白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記-0017

2013-10-24 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

-017

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

薬師寺-01

 

 

 

 

 

薬師寺界隈 (大池方面から)

 

 

今年は台風の当たり年でしょうか、既に28号まで来襲しました。恐らく30号突破も有るでしょう。

例年なれば奄美大島が災害が有るのが普通ですが、今年は伊豆大島が大災害に遭いました。

今後の台風の進路によっては、かなり危険な状態です。

大きくそれて欲しいのですが、何分にも相手が相手だけに・・ 

 

 

 近鉄線の沿線に唐招提寺と薬師寺は整然と南北方向に並んでいる。筆者は先に「薬師寺」を参拝してから、唐招提寺まで徒歩で向かった記憶がある。薬師寺は大寺であるから全てが頭に記憶として残っていないが、旧講堂の静かな佇まいと、白鳳時代の創建の「東塔」のしっとりとした、如何にも時代の静けさを感じさせる、三重の塔の美しさは確りと記憶に残っている。

先ずは薬師寺周辺の時代を織り成す風景について、著者・白洲正子様と同様に語ってみようと思う。

 

 

 

 昭和に入り、1976年金堂、1981年西塔、1984年中門、1991年玄奘三蔵院、2003年大講堂が落慶されたので、筆者が薬師寺・旧講堂を訪れた時は、未だ昔のままの落ち着いた佇まいを残していた。講堂で朱印丁に上記の通り、朱印をいただいた時の印象は今でも強く残っている。

通常は半ば専門化した僧侶や民間人が受付で、観光客の受付をしているので、何かしら匂いがして嫌な感じがするものであるが、この時ばかりは中年の端正な僧侶が、誠に静かに丁寧な筆使いをされていた。ご覧通り最後まで手を抜いたところが見当たらない。 

窓口の扱いでその寺の全ては民間人にはそのまま評価されてしまう。管長の人格や教育までがそうであるかのように評価されてしまう。民間会社の受付でもそれは言える。駄目な会社はここだけのセクションでほぼ分かるものである。当然、有名な会社は、受付嬢は美人で、テキパキしている。

 

 

奈良市近辺-01

 

 

 平城京は平城京跡を中心に見ると、東に春日野、東大寺、興福寺。北に西大寺、西隆寺、秋篠寺。南に唐招提寺、薬師寺があり、東西に神仏の世界を置き、宮殿と人々の居住地を守るように造られている。平城宮の近くには法華寺があり、興福寺の南には大安寺、新薬師寺がある。著者がこの近辺の風景や、歴史的な成り立ちなどを、名文を持って書かれているので、筆者が駄文を追加する隙間はもはやないのだが・・・

奈良市近辺-02

 

唐招提寺の傍に近鉄・尼ヶ辻駅があり、近所を通る阪奈道路の傍に、喜光寺(菅原寺)がある。近鉄京都線の平城駅の傍を流れる川が秋篠川。秋篠寺と神功皇后稜の間を流れている。この川は<サイガワ>と古来から呼ばれているようで、塞の神の川という意味である。人々に災いをもたらす疫病神などの侵入を遮り塞ぐ神を意味する。聖域と俗世間の間を流れる塞の川が、秋篠川である。

        神功皇后稜                        垂仁天皇稜

                           

 

 秋篠川の西側は菅原といい、その中心部は垂仁天皇稜である。その北には菅原神社がある。またその西側には喜光寺(菅原寺)がある。行基が菅原氏から寄進を受けた寺である。すぐに気が付くように、菅原道真はこの地で生まれたという伝承がある。「菅原」というのは、清々しい原、清浄な神や仏の世界を意味する。つまり西の西大寺と、東の春日山、東大寺の神仏の地と対を成している。

 

菅原寺 

 

 

古墳やの築造や埴輪の製作に携わった造り部が「土師氏(ハジシ)」である。菅原に居住した土師氏の一族が菅原氏を名乗り、その一部が秋篠氏を名乗った。その源を辿れば、古代朝鮮の百済からの帰化人ということであろう。

 

 

 

薬師寺金堂

 

 

唐招提寺 

 

 

 

 ↓

大和八木 

 

 

