻が残されている。日本最古の肖像彫刻である。脱活乾漆 彩色 麻布を漆で張り合わせて骨格を作る手法 両手先は木彫である。古代ならでは仏像製作に多く用いられた手法である。唯、残念なことに筆者は観ていない。当時は一般公開はしていなかったかも?

 鑑真和上

 

しかし、鑑真和上の来歴を簡単に見ても解かる様に、この方の意志の強さにはただただ驚かされるのみである。743年に最初の渡海を試みてから、様々な苦難に遭遇し実に6回に及ぶ。754年にやっとの事で遣唐使船に乗船し大阪難波に到着する。命を掛けるという言葉はこのような行為を言うのであろう。一時は南の島海南島にまでも流されたという。

            鑑真和上遺影

 

 我が日本の初代、2代の遣隋使・小野妹子様は東シナ海を既に渡っていた。推古天皇15年・607年である。100年も前である。この時も時の煬帝に疎まれて危ない事も有ったようで、本当に命を削る思いの渡海であったことであろう。私事ながら近所に住まいした関係で、この方の墓所の掃除を長らくさせていただけたのは、本当に有り難い事であると今でも思っている。

古代中国の時代に、日本に正式な戒律を伝授するために、命を掛けた僧侶が存在した事は、現在の日中関係を見ると全く信じられぬ思いである。有為転変とはこの事だろうか。草葉の陰で鑑真和上は何をお考えになって居られることであろうか。小野妹子、鑑真、空海、最澄・・・と幾人、幾十人の日本文化を作り上げた有為の方々が渡海された。この方々に対する感謝の念は、我々は忘れてはならないであろう。

では、次回は唐招提寺の仏像をご紹介してみよう。

 

    ちょと一服喫茶店  

  伝統芸術散歩道 

                   

仏像や能面や市松人形を少なからず見ていて、気が付いた事が有ります。

これらに共通している事は、人間と同じ顔が有るという事です。

人形はヒト・ガタというが如く、人に化体して作られたものです。

 

 

顔は言うまでもなく象徴です。そうであるが故に、作者の心奥の状態が出て来るものです。

初めて小面を打った時、その表情は己の顔か母親の顔に似ておりました。

心根の清らかな方は、それがハッキリと面の表情に出て来ます。

本人と直に接しなくともそれが解かるような気がします。

佛顔、能面や市松人形の顔の表情は如何様にしても騙せるものではない。

また、そこから離れる事が出来る方は最早名人であると。  

 

 

 「能面鑑賞」 

 

           こべしみ(小 病ダレ+悪 見)作者河内

   

江戸時代を代表する名人河内の作である。

口を一文字に固く結ぶのを<へしむ>というところから来ている。

眼に金が入っているので鬼畜面である。

迫力の有る素晴らしい河内の力量を感じる。

類面には<おおべしみ>というのがあるが、可なり表情が異なる。

面当ての布の擦れ以外は傷がない。

彩色の際の胡粉の研ぎ出しが如何に硬いかという事であろうか。

朱の色合いも素晴らしい。名面である。

 

  

 

 

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白洲正子文学逍遥記-0011

2013-09-14 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

臨時公開

 

以前別のブログで掲載しておりました「能面と能楽」を8/末迄、数回程、再公開します。ご覧になっていない方はどうぞ参考にしてください。

 

 能面能楽

   
 

                       

             能楽の歴史と能面-0011
 
 
 先回まで筆者が所有している「能面集」をご紹介しました。簡単に手に入るものと、可なり難しいものと、それぞれです。印刷の良いものとなると、どうしても高価に成らざるを得ない世界ですから。カメラの色合いは正確では有りません。これは実物を直に観てから検証してみると、その違いが良く解かります。
 
能面集の印刷はカラーの色数が限られておりますので、自然な色は出ません。どうしても色鮮やかに成ってしまいます。これは貝の写真をカメラで撮って、画面で見ていれば良く解かります。最近のカメラは画素数が非常に多いのが最近出ていますが、それでも本物の色は出せません。機械の限界が有るのです。
                    
                         面箪笥
 
 
 
能面の彩色は名作になればなるほど、その色合いは微妙です。カメラでは無理なんですね。その所を良くる理解してもらいたいと思います。
 
さて、能面集を手にされ、能楽資料館などで能面を直に観て、一念発起して「面打ち」を心に決められた方も居ると思います。そのような方へのアドバイスを少し書いてみたいと思います。
つまり、「学習方法」ですね。一連の流れを書いてみましょう
 
 
 
1- 能面集を揃える 
 
      <小面を打つ>、<面打ち入門>が最適。
 
 
 
2-  道具を揃える 
 
      神戸市にKind Lake という、彫刻専門の通信販売を取り扱う店がありますので、パンフレットを送ってもらう。ここでは面打ち、仏像彫刻用の道具から材料、彩色用具等を販売しておりますので、全てが揃います。専門家達のご用達。
 
 
Kind Lakeで販売している道具一式(¥7~8万円位
 
 
一応筆者の持ち物を恥ずかしながら、参考までにご披露させてもらいます
 
小刀や鑿一揃い(仏像用も混じっている
 
 
はじめは「衝き鑿」一本でOK
これだけで大方彫れます。が、なかなか慣れるまで大変!
 
