白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記-0022

2013-11-30 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

-022

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

秋篠寺-02

 

 

 

明日からはもう師走。ノンビリ気分も本日まで。後は気ぜわしい雰囲気の中で、途中クリスマスを経て一気に正月へ突入。日本の一年中の中で一番慌しい季節。寒い北風が毎日のように吹き、乾燥した大陸の大気が押し寄せてきます。筆者が居住している集落は、加計呂麻島の北海道と言われるほど気温が低く、近在の集落から入り込んでくると、辺りが途端にひんやりしてきます。お陰で夏は意外と過ごしやすいという利点もあります。ただし、北からの強い突風がたまに吹きますので、これはたまに傷。

 

秋篠寺南門

 

先回は 技芸天」について余談も交えて書いてみた。紀子妃殿下秋篠寺の技芸天がどのような因縁を持つものかは、浮世を離れた異なる次元の世界の話ではあるが、紀州和歌山は目と鼻の先である土地柄であり、現に「紀氏」という豪族が存在したことでも有るから、決して根も葉もない話ではなかろう。

「技芸天は」は大自在天(ヒンズー教のシヴァ神)の髪際(ハッサイ)から生じたとされているが、ヒンズー教には技芸天に相当するものが存在しない。しかし、ギリシャ神話のオリンポス十二神の一つ、「アテナ」は最高神ゼウスの額から生じたと伝承されている。このことから技芸天はインドではなくギリシャからの伝承でないかと言う説も有る。現に「仏像」は古代インドよりもギリシャ経由(ガンダーラ佛)の可能性も有るから、この話は信頼性があると思うが。

 

    技芸天 ・ 竹内 久一作            秋篠寺・技芸天

                                 

 

 上記の仏像は美術教科書にも馴染みの現代の名工・竹内 久一作の技芸天である。 技芸天は経典では「左手を上に向けて、一天華を捧げる」とされている。そのことから見ると秋篠寺の技芸天は経典に合致しない。このことから、秋篠寺の技芸天は「音声菩薩」とも考えられている。しかし、筆者が礼拝の対象に壁に掛けてある、山田 敬中の技芸天の仏画(複製写真)は、秋篠寺の技芸天と同じポーズを取っている。天衣の描きかたも同じであるから、田中 敬中が秋篠寺の技芸天を基にして、描いたものに相違ないであろう。(この仏画は1929年製作、東京・目黒雅叙園所蔵となっていたが、現在は不明である。所有者が変わっているかもしれない

 

ちょっと 一服

 話の喫茶店 

 

 

竹内 久一の作品をご紹介してみよう。

1868~1934間の明治・大正時代の日本画家、浮世絵師。

摸刻 ・ 山田 敬中 作 (東大寺・法華堂・月光菩薩)/1891年作

 

神鹿 ・山田 敬中/1912年作

 

次回は「大元帥明王」について書いてみよう 

 

能面鑑賞

男面 

 

堀 安右衛門 特集 

 先回は男面の代表的な面を紹介してみました。今回は現代最高の能面師・初代 堀 安右衛門氏の作品をご紹介しましょう。(資料・・面からたどる 能楽百一番・・淡交社」

この方は長沢 氏春、橋岡 一路という現代の最高の能面師方々のお一人で、現在京都府福知山に居られます。面打ちの傍ら多くの能面製作集を書かれておられ、且つ、能面自体の水準も最高のレベルと言っても過言では有りません。彩色に優れた能面師ですね。

 

     観世家・室町時代 渇食            堀 安右衛門 作 中渇食

            

 

左の作品は能宗家所蔵の能面で、室町時代の名工の作ですが、堀氏の作品はそれに比較して遜色ない素晴らしいレベルの作品であることが、一見して分かります。単なる写しではなく型に嵌めながら、ギリギリのところで自分の個性を出していることが分かります。

以下順次ご紹介しましょう。

                   小渇食                小渇食 堀 安右衛門 作

            

 

現代の作家はいろいろ居られますが、この方を超える方は居りません。正に名人です。大変気持ちの暖かな優しい方で、鈴木 慶雲のような作家ですね。それが面に滲み出ております。如何でしょうか。能面というものはこのようにして打つものなのですね。作者の癖がありません。仏師の名人もこれに良く似ております。筆者は大変尊敬しております。

 

           童子桃山時代・三井家          童子・ 堀 安右衛門 作

                 

