白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

日本の伝統芸術と芸能-035

2012-12-28 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と伝統芸能

         仏像と仏像彫刻

          青い目の人形答礼人形

                                            -035

 

本年もご愛顧頂きまして有難うございました

来年は一月四日から新規更改致します。

 

 

青い目の人形は北海道から鹿児島まで長い旅に出ております。

これからも人形の新発見が有るかも知れません!。

 

 

答礼人形もアメリカでの新発見がやはり有るかも知れません!


日本の伝統芸術と芸能-034

2012-12-21 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と芸能

 

         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

                                                        その034

 

仏像の名品巡礼                  

                         近畿地方-003

 

              伎芸天

 

秋篠寺  

 

 秋篠寺は奈良市の近鉄奈良線の近鉄奈良駅から西へ少し行ったところにある名刹。近くには平城京跡、法華寺などが有ります。この近辺は南都の有名な仏閣が犇めいており、東大寺、興福寺、西大寺、薬師寺、奈良国立博物館等があります。

「伎芸天」は全国でもこの秋篠寺にのみ祀られている貴重な仏像です。この仏像は木質の彫像ではなく、頭部は脱活乾漆造で大部は鎌倉時代に木材で補って(寄木造)造られております。制作年代は奈良時代後期(8世紀)。重要文化財です。

                      伎芸天

 

教科書的には下の写真のほうが有名かもしれません。高さ204.5cm 

伎芸天は大自在天が天界でもろもろの技芸を楽しんだ際に、髪の生え際から湧き出て生まれたとされ、美しい技芸に長けた天女です。 インドではなく中国で生み出された天女とされております。   

ところがこの伎芸天は実際は「音声菩薩」であって、伎芸天は下の写真が本花だそうです。経典どおりの作例で、左手を上に向けて「天華を捧げる」という形になっております。

この作例は1893年・明治時代の元東京美術学校教授の竹内久一作。

       

 

同じ秋篠寺に祀られています「梵天立像 

伎芸天と同じく頭部は脱活乾漆造、大部は木造で奈良時代の作。204.8cm

現在は奈良国立博物館に寄託されております。 

 

                     

 

                        大元帥明王

   

鎌倉時代の木造の彫像で、鎮護国家の秘法である大元帥御修法(だいげんすいみしほ)の本尊です。秘仏で毎年6月6日のみ開閉されるとか。

大元帥明王は国土を護り、敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮するとされております。

実はこの仏像には怖い話がありまして、70年以上前日本とアメリカが太平洋戦争に突入しました。大戦末期に時のアメリカ大統領ルーズベルトを調伏の儀式が高野山、東寺などで行われたとか。秋篠寺は定かでは有りませんが、偶然にも?? ルーズベルト大統領は脳溢血で死亡!   イヤハヤ、怖~い話でした。

                     雑誌・緑青

 

 それでは<青い目の人形に移りましょう。

 

               

           青い目の人形  -002

          北海道編

                                                 べティアン       

  

 この青い目の人形は札幌市・南区・簾舞小学校に所蔵されて居ります。1927年に北海道庁に643体が贈られてきた中の一体でした。戦争中は近所の西診療所の医師に保管され、ヒョンナ事情から戦後発見されました。

 

                Madam Hendren Doll 216

 

それは人形の身体に印刷されたNoから分かったのです。そして、この人形が道内で発見された21体目の青い目の人形になりました。名前は不明でしたので、ギューリック3世がこの人形に「ベティアン」という名前を付けてくれたのです。

              マリアン                  メロディー

            

 マリアンは1995年にギューリック3世から贈られた人形です。メロディーはギューリック3世の住んでおられる近くのメリーランド州ケンモア・ミドルスクールから贈られた人形だそうです。これはアメリカの小学校の生徒が折り鶴を折った報酬で購入した人形だそうです。素晴らしいお話ですね。

 

それでは<答礼人形>に移りましょう。

 

答礼人形

 

Miss 福岡

                  道具の紋          人形の紋

                

                   丸に三つ葉葵       五七桐

 

* 上下の2枚の写真はamb akagiさんのブログから掲載しました。

 

 

 Miss 福岡は現在、アメリカ・オレゴン州・ユージンのオレゴン大学美術館に所蔵されて居ります。 でも、この人形も実は元・Miss 群馬 であるとされております。では、本当のMiss 福岡はどこに有るのでしょうか。結論から言いますと現・Miss 北海道 だそうです。

 

               Miss 北海道・岩村松乾斎

            

         道具・丸に違い鷹の羽       双葉葵

                

 

アイオワ州プットナム プットナム歴史自然博物館 所蔵

では、元・Miss 北海道は何処にいるのでしょうか。 調査の結果カンザス州にあるMiss 宮城(個人蔵)が本当のMiss 北海道だということです。複雑!!