金堂

  

 

<十一面観音巡礼>では高田好胤管長の人となりについて、細かく書き綴られている。橋本凝胤氏が先代の管長であり、この方の方が著書などで筆者とは縁がある。金堂の再建だけでも約10億円が必要だったが,檀家組織を持たない薬師寺にはその資金獲得のために、「写経勧進」を行い実に600万巻を達成し、金堂、講堂の新築を行った。

写経

 

全国から浄財を集めて神社仏閣を建立する為の、「勧進」という日本独特の手法でもある。一代で成し遂げた偉大なる事業でも有る。どこかの国の牧師が邦貨で5億円の予算の教会建築に42億円もの金を投じ、あまつさえ個人の住居に変貌させ、ローマ法王により免職にさせられた話が海の向こうから聞こえてきたが、全く罰当たりな話である。(これはいささか、余談になったが)

 

 

ちょっと一服」    

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* 檀家組織を持たない薬師寺

 浄土宗や浄土真宗などの門徒や鎌倉仏教の信徒には、不思議に思われる方も居られようが、薬師寺は奈良仏教、つまり南都仏教の寺院であるから、本来的に学問寺院である。この寺は法相宗の本山でもある。同じ形態には興福寺が有名。京都の清水寺は北法相宗である。

南都六宗には法相宗(唯識論)、倶舎宗(倶舎論)、三論宗(中論、十二門論、百論)、成実宗(成実論)、華厳宗(華厳経)、律宗(四分律)がある。仏教学派的要素が強かった寺である。それ故檀家を持たない。よって民間の冠婚葬祭には関係しない。此れ故、資金は浄財を民間から募るということになる。本来の寺のあり方はこれが本旨ではないが、大乗仏教以前の上座部仏教の段階は、より専門化して、学問仏教に変質していた時代もあった。

 * 唯識三年、倶舎八年という位に、習得が難しい喩えに使われる。桃栗三年、柿八年とか。唯識学とは簡単に言うと仏教心理学で、心の有り様の仏教的見方を研究する。倶舎論は「阿毘達磨倶舎論」(あびだつまくしゃろん)のことで、いわゆる仏教哲学である。古代インドにおいて高度な仏教学の学問体系があった。その意味では古代ギリシャに匹敵し、かつ勝るものでもあった。日本でも南都における仏教学の基本であった。

 

 水煙

 

 

薬師寺の由来

 薬師寺は天武天皇が天武9年(680年)に、皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願し、初めは飛鳥の藤原京に有った。その後、平城遷都に伴い養老2年(718年)に、現在の西ノ京にうつった。その後明治時代に学問的な論争が発生した。これらの2都の寺が、遷都に伴い堂塔や仏像が移転したのか、新造されたかである。結論的にはそれぞれ独立して、存在したということになっている。金堂の薬師三尊も新都で造像されたということになる。

 

次回以降は薬師寺の仏像を主にご紹介したい。 

 

  

 

 「能面鑑賞」 

 

大癋見 ・赤鶴

 

 以前に天下一・河内の「小癋見」をご覧に入れたが、同系統の面である。赤鶴は近江または越前の能面師とされているが、鬼畜面に秀でている。

小癋見

             

             参考 

 

痩男 ・ 河内

引き続いて天下一河内の作品・・・「痩男」です。

 面裏

面裏の状態ですが、丁寧に仕上げております。

面裏の極め書の作成年代は不明ですが。

<痩男>は眼に金鍍金の金物が入っておりますので、怨霊面になります。<痩女>という同系の面も存在します。この手の面は「氷見(ひみ)」が有名な作者です。現在の富山県 氷見 の僧が、死体を傍において、この手の面を打ったとか。河内が打つと品良く仕上がるように思えます。

能面師によっては、この手の面を打つと、途端に身体の調子を崩すとか。かの有名な現代の能面師・鈴木 慶雲が「能の面」に書いております。解るような気持ちがします。筆者も素人ですから死ぬまでご免被りたい。

 

 

 

 

 

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白洲正子文学逍遥記-0016

2013-10-19 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

-016

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

唐招提寺の仏像

04

 

唐招提寺 講堂

 