 カラーでないのが残念ですが、遜色ないですね。左の面は少し照らし気味、右は曇らし気味の撮影ですが。面の外形が少し違うのが表情の違いに影響してますでしょうか。毛書きの線は素晴らしい。

 

           慈童・室町時代・観世家              慈童・ 堀 安右衛門 作

                                                             

 確かなことは言えませんが、左の観世家の「慈童」の写しが右の面ではないでしょうか。口の切り方、毛書きの線の描き方を比較してみてください。

次回も堀 安右衛門氏の作品をご紹介しましょう。

 

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お知らせ 

能面打ち用の用材のお裾分けします。

 今から30年前に購入した面打ち用の用材です。材質は「櫟(イチイ)」です。櫟は別名<オンコ>とも呼ばれている、彫刻用の専用用材です。この用材は長野産です。 北海道の熊や鮭の彫り物や、奈良県の「櫟一刀彫り」でも有名です。年末から正月休みで面打ちをされてみたい方で、希望者に櫟の用材をお譲りします。(初めから檜材では高価ですので・・とは言っても彫刻材はどれも安くはありません・・数量は2本だけですが

 用材のサイズ・・260x175x105mm ・  柾目  譲渡価格・ ¥5.000円/一個(30年前の購入価格)、 送料は購入者負担でお願いします。

上から1,2段目まで櫟の用材

             

充分に乾燥しておりますので、狂いや脂の危険はないと思われます。木目が緻密なので打ち易いでしょうか。小面を打たれる方には最適のサイズです。同サイズの尾州檜材ですと240x170x90mm で¥12.600円位です。

メール・・SAWARAAMAMIN@yafoo.co.jp/

 * 譲受希望の方は送付先をお知らせください。メールにて送料、代金振込先をお知らせします。無くなり次第終わりとします。また、簡単なレベルでしたら、取り扱いの質問もお受けしますので遠慮なくどうぞ。宛先はAMAMINで結構です。

 

 

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白洲正子文学逍遥記-0021

2013-11-24 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

-021

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

秋篠寺-01

 

 

いよいよ南西諸島・奄美大島も北から中国大陸の大陸性高気圧・冬将軍の到来を告げる冷たい風が吹き始めました。乾いた風のおかげで畠が白くなっております。今年は例年になく雨量が少なかったので、秋・冬野菜の植え付けには難渋しております。

遠くフィリッピンではまだ先日の台風30号の被災状況が、未だ判然としていない状態だそうです。一日も早く各国の支援を受けて、一日でも早く、以前の状態に戻ってもらいたいものです。

 

 

 唐招提寺、薬師寺を経て漸く秋篠寺に辿り着いた。先の二寺に比較して余り観光客が訪れる寺ではないようであるが、知る人ぞ知るというような感じの寺でもある。「十一面観音巡礼」の本文中でも、秋篠寺の由来が細かに書かれている。この寺に開基当初から何かしらオドロオドロしい事情が付きまとっていたようである。隆盛な時期もあったようであるが、明治期の廃仏毀釈の荒波をまともに受けた時期もあった。

創建当時は「内経寺」と称した時期もあった。この寺の一帯は古くから秋篠氏一族が住み着いていた関係で、<秋篠>がこの寺の名前に変わっていったようである。この寺の創建は天智天皇の孫の光仁天皇の勅願の寺である。藤原一族、称徳天皇(孝謙天皇の重祚)、弓削道鏡、和気氏の一族、桓武天皇、藤原蔵下麻呂 etc歴史上の著名な人物が続々と出て来る寺でもある。

 

秋篠寺東門

 

唯、これらの人々と陰謀、暗殺、呪詛などという、オドロオドロシイ物語が纏わり付いているのも、この寺の特徴である。特に後でご紹介する<大元帥明王>はその極め付きかもしれない。

 

梵天立像204.8cm

秋篠寺本堂

 

 この仏像は頭部と身体部とで、制作方法が異なっている。頭部は脱乾漆・彩色像で制作年代は奈良時代。身体部は木造で鎌倉時代となっている。保延元年の全山消失の事件がそのような事にかかわっているようである。このような形はこの他に3体ある。(伝伎芸天像、伝救脱菩薩像、帝釈天像、)

 

 

 

 

伎芸天立像204.5cm 

秋篠寺本堂

 