最小限必要な道具(一番左の衝き鑿は必需品
 
 
木材尾州檜
 
木材ははじめは台湾檜で充分。腕が上がってきたら、尾州材でもどうぞ。
 
 
能面用・面袋
 
面袋は初めは必要ないのですが、他人に下手なのを見せずに済むから・・・?
 
 
能面保管用葛篭
 
上手くなってきたら、面の数も増える。保管用にどうぞ。
 
 
江戸時代の面箱
 
 
 
彩色道具
彩色道具は人によって様々のものが有ります。これは一部。
 
 
 
道具は慣れるといろいろ揃えたがるが、例外は有りますが、下手な人に限って道具に凝る習性がありますね。切れればOK.それよりも刃物は研ぎ大事。長沢 氏春と言う名人は、見た目には粗末な道具を使われていたように見えました。大事なのは腕前
 
 
3-  面を打つ A
      先ずは<小面>から入る事。能面の基本面ですが、何時までも打っていかなければならない面です。生意気を言うようですが・・・・いろいろな種類の面を打たれる方はたくさん居られますが、<小面>を観るだけで、その方の実力が一発で解かります。騙しが効かないのです。
 
起状の激しい面は、素人でも騙しが意外と効くのですが、小面は全てがノッペラした面なので(女面は全てそうです)決して、失敗が効かないのです。これは打ってみれば解かります。1mmも彫り間違ったら、見るも無残に顔の表情が変わってしまうのです。
 
 
                                     友閑・小面
    
 
 
これを見抜けない内は、次の面には進まないことです。それほど小面は難しいのです。これが理解出来るまで暫く掛かります。 それには名面の小面の本面を何度も観る事です。
 
 セミプロの方の中には、良く画廊で展覧会をやられる方が多く見られますが、<小面>を先ず観てそれで、すぐ帰るか続けて観覧するかここで決めます。 すぐ帰ってしまう方が多いですね。小面がしっかり打てる方は他のどの面も上手です。これは間違い有りません。
 
少なくとも小面は3~5年の間、何度も何度も打たれる事をお勧めします。 これが通過できたら成功したも同然。 なにせ、無形文化財保持者が曰く、<女面が一番難しい。一面覚えるのに10年掛かる>・・・・・・それなれば素人は10年以上掛けても、少しも恥ずかしいことはないのでは・・・
 
 童子
 
 
 
4-  面を打つ B
       面打ちは<彫刻>+<彩色>の二部構成になっております。彫りと絵画の技法が必要なのです。彫りは全体の40%程度ではないでしょうか。彩色は60%位。一番難しいのは彩色です。彫りは何とかこなせても、彩色は才能が影響してきますので、これは難物です。
 
老婆心ながら申し上げると、
 木取りの段階から丁寧に行う事。大雑把な性格の方は伝統彫刻には不向きです。 これだけは確かです。<小面>を彫っていて、どうしても<おかめ>の面になりやすいし、それがご本人はなかなか気が付かないらしい。
 
 
           本面             面裏            面表
               
 
* 左の小面は江戸時代の名人・友閑という能面師が打った小面です。右の木地は左の小面の木地です。小面の底面と木地の部分が100%キッチリ合っております。これが出来なければ幾ら先で頑張っても駄目です。ですからこの段階から几帳面にする事です。因みに、水平な底面部分と側面はピッタシ90度出なければいけません。これが出来ないうちは面打ちは上達しません。
 
 
良く本面を観ていないということと、大雑把ですから薄皮を剥ぐ様な丁寧な仕上げが出来ない、という事も原因にあるようです。気持ちの細かい人程上達するそうですね。
 
女面や男面は非常に難しく、起状の激しい般若は易しいのです。
 
彩色は手ほどきを書いた教科書も殆ど有りません。 個人の観察眼と研究が全てです。長年の努力、研鑽が本当に必要と考えます。それでは皆様、面打ちを一生の趣味として研鑽をお続けください。
 
次回からは、通常の<十一面観音巡礼・秋篠寺>を書いてみたいと思います。
 
                                 
 

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白洲正子文学逍遥記-0010

2013-09-06 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

臨時公開

 

以前別のブログで掲載しておりました「能面と能楽」を8/末迄、数回程、再公開します。ご覧になっていない方はどうぞ参考にしてください。

 

 能面能楽   
                        

             能楽の歴史と能面-0010
 
 
 
 
 
              能面集・特集」-最終回
 
 
 
 能面の特集」も最終回となりました。そこで、今回は能面集と参考書・雑誌についてご紹介しましょう。
 
・・「面集・雑誌等
 
 
井伊家伝来・能面百姿
 
 
 