オレゴン州はワシントン州とカリフォルニア州に挟まれた西海岸の州。ユージンは人口13万人。オレゴン大学の学園都市です。当初はこの州にはMiss 神奈川が贈られるはずになって居りましたが、Miss 群馬が送られてしまったようです。にもかかわらず神奈川県の「丸に三つ葉葵」を付けたお道具少々と神奈川の子供の手紙63通のみだそうです。

どうしてこんなにも複雑な間違い混乱を起こしてしまったのか? 今となっては分からないのが本当のようです。後で答礼人形の資料を纏めるときは大変です。

それでは、次回はMiss 神奈川の行方を追ってみましょう。

 


日本の伝統芸術と芸能-033

2012-12-14 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と芸能

 

         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

                                                        その033

 

 

 

仏像の名品巡礼

                  

                         近畿地方-002

   吉祥天-002

浄瑠璃寺吉祥天 -001

 

 先回は吉祥天についてご紹介しました。法隆寺の吉祥天と同じように有名な吉祥天と言えば、京都の木津川沿いの山中にある、浄瑠璃寺の吉祥天が揚げられます。九体阿弥陀が安置されております阿弥陀堂のご本尊の左隣の厨子の中に居られます。 

 

 一般的には吉祥天というと、浄瑠璃寺の吉祥天の方が良く知られていると思います。阿弥陀堂の九体阿弥陀の本尊も共に有名ですね。

浄瑠璃寺 山門

    

 

 阿弥陀堂の前の池が手前を此岸  阿弥陀堂を彼岸とを分けております。三重塔が池の手前にあり、東方浄土(浄瑠璃浄土)の教主・薬師如来を祀って居ります。              

                阿弥陀堂

                           

 

 ご本尊の阿弥陀如来坐像の向かって左に厨子が置かれております。 

 

                 九体阿弥陀佛             

 

 厨子を開いたところ

 

             吉祥天 厨子  

                          

 鎌倉時代の作で、像高90cmと小ぶりな像。 全身が艶やかで豪華な服装は、古代中国で成立した服装です。肩には背子(ハイシ)を掛け、手には「宝珠」を持ち、

 

                           吉祥天  

 

頭上には「宝冠」を被り、 

 

             吉祥天 頭部・・宝冠

 

佛顔には胡粉が塗られ、伸びやかな眉、赤い唇(臙脂?)の彩色。 白い帯の結び目の上には、「瓔珞」が見えます。

                       瓔珞

 

 

帯の八の字の間には古代中国で高貴な人物が腰から下に付けたエプロン状の衣・蔽膝(へいしつ)が見えます。   

 

 

                      ↑ 蔽膝             

この蔽膝には3本の鰭状の飾りが付いております。下の法隆寺の吉祥天の蔽膝は少し形態が違います。

 

 

                         

                              ↑ 蔽膝 

いずれにしても華やかな感じのする仏像です。次回は浄瑠璃寺の名宝をご覧ください。

 

 

それでは<青い眼の人形>に移りましょう。  

 先回から新しい企画として、「青い眼の人形」を全国津々浦々に追ってみようと言う企画を立てました。 現在全国には327体が記録として残されております。若干新しい発見があれば、数体の増加はあるかもしてませんが、兎に角HPをPCで探し回って、資料を引っ繰り返して捜してみましょう。

北の北海道からから九州・宮崎まで、何回で踏破できるでしょうか。

青い眼の人形」-001

北海道編 

 北海道には1927年に643体の青い眼の人形が贈られましたが、現在 25 体の人形の所在が確認されております。全国でも2番目の所在数です。 (長野県は第1番で26体です。最小は各県1体6県です)南に下がるにしたがって、数が少なくなってきております。

北海道・稚内市・稚内中央小学校所蔵-001

             ジェンナー   

 