大自在天の髪際から化生したとされている。大自在天はインドの最高神・シヴァ神である。この事からもこの秋篠寺が密教と関係が深いことが窺われる。この像も頭部は奈良時代、身体部は鎌倉時代の作である。教科書的にはこちらの仏像が良く紹介されている。

 

      

 

 

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紀子妃殿下伎芸天」 

 

 <秋篠>という言葉を聞くと、「秋篠宮」と誰もが連想すると思われるが、何か関係が有るのであろうか・・・・・・・文仁親王殿下が以前秋篠寺を訪れた時、先に紹介した技芸天の像が、紀子妃殿下に良く似ているという事が、きっかけであった・・・・・という話が漏れ伝わっている。

秋篠寺を創建された光仁天皇の母方の氏族は、氏という古くからの豪族である。光仁天皇の時代には和気氏と紀氏の一族が栄えた時代があった。妃殿下は川嶋辰彦・和代夫妻の長女として出生された。本籍地は川嶋家父祖の地、和歌山県和歌山である。「紀子」という名前の由来は和歌山の旧名「伊国」に由来するのであろうか。

文仁殿下が技芸天からどのようなインスピレーションを受けたのかは定かではないが、超自然的な何かが作用しているのかもしれない。世の中にはこのような事は沢山事例としてある。

 

次回は「大元帥明王」、「十一面観音菩薩」について書いてみよう。

 

能面鑑賞

男面

 

小渇食

 

 

<渇食>とは、寺に住み僧侶の世話などをする、僧侶見習いの青少年達です。年齢で小、中、大渇食の区別が有ります。額の中央に曲げのような毛書きが有りますので、これで区別が付きmす。見た目は女面に似ては居りますが、眉のところが女面は高眉になりますので、この点が違います。製作難度は女面と同じくらい難しい。

 

 渇食

室町時代・観世家

石川龍右衛門の作とされている。

 

 

慈童 

室町時代・観世家

 

「慈童」は妖精の面です。類型面では「猩々」があります。どことなく怪しげな笑いを帯びた表情が唇に見えます。これが下の「童子」と明らかに違う点で、ここをひとつのポイントとして捕らえます。額の毛書きの線は繊細で素晴らしいです。相当の名工の作ですね。

童子

桃山時代・三井家

 

桃山時代の名工・千種の作とされている。品格があってなかなか宜しいですね。眉を指で隠して見ますと女面と同じように見えます。この手の面は難しいでしょうね。いつも言うことですが、室町、桃山時代の面には名品が多く見られます。写しよりも本面が多いからでしょうか。

 本日最後に名品を

 

作者不詳の名品

増髪・銘 <卯の花

 

 

増髪」はヒステリックな表情の女面ですが、その中で群を抜いている名品。でも作者不詳。誰の作でしょうかね?  これほど美しいのは他になし。

 

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白洲正子文学逍遥記-0020

2013-11-16 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

-020

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

薬師寺-04

 

 

 薬師寺・大講堂

 

ここ南西諸島にも漸く晩秋の兆しが漂い、所々に紅葉した木々が見え始めてきた今日この頃です。台風の襲来もないだろうと胸を撫で下ろそうとしたのも束の間、巨大な台風30号がフリッピン方面から東南アジア、中国方面を襲い未曾有の大災害をもたらしました。死傷者は未だ全体像を掴めず、死者だけでも10.000人以上という情報も有ります。一千万人以上の方達が路頭に迷っているとか。もし仮に運悪くこの台風が西南諸島を襲ったならば、どのような大惨事になったことでしょうか。考えただけでも被害の経験のある私どもは胸が痛みます。

不幸にも惨事に遭われた方々にお悔やみ申し上げます。

 

 

薬師寺大講堂

 

 薬師三尊像

 

 

この三尊像は伝・弥勒三尊とも呼称され、今のところ奈良時代の作とされているが、諸説あり確定されていない。三尊の詳しい来歴も不明である。

 

中尊像 ・267.5cm

 

 

 

薬師寺東院堂 

 

薬師寺東院堂を桜の木々に仰ぎ見る 

 

 

東院堂 

 

 

 東院堂聖観世音菩薩立像

 

 

 筆者の仏間の胎蔵界曼荼羅の左横に安置されているお写真が昔から有るので、薬師寺というと、この観音像がすぐに頭に浮かび上がってくる。ブロンズ像としても絶品である。特に我が身が観音信仰でもあるので、その感は更に強くなる。