上記の写真の<能面百姿>は、以前著者が持っていた能面集ですが、うっかり手放してしまい、それからというものは全く縁が付きませんで、買い戻しかなわぬ一品。彦根の彦根城博物館でショッチュウ見ていた能面でしたので、ついうっかりしました。今でもたまに市場へは出るはずですが。
 
大阪で¥25.000円だった時がありましたか。今は興味が薄くなりました。
 
井伊家は井伊直弼 迄能楽の盛んな譜代大名家でしたから、名面、能装束は可なり所蔵されております。唯、印刷が今一、カラーの色合いがキツイカナという感じはあります。これは傍に住んでおりましたので、実物を直に頻繁に観ていたということから来るものでしょう。大事なことですね。
 
 
井伊家 能楽名宝
 
 
 
上はその廉価版という頃でしょうか。市場ではすぐ手に入ると思います。¥4~5000円でしょうか。手ごろな資料としては最適でしょう。
 
 
 
 
 
雑誌の類や解説集はたくさんあります。図書館に行ってみれば、書棚に何冊も有りますし、専門かが書いた解説書、案内書の類もたくさん見られます。
 
 
 
 
では最後に著者の敬愛する「白洲 正子」様の著書。
 
能面」・・・・・代表的な作品ですね。 これを手に入れたのは意外と遅く数年前くらいでしょうか。能面集の蒐集に真剣になっていた時でした。たしか、岡山県の笠岡市の古書店で手に入れました。「平槙 唯是」という方の謹厳な署名が達筆にて入っておりました。最後の見返しに有りましたので、この本の所蔵していた方のものでしょう。一見、武家の子孫かというような感じ。
 
 
 
 
余談ですが、この書籍を手に入れてから、今までかなわなかった能面集が、思いのままに手に入れることが出来ました。10年間かなわなかった能面集を、全国から蒐集出来ました。不思議な縁をもたらしてくれた参考書です。殆どモノクローム印刷であるのが残念ですが。
 
 
                 
 
能面関係の作品集はたくさん書かれておられるので、図書館で見られるの良いかも。唯、古書は新書並みに高価です。人気が有るからですね。筆者は全ての関係図書を図書館から借りてきて、自宅でCOPYしました。上記の本もその一冊です。大きな図書館(県立・都立など)を2~3件回れば、ほぼ大丈夫でしょう。
 
 
 
・・「狂言面集
 
 能楽には狂言と言うジャンルが有ります。能楽堂で観覧する事も出来ますが、狂言単独で公演されることもあります。唯、狂言独自の<狂言面集>となると、ごく限られてきます。
 
 
 
 
 現在、市中で出回っている狂言面集はこの二冊が主要なものでしょう。趣味で面打ちをされる方も狂言面を打たない方も居るでしょうから、需要が少ないかもしれません。能面と狂言面の何れが難しいかは簡単にはいえないと思います。 型に嵌った伝統彫刻技術で彫られた仏像よりも、円空仏の方が簡単とは言えないと同じようなものです。
 
能面の面打ち師が余技の手慰みとして打つか、それ専一に打つかの違いもあるでしょうが、初心者には寧ろ、狂言面の方が難しいと考えるべきではないでしょうか。円空佛は所謂<鉈彫り>と言われるものです。 
 
円空佛は修行者の真剣な信仰と行の毎日の中で製作される仏像ですから、我々の遠く及ばない行為です。狂言面も製作者の長い経験の中で醸成された上での事でしょうから、ケレン味のない、思わず心の底から笑みが噴出して来るような彫りは、なかなか出来るものではありません。
 
 
以上で蒐集した能面集・狂言面集・その他資料を紹介してきました。能面集は飽くまでも資料でして、大事な事は能面資料館や美術館、博物館、宗家の展示などを、何度も訪れて本物を見ることですね。能面集は安価なものはカラーの色数が少ない事も有り、実際とは違って見えます。
 
写真の魔術で花の撮影で知った事ですが、カメラの能力もありましょうが、実際よりも綺麗に写ってしまいます。能面の微妙な彩色は人間の目には敵いません。 鮮やかに印刷されてしまいます。飽くまでも能面の形を知るくらいの所でしょうか。 信用してはいけません。良い能面集が高いのは、印刷技術、色数に有るのでしょうね。発行印刷数ばかりではないようで。
 
とはいえ、遠方の方はそうばかりも言えません。どうしても能面集の色合いに頼り勝ちにならざるを得ません。でも、この兼ね合いだけは覚えて置いてください。これは仏像や美術品でも同じでしょう。
 

  能面集の譲渡について 
 
9/01 に締め切り発送させてもらいました。手にされた長沢氏春関係の能面集は古書市場でもなかなか思うように手に出来ません。大事にされて子孫に手渡されてください。
 

 
 
 次回は、元に戻って、<白洲正子・十一面観音巡礼・秋篠寺>に戻りたいと思います。能面や仏像も順次ご紹介してみたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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