 日本が戦争に突入し、各地で『青い目の人形』の処分が進む中で当時、同校の教師であった酒井芳先生がそっと保管し、当時父親が経営していた公益質屋の倉の奥へしまい込みました。その後、公益質屋からも転居しましたが、家財道具の中に大事にしまわれていました。昭和54年夏、実弟である淳之助氏が物置を整理していたところ、この人形が発見されました。当初、由来等は分からなかったのですが人形を修理し、人形展示会に出品したことを契機に、由来を確認し、戦禍を免れるためにとった姉の意思をくみ、昭和55年4月22日に39年ぶりに学校へ戻ることとなりました。それ以来、稚内中央小学校に大切に保管されています。(稚内観光協会稚内学より・・HPより掲載

非常に理解のある人達に守られた、幸運なケースの人形でしたね。修復済みですので非常に状態が良いですね。

 

それでは<答礼人形>に移りましょう。

 

           

 

                                      

       Miss 三重・瀧澤 光龍斎

  

  所蔵場所・ネブラスカ州リンカーン ネブラスカ大学州立博物館人類学部

人形の紋

三蔓河骨
道具の紋

丸に三階松

 

現在は Miss 三重 となっておりますが、調査の結果この人形は下の写真のMiss 兵庫が本来のMiss 三重であることが分かりました。アメリカで取り違えがあったようです。ということになりますと、この現在のMiss 三重は誰なのか?今のところ分かりません。

日本出発前の写真の中にMiss 茨城のものや、日本の子供たちからの手紙が17通もありました。でも、Miss 茨城は後で紹介する通りMiss 栃木が本当かもしれません。では何故此処にあるのでしょうか?

 

                Miss 兵庫(元・Miss 三重 

 

人形の紋

三つ寄せ松
道具の紋

牡丹唐草

 

 日本に里帰りして、東光工房にてリニューアルされたMiss 三重 

 

   

 

 それにしても、現Miss 三重はどこの県から贈られたものか、分からないなんて可哀想ですね。何か手掛りがないのでしょうか。

   調度品

 

兎に角 アメリカで人形が複雑に取り違えられているので、正確な所在がなかなか分からないのが現状です。ただ、行方不明の中には他の博物館で別な県の名前で所蔵されているのも有るかも知れません。

 次回は「Miss 福岡」をご紹介しましょう。(これまた取り違えがあったようです)

 

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日本の伝統芸術と芸能-032

2012-12-07 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と芸能

 

         能面と能楽佛像と佛像彫刻 

                                                        その032

 

 

 12月に入って残りもいよいよ少なくなってきました。先回まではM 清子さんのコレクションの市松人形を掲載してきました。数々の市松人形の名品をご覧頂けましたでしょうか。全国各地に所在する仏像の中で、中央の寺院ではなく地方に所在する名品をご紹介したいと思います。併せて、青い目の人形と答礼人形を先回に続けてこれからもご紹介していきます。

 

仏像の名品巡礼

                  

                         近畿地方-001

   吉祥天-001

               法隆寺 吉祥天

        ↑吉祥天                ↑毘沙門天 

 奈良市から郊外に出て、薬師寺を辺りを通過してしばらく南下すると、右手に法隆寺が見えてきます。法隆寺は奈良を代表する名刹で、修学旅行を初めとして老若男女が訪れる寺として特に有名です。

一番上の写真は釈迦三尊像ですが、一般の方々は教科書にも掲載されている図版には、必ずといって良いほどありますので、記憶が非常に強いと思われます。 

                    吉祥天

  

筆者もご他聞に漏れず、釈迦三尊の左手に安置されている吉祥天は暫くの間その存在を知りませんでした。実際に何度か法隆寺を訪れて、釈迦三尊の前に立ったにもかかわらずです。浄瑠璃寺の有名な吉祥天の関係で調べておりましたとき、初めて図版でお目にかかり、余りの美しさに驚きました。

  

          吉祥天

 

  吉祥天は日本では作例は余り多くありません。薬師寺の仏画の吉祥天像は切手にされておりますので、馴染み深いと思います。佛顔を見られて皆さん如何でしょうか。古美術の観点から観て素晴らしい名品です。吉祥天の夫なる毘沙門天がシントメリーの位置に居られます。