美しい観音像としては、以前住していた北近江の渡岸寺の十一面観音像、中宮寺の如意輪観音像があるが、正直どの仏像も甲乙付けがたい名品である。

佛顔

 

 

聖観音は<正観音>とも表記する。数多くある観音像の中心的存在でも有る。唯、参拝した観音は圧倒的に十一面観音像が多いのも事実である。

 

仏像の身体全体に施された緻密な瓔珞などの彫刻は、壇像佛を直ぐ連想させるが、プロポーションの完璧に近い素晴らしさは正に絶品である。以下に当時の仏師の技量が素晴らしかったかが直ぐに理解できる。現在でもこれ以上の仏像の製作は不可能と思う。何故なら、佛顔は手先の技量だけはとても及ばないであろうから。仏師=仏教修行者という条件を求められるからである。佛顔以外は何とか当時のレベルに及ぶであろうが・・・・

その詳細撮影 

                           

 以前にも書いたが、薬師寺というと先ず「東院堂」とこの「聖観音像」と旧講堂にて、朱印帳の達筆な「老僧の筆跡」を直ぐ思い出す。また、それしか思い出せない。それほど30年後の今でも強い印象を持っている。檀家を持たない学問寺としての寺格の高さが、私をして捉え離さないのかもしれないし、寺としての憧れでもある。

新しく建立された堂宇はそれなりに見た目は素晴らしいが、千数百年の星霜を潜り抜けてきた東院堂に勝るものはない。時間の重みである。新築の西院堂もこれから長い時間が必要なのである。

 

  

ちょっと一服」     

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 観音菩薩像について

 

観音菩薩、観世音菩薩、観自在菩薩などと様々な呼称がある、一般民衆に古くから信仰の対称になってきた観音様。六観音、三十三観音、百観音とその数も様々・・・

全国には各地域に巡礼とか、遍路とかの名称を架してどの位存在しているかは分かりませんが、各都道府県にそのようなものが存在しているのは間違いないところです。そして、それらに関係している寺にはその寺に纏わる観音さまが祀られております。

A- 四国遍路・・・・八十八箇所の寺の全てのご本尊が、観音ということはありませんが、観音のご本尊が多いですね。もともと弘法大師空海縁のものでもあります。

B-  西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所 = 百観音 となります。これは巡礼と呼称し、寺のご本尊は観音。

C- A,B以外に「新xxxx巡礼」などと、様々な呼び名の巡礼が存在します。

 

六観音・・・聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音・馬頭観音・准胝観音です。(天台宗では准胝の代りに不空羂索観音) 

三十三観音・・・楊柳(ようりゅう)・竜頭(りゅうず)・持経・円光・遊戯(ゆげ)・白衣
(びゃくえ)・蓮臥(れんが)・滝見・施薬・魚籃(ぎょらん)・徳王・水
月・一葉・青頸(しょうきょう)・威徳・延命・衆宝(しゅほう)・岩戸・
能静(のうじょう)・阿耨(あのく)・阿麼提(あまだい)・葉衣(ようえ)
・瑠璃(=香王)・多羅尊・蛤蜊(はまぐり)・六時・普悲・馬郎婦(めろ
うふ)・合掌・一如・不二・持蓮・灑水(しゃすい)。

 

 薬師寺・十一面観音菩薩立像・三体

薬師寺には3体の十一面観音菩薩像が安置されている。(薬師寺東京別院での撮影

 

通常参考書等には2体が普通である。上記の左の像である。破損の部分が多く髻以外の化佛や挿佛もなくなっている。一見して十一面とは判断しにくい関係であろう。木質佛であり、漆を塗りその上から彩色が成されているように見える。眼は彫眼である。彫りはしっかりしており全体の身体の絞ったような形態は、奈良・平安時代の名作に引けを取るようなレベルではない。なかなかの秀作であろうと思われる。保存状態が残念である。

 

薬師寺十一面観音菩薩-01

 

 

薬師寺十一面観世音菩薩-02 180.3cm

 

三体の仏像の中では、保存状態もよく端正な顔立ちが印象的である。彩色で平安時代の作。髻の上の如来の佛頭やその他の佛頭もバランス良く配置されており、全体的にバランスが良い。特に筆者個人の好みのお顔立ちである。正面からの撮影とは面立ちが違って見える。

 

 

薬師寺・十一面観音菩薩-03 191.5cm

 

奈良時代の作である。唐招提寺、大安寺の仏像群と共通する作であるそうである。仏頭の磨耗が進んでいるのが残念であるが全体のプロポーションはしっかりと残っている。

 

