「白洲正子文学逍遥記」
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& 能面・仏像・日本人形・・etc
唐招提寺の仏像
金堂
先回は奈良市内の西、尼辻の付近を散策してみた。昭和61年当時の記憶で書いているので、辺りの景色は古都であっても、現在の状況とはかなり違っていると思う。大津から京都駅で乗り換えて、近鉄線で近鉄奈良までは諸中訪れていたが、何分にも奈良市内は地下を行く事になるので、平城京跡までしか記憶に残らない。何時行っても奈良に入ると落ち着いた気分になる。
先ずは、唐招提寺・金堂から訪れて見る事にしたい。
金堂・ 乾漆廬舎那仏坐像・304.5cm
廬舎那仏坐像
ご覧お通りの三尊形式で、向かって右が・木心乾漆薬師如来立像、左が木心乾漆千手観音立像である。主尊を含めてすべてが乾漆像である。金堂は奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものであり、国宝である。乾漆像にはA-脱乾漆像 B-木心乾漆像の2種類があるが、主尊は脱乾漆像である。因みに脇侍像は木心乾漆像である。
乾漆像は亜麻布と漆によって制作するものであるが、現在は特にそうであるが、漆は高価な材料であるがために、平安時代以降は余り使われなくなり、その代り豊富にある檜、樟、栢材を使用するようになった。ブロンズは比較的使用頻度は高いが、素晴らしい作例は乾漆像と大差はないであろう。脱乾漆像は簡単に言うと張子である。軽いので万が一の時持ち出す事が出来る。木造は大きな像の場合はそれが利かないのが難点である。
先回ご紹介した<鑑真和上坐像>も乾漆像であるから、この寺の創建当時の意気込みが解かろうというものである。話は前後するが、唐招提寺は鑑真和上が754年に来朝し、東大寺にて戒壇院を建立し、その後新田部親王の邸宅を朝廷から下賜され、これが唐招提寺の始まりとなった。当時としては最高の待遇を持って遇されたという事であろう。仏像の製作材料から推し量れるというものである。
廬舎那仏、薬師如来、千手観音の組み合わせは他に例がなく、経典にも見えないことからその典拠は明らかでない。東大寺(本尊は廬舎那仏)、下野薬師寺(本尊は薬師如来)、筑紫観世音寺(本尊は聖観音)を「天下三戒壇」と称する。唐招提寺の三尊は廬舎那仏・薬師・観音の組み合わせで天下三戒壇を表しているとする説もあるとされる。
薬師如来
廬舎那仏坐像の右隣は薬師如来である。左隣は千手観音菩薩である。女人荒野室生寺は主尊が釈迦如来(元々・薬師如来)で、右隣は薬師如来であった。
千手観音菩薩
それでは、もう少し細かに観てみよう。先ず主尊から。 廬舎那仏は大乗の戒律を説く経典である『梵網経』(5世紀頃中国で成立)の主尊である。似たような尊名で。「毘盧舎那仏」という表記があるが、同一である。毘盧遮那とはVairocana・ヴァイローチャナの音訳で「光明遍照」を意味する。これは華厳経で説かれる尊名。また、密教では「摩訶毘盧遮那仏」(大毘盧遮那仏、Mahāvairocana(マハー・ヴァイローチャナ))とされ、大日如来をあらわしている。
* 仏教は大きく分けると顕教と密教に分かれる。 真言宗、天台宗などは密教。浄土、浄土真宗、禅宗などは顕教に分類される。因みにキリスト教でも密教は存在する。このような事からも、仏教とキリスト教系宗教とは姉妹の関係の宗教であり、全く異なる宗教ではないことが大事なところである。キリスト教と深い関係にあるユダヤ教と仏教と深い関係にあるヒンズー教は、古代において中央アジアの奥地に存在していた、母なる宗教が次第に南下して来て、そのご東西に別れ独自の発達をして行ったものであろう。
「ちょっと一服」
話の喫茶店
キリスト教の方たちは<アーメン・amen>という大事な聖語を使われる。その他、アメン、アーメーン、アミンなどの発音も有るが。このAMENであるが、AUMENと書いても発音は殆ど変わらない。ゲルマン語系の発音はアウメン、アーメンである。ところが英語の発音ではOHMEN(オーメン)とも発音する。AUTO(オート)など。ここが大事なところである。ここまで来ると気が付く方が居られると思う。どこかで聞いたような言葉? ヨハネの黙示録のオーメン(OMEN)
仏教の聖語の中でもっとも大事な言葉は、“オン”(おん)である。これは原語はオーム( [om] 、または[oM] 、Aum)である。AUMは英語圏ではオームと発音する。
となればAMEN=AUMEN=OHMEN=AUMと考えるのは偶然とは言いがたい。ということは古代中央アジアで発生した宗教での聖語・XXXが伝播の途中で、若干変化して行ったというのが、常識的な考え方ではないであろうか。ここからもユダヤ教、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教、仏教などの宗教は、同種類の宗教、詰まり兄弟の宗教と考えても間違いがないということになろうか。宗教的対立で争いや殺し合いをするなど、持っての他なのではないであろうか。
* 南無阿弥陀仏の南無はAUM(サンスクリット語)の漢語への音写から来ている。ナーム・アミュタ-スがナムアミダブツとなった。オン=ナームである。 オンは本来的に意味は問わない事に成っている。聖語であるから。南無観世音も同じ用例。・・・<オーム>と長時間発声していると、神秘的な気分になってくる。人によってはトランス状態になり、神仏と直結出来る様である。ただし、修行者のみ可能か。特に危険はないので、イライラする時は試してみるのも良い。
「能面鑑賞」
猩々 ・出目家是閑吉光作
桃山から江戸時代に掛けて、越前大野から出た傑出した能面師・天下一・是閑吉光の作である。三光坊(越前平泉寺の僧)の孫弟子である。筆者の記憶でも、猩々ではこれ以上の作はないであろう。女面を打たせても鬼畜面を打たせても、何れも絶品である。これを名人というのであろうか。額の毛書きの線は素晴らしい。これだけ観ても評価は出来る。この方の「増女」は特に良い作品である。
大飛出
出目是閑吉満作の能面(ベルリン国立東洋美術館蔵)・・WIKIより
どのような経緯でドイツに渡ったかは不明であるが、素晴らしい出来である。海外にはこの外にも何面か有るようである。目利きの利く外人が持ち出したものか?流石である。余計な部分が全く見えない。天下一・河内も勿論素晴らしいが、筆者はこの作者が好きである。如何にも男らしさを感じるのである。もともと僧侶だったのかもしれない。特に何度も書くが<増女>は神面を連想させる。色気を既に超えている。
ご覧のように彩色の胡粉の研ぎ出しが硬いので、痛みが少ない事がこの作者の特徴。丁寧で腕が良いという証である。その逆を行くのが天下一・大宮大和である。触ったら胡粉が手に付きそうに見える。どちらへ行っても上手い方は、普通人とは違うのであろう。
是閑は大野出目家の祖となった。 弟子筋に第四代・天下一出目洞白、第五代出目洞水がいる。何れも名人である。時代は江戸時代。個人的には洞水の方が上手いと思っている。
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