                  吉祥天(薬師寺)

 

 吉祥天(きっしょうてん)、(きちじょうてん)とも呼ばれ、吉祥功徳天、功徳天とも呼ばれます。古代インドのヴィシュヌの妃とされています。福徳を司る女神として「金光明最勝王経」の中の大吉祥天品にその功徳が説かれています。

「金光明最勝会」、「吉祥天悔過会」の本尊として祀られます。日本では奈良時代の後半から鎮護国家、五穀豊穣を祈願して、この修法が盛んになったようです。吉祥天信仰は初めから国家的色彩が濃厚で、民間には流布しなかったようです。中世以降は女天としては弁財天にその地位を譲りました様です。

     吉祥天(東大寺 法華堂)   吉祥天(法隆寺 食事堂)

              

元々極彩色の仏像でしたが、最近までは経年変化のため、古色が付いて大変宜しかったんですが、彩色を彫刻当時の状態に戻しましたので、見た目大分変わりました。

             新しい彩色の吉祥天

  

個人的には今までの状態のお姿が大変好きだったんですが、仏像の場合能面と違って古色を付けませんので、止むを得ませんね。では、次回は京都の木津川の辺の浄瑠璃寺の吉祥天を訪れましょう。

 

それでは<青い眼の人形>に移りましょう。  

 

青い眼の人形」-000

 

 

 

 本日から新しくアメリカから日本の子供たちに1927年に送られた「青い眼の人形」について、「答礼人形」と同じようにシリーズを組んで、掲載したいと思います。答礼人形は58体ですが、青い眼の人形は323体(2010年)存在しています。どれ位が紹介可能かは判然としませんが、気長にやってみましょう。

当初アメリカから人形が送られた時、人形に添えられたギューリックの手紙では「友情の人形」と呼称されており[贈り主側が「青い目の人形」と名付けたわけではありません。

当時日本で、野口雨情が「青い眼の人形」の詩を発表したのは1921年(大正10年)のことで(『金の舟』1921年12月号)、人形交換よりも数年さかのぼる。これに本居長世が作曲したのが、童謡「青い眼の人形」で、1923年ににはアメリカでも演奏され、好評を博していました。

「青い目の人形」との呼称は、これに因んで付けられ、またアメリカから贈られてきた人形は野口の詩にあるセルロイド製ではなく、多くがビスクドール(素焼き)の人形でした。

                             Kathy

 

 1927年、米国から日本郵船の天洋丸で日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が贈られました。 その後不幸なことに日米開戦となり(1945年12月)となってしまいました。戦争中には人形も大混乱の濁中に入ってしまい、戦後は大半がなくなってしまいました。現在は330体前後のようです。

アメリカ国内では現在日本から贈られた58体の内、44体+α程度が博物館や美術館、個人所蔵の形で現存します。国内で戦争による混乱が少なかったことと、国策による破壊がなかったこと、文化の違いが有るかと思います。

人形は草の根運動で日米の民間外交であったにもかかわらず、当時の政治状況の違い、国民性がかなり影響していたのでしょう。いずれにしても人形には罪は有りませんですね。

             青い眼の人形 と Miss 福島       

 次回からは残っている各地の青い眼の人形のご紹介とエピソードを書いて見たいと思います。

それでは<答礼人形>に移りましょう。

 

           

 

    Miss 徳島- 続編002  Renkaさんからの提供)

      

   

 

綺麗にお化粧をしてもらって、可愛さがましました。日本の一流の人形師の手に掛るとご覧お通りになります。

 

 

 前にも書きましたとおり、現在のMiss 徳島はMiss 岐阜であることが判明しております。そのような訳で元Miss 徳はまだ見つかっておりません。東光工房・松乾斎東光)という人形師のところで修理中に修復に当たって全身を解体した所ボディの中から「光龍斉」の判が押された紙(おそらく、胴紙にし損じたもの?)が発見され光龍斉作であることが判明しました。Renkaさんのブログから(2010.11)

* renkoサンのブログに予めコメントしようとしましたが、上手くいかなかった?

同じ瀧澤光龍斎作のMiss 三重 は2009 12ころネブラスカ州から修理の為に里帰りしておりましたそうですMiss 徳島とそっくりですね。  

 

               Miss 三重

    

 次回は Miss 三重 をお送りします。

 

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