 

 

最後に鎌倉時代の作の地蔵菩薩をご紹介する。作者は仏師善円

薬師寺地蔵菩薩立像 97.3cm

 

参考までにご紹介するが西大寺の<愛染明王坐像>は善円作である。

以上で薬師寺をお暇して、次回は秋篠寺

   

 

 「能面鑑賞」 

鬼神系の

 

癋見・桃山時代・越前出目家・二代

 

 

福井県・杉浦家に伝承する面で、越前出目家、第二代則満の作とされております。この地は古代から越前と称されてきた土地柄で、琵琶湖に広がる近江への玄関口でもあり、又同時に朝鮮半島からの文化の流入口でも有りました。古来より面打ち師の名工が輩出した土地柄です。

癋見の類型面には、「大癋見」、「小癋見」、「猿癋見」、「牙癋見」、「黒癋見」、「白癋見」、「長霊癋見」などがあります。

 

小癋見室町時代・重文 東京観世家

 

上記の小癋見は赤鶴作と伝承されている名品です。下の面も同じ型の面。

大癋見(熊坂)

 

鬼神物の後シテに用いる、「鵜飼」、「野守」等にに用いられます同系の「大癋見」が天狗魔障の面に対して、地獄の鬼神の面として使われます。

 

猿癋見・室町時代・重文・宝生会

 

今回は桃山時代、室町時代の名品をご紹介しましたが、能面はこの辺りから江戸の初期に掛けてに名品がたくさんで出ております。能が武家の式楽となっていった江戸時代になると、逆に名品、名工は少なくなります。仏像も天平・奈良時代が最高で、鎌倉期に光彩を放ちますが、江戸期に入ってからは衰退の一途でした。この現象とよく似ております。

 

  

 

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白洲正子文学逍遥記-0019

2013-11-08 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

-019

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

薬師寺-03

 

 

本州でも「木枯らし一番」が吹いたそうです。奄美群島は雨と曇りの毎日が続いておりましたが、ようやっと天気も回復してきました。南太平洋ではとうとう台風30号が発生しました。本当に今年は例年になく台風が吹き荒れました。もう、こちらの方には来ないで欲しいのですが。

畠に出ますと蚊が飛び、家に仲間で付いて来ます。彼らも必死なのでしょう。晩秋から一気に春になってしまう土地柄、秋野菜の植え付けと春野菜の準備を、もう頭の中で練っているような感じ。

東大寺、唐招提寺、興福寺と古代日本を代表する大寺に匹敵する薬師寺も、そう簡単に参拝するにはいかない寺院です。講堂、東院堂とまだまだという感じでしょうか。

  

  

 金堂内の仏像群-02

 

薬師三尊

          月光菩薩                                                                       日光菩薩                                    

 

 一見、見掛けは左右対称に製作されているように見えますが、詳細に見ますと左右の菩薩像は違っております。光背の化佛の位置や、瓔珞、天衣、手の位置が左右微妙にずれております。唯、首から上は位置関係は正確です。薬師如来から見て、左が「日光菩薩」、右が「月光菩薩」となる。

月光菩薩 

 

 

 菩薩頭部

 

 

 日光・月光菩薩は薬師如来の脇侍であることが一般的ですが、千手観音菩薩を本尊とした場合に、三尊形式を取ることがありますが、単独での作例はないようです。興福寺にも同じ形式の三尊像がブロンズで作例として残っています。

 

 日光菩薩

 

 

 見てもすぐ分かるように、ブロンズ像としては最高の逸品です。このブロンズの作成技術が、古代中国からもたらされた事は間違いないことですが、古代エジプト時代において、既にブロンズ像が有ったとされております。いずれにしても中東、シルクロードを経由して中国に伝播されたものと考えられます。東に移動するに従いその完成度が高まったのでしょう。

仏像の材質が白檀やカヤになると、壇像佛のような緻密な彫刻像になって来ますが、特に身体に付けられた瓔珞などに、その特徴が現れてきます。

 

 

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<その一> 

 

 ブロンズの像について

銅像」と「ブロンズ」像とどのように違いが有るのか。調べてみましたら、用語としての厳密な違いは余りないようですが、「銅像」は銅が100%、「ブロンズ」は銅85%、錫5%、亜鉛5%、その他による合金だそうです。通常<青銅>と表記されています。オリンピックの銅メダルは、英語表記はCopper メダル のはずですが、何故かブロンズ メダルです。不思議!

 

<その二>

 

非常に貴重な写真をご紹介

いずれも細川 細川護立氏の寄贈品 

 

壇像佛

壇像佛 として、最も古いとされている壇像佛が奈良県の吉野に近い、

多武峰の談山神社に安置されている。中国伝来とか。

十一面観音

 

 

一瞬、ブロンズ佛かと見間違いそうな精緻な石仏彫刻。

十一面観音菩薩像・浮彫石仏 

 

  唐時代(8世紀)(重要文化財) 長安宝慶寺伝来の仏像「陝西省西安宝慶寺

上記の仏像製作から100年以上も前に、日本に仏師が渡来していたことになる。石の材質は不明ですが、ブロンズ像のような完成度があります。

 

   

 

 「能面鑑賞」 

 

真蛇

 

 突然、怪奇な面が飛び出してきましたが、これも能面です。作者は不明です。何時頃の時代のものでしょうか。鎌倉から足利時代の名工・赤鶴の作でしょうか。薄暗い和室の床の間に、この面が飾って有ったら、とてもじゃないが一時も居られたもんじゃ、ありませんでしょうね。

この面は一度も舞台で使用されたことがない面だそうで、この面を面箱から出すと、決まって雨が降るとか。恐ろしい面です。「真蛇」は鬼畜系の面です。「道成寺」などの舞台で掛けられます。

 

真蛇は女面である

 面の額のところの前髪の描き方を良く見てみてください。女面の毛書きの書き方になっています。つまり、女性が嫉妬に狂うと先ず、「般若」になり、更に獣性を帯びたレベルになると、「真蛇」になります。また、高貴な女性の場合は「般若」を、庶民の女は「真蛇」を使います。

      ↓ 女面の毛書き

 

ご覧のようにすっきりとした毛書きと、乱れた毛書きの違いは有りますが、紛れもない女面。

 

般若

 

女性が怒ると角を出すという喩の通り、鋭い角が2本出ております。真蛇と同じく眼には鍍金が入って、鬼畜面であることが分かります。般若系統にも段階があり、

生成」→「般若」→「」→「真蛇」という具合。般若も毛書きが女面と同じです。

 

橋姫・(重文

宝生流の宗家に伝えられている名物面で重要文化財です。額の毛書きの乱れは秀逸で雪舟の筆によるもの伝えられています。凹凸のある所に、毛筆で細い線を書くのは、画家ならではのものです。「橋姫」の専用面。

今回は鬼畜面ばかりでした。

 

 

  

 

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白洲正子文学逍遥記-0018

2013-11-02 | 日本の伝統芸術

 

 

白洲正子文学逍遥記

-018

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

薬師寺-02

 

 

11月に入ると、南西諸島も幾分涼しくなってきました。最低気温20℃、最高気温25℃。北海道は初雪も降るような状態でしょうが、秋といえば秋。晩秋といえば晩秋。

とは言っても、<蚊>はブンブン飛ぶは、真紅のハイビスカスの鮮やかさ、紅葉は有るのかないのか分からない。大根、白菜、青梗菜、人参などの野菜の種を蒔き始めました。先日、サツマイモの収穫が終わり、今年の畑作業はこれで終わったと、思ったばかりなのですが。

台風29号は運良く日本には向かってきませんが、これで終わりにして欲しいのですが。

 

先回は薬師寺の周辺を散策してみたが、今回から当寺の仏像をご紹介したいと思う。その前に余計なことではあるが、この寺以外に奈良市内には、歴史的に有名な寺「新薬師寺」という別な寺があるので、<薬師寺>とお間違いのないようにしていただきたい。

 

 

 

 金堂内の仏像群

 

薬師三尊像 

 

 仏像には木彫佛、石佛、乾漆佛など様々な材質があるが、数多くはないがブロンズ佛も有名なものはある。最も一般的なものは、東大寺の大仏である。唯、火災などで可なり作り替えられているので、白鳳時代の部分はごく限られている。それに引き替え、薬師寺のブロンズ佛は火災に遭ったとはいえ、当時の面影を色濃く残しているようである。それでは、まず最初にこの薬師三尊像からご紹介することにする。

 

 筆者も先ずはこの薬師三尊を、この寺を訪れた時にはいの一番に参拝したはずなのだが、強烈な印象というか、記憶が余りない。それよりも薬師寺・東院堂の<聖観世音菩薩立像>の方が、今でも脳裏に強く焼きついている。東院堂の美しさと自らの観音信仰に起因するのかもしれない。申し訳ないことではあるが、これは筆者の頭の内部の事情によるものであるから、止むを得ないことである。

先回もご紹介したとおり、この寺は飛鳥の当初その原型が藤原京の薬師寺である。この三尊像が当初からの佛像であるかは、はっきり分からない。移転後製作されたとされる説の方が強い。いずれにしても大変な秀作である。

 

薬師如来

254.7cm 

 

 

製作当初は光背と同じく鍍金であったが、火災によりそれを失い、且つお身拭いなどで現在のような光沢を帯びるようになったようである。(金箔は注意深く見ると、胸、腹部、台座によく残っている平安時代の仏師・定朝がこの仏像を目標として、定朝様式の円満な造形の源流であるとされている。2.5mもあるブロンズ佛を製作する技術が、当時あったことに驚きを感じる。完成度も極めて高いし、現代でもこのような完成度を持つ、ブロンズは世界でもそう数はない。如何に当時の造佛技術が高かったかが分かろうというものである。 

佛顔

                      

 

佛顔をよく見ると、眉、唇の縁などに鏨が入っている。特に眉の部分の鏨は制作年代の特定が出来るそうである。また、手・指や足の表現、足裏の輪相などまで細かな表現が見られる。

 

           

 

興福寺の旧山田寺の講堂本尊の佛顔と比較すると、可なり写実表現が進んでいる事がわかる。

興福寺・旧山田寺 講堂仏頭 

 

 

ちょっと一服」    

     話の喫茶店  

 

 ブロンズの鋳造技術

 

  ブロンズの仏像鋳造はどのように成されるのかについて、簡単に説明してみましょう。

 白鳳・天平時代には<蝋型鋳造法>という製作方法が用いられておりました。まず塑土で大まかな仏像の原型を造り、その上にある程度の厚さまでを被せていきます。その後、この蝋の上に細かい彫刻を施し、蝋の仏像が完成すると、その上に粘土を被せます。次にこの像を焼きます。焼くことにより蝋が溶け出し、塑土の芯と粘土の間に隙間が出来ます。その後、その隙間に「」と呼ばれる溶かした銅を流し込みます。冷えたら粘土を剥ぎ取ると、ブロンズの像が出来上がるわけです。 

奈良の大仏のような 巨大なものは、大変な労力と費用が掛かったことでしょう。でも手法は同じです。後には木彫の仏像がたくさん製作されるようになりました。唐招提寺の乾漆佛と同様に、費用が莫大な手法でもありました。 

 

   

 

 「能面鑑賞」 

  

節木増・増阿弥久次 

 

同上の面の拡大(モノクロ

 

 

  増阿弥 久次作・「節木増」はご覧の通りの女面の代表作です。足利時代の作者で「六作」と呼ばれる能面師の一人です。基本的には<増女>として作られたのですが、鼻の付け根に脂が出てしまい、本来ならば傷物になるところ、余りの名品ゆえにこれが基本面になってしまったという面です。以前ご紹介しました天下一・河内の<若女>の上を行くような名品です。

伝承によれば、増阿弥は能役者でしたが、60歳を過ぎてから能面を打ち始め、その際の作とか。当時ならば人生50年の時代でしたでしょうから、驚異的な事です。製作者の年齢を全く感じません。

節木増・故 鈴木 慶雲 作

 

 

現代の能面師で元々、仏師でした。高村光太郎の父、高村光雲の弟子筋の方。非常に穏やかな方で面にもそれが現れております。素晴らしい品格のある出来。宝生流の宗家付きの作家でも有る。嵯峨人形の研究家としても有名。筆者のフアンの作家でもある。

 

小面 天下一 友閑 満庸

 

節木増友閑 満庸

 

江戸時代初期の作家・天下一 是閑 吉満の弟子、二代目 天下一 友閑 満庸の<節木増>です。残念ながら正面写真は有りませんが、素晴らしい出来。

如何でしょうか。このような途轍もなく素晴らしい名品を、直に見る機会はなかなか有りませんが、機会があれば是非本物を見ておいてください。これを頭に焼き付けて置く事が大事なことだと思います。そうすれば駄作には眼も呉れなくなります。相乗効果で他の名品もすぐ目利きが効きます。

 

 

 

  

 

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