いよいよ神無月ともなれば、北の北海道からはチラホラ初雪の頼りも聞こえてきます。

伊豆大島は四台台風の災害が生々しく報道されております。

離島の火山灰の傾斜地の土石流の恐ろしさをまざまざと見せ付けてくれます。

逸早い復旧を願って已みません。

 

 唐招提寺の多くの仏像群のご紹介をしてきたが、余りの量に圧倒される思いである。東大寺、法隆寺、興福寺などの巨大寺院は如何ばかりであろうか。今回は「講堂」に立ち寄ってみようと思う。

 

唐招提寺・弥勒如来

 

「講堂」の由来

 唐招提寺・講堂は平城宮朝堂院の東朝集殿を当地に移築された。年代的には鑑真和上が在世されていた天平宝字4年(760~762)年の頃とされている。しかし、その後改修され鎌倉時代の様式に改修された。

「弥勒如来・弥勒菩薩

弥勒菩薩>の方が馴染みのある名称であるが、いずれにしても56億7千万年後に、多くの人を救済するために、現在兜率天で修行をされておられる、釈迦の次に仏陀になるとされる菩薩とされている。この天文学的な数字は仏教学的には、それなりの数学が有るようではあるが、筆者はそうは考えていない。

 現在の天文学の知識によれば、太陽が赤色矮星になり、超巨大化していずれ地球も飲み込まれるとされている。これが50億年程度とされている。案外、仏道修行者の修行中に天から得た超能力によって、それを既に知っていたのではないかと考えている。一見荒唐無稽のように考えられるようではあるが、偶然の数字では有るまい。 この世の中には人知を超えた知見や人間の能力が有るのである。弥勒菩薩は修行中の形、弥勒如来は仏陀になられた形。いずれも使われている名称である。

弥勒如来・283.3cm

 

 唐招提寺・旧講堂に安置されていた仏像は、殆どが新宝蔵に移されたが、弥勒如来座像と持国天、増長天立像は旧講堂に安置されている。現在の弥勒如来像は木質で木地に漆を塗り、金箔を貼っている。造像年代は鎌倉時代である。右手は施無畏印、左手は降魔印(触地印)である。

当初の像は鑑真和上に随行してきた軍法力の造った丈六弥勒像であった。丈六とは一丈六尺のことで、4.85m程度である。本格的な仏像にはこの大きさが多い。二代目の本尊は11世紀始めの記録があり、「旧高田寺像」という記録があり、金銅の弥勒佛であった。

 

                    増長天           持国天

                  

平安初期の檜の木彫佛で、当初四天王として製作されていた仏像の一部なのかは不明。

 

旧講堂木彫群 

 

唐招提寺には、本来安置されていた場所が不明で、近年まで講堂に置かれていたため、「旧講堂木彫群」とされる一群の像がある。それらをご紹介する。

 

伝・薬師如来立像・160.2cm

 

 トルソー・154.0cm

 

上記のトルソー(胴体)は教科書や美術関係の図書によく掲載される。頭部が失われているにもかかわらず、非常に美術的な視点から見ると美しい。また、伝・薬師如来も同様に、流れるような衣文は清涼寺式と呼ばれる衣文の形式でもある。清涼寺は嵯峨清涼寺の釈迦像を意味する。元々は中国宋時代の仏像で、インド伝来の生身の釈迦といわれた霊像を模した形式である。

 

                    西大寺・釈迦如来立像              脚部の衣文

                            

 

十一面観音順礼」にも掲載されたいた押出佛をご紹介する。

 

押出佛 

薬師如来立像十一面観音菩薩立像吉祥天像

 

仏像の造像は材料によって様々であるが、珍しい作例に塼仏(せんぶつ)というのが有る。上記の押出佛は薄い銅版を原型に重ね、上から槌で打ち出して作成したもので、他に法隆寺に作例がある。この他に銅版ではなく、原型の上に粘土を使って型を取って、その後焼いて作成するものもある。古代中国の魏から唐の時代にかけて作成されていた。わが国にも伝来し製作された。

 大日如来・352.7cm

 

新宝蔵に安置されている、旧講堂の大日如来は他寺から移された客佛である。大日如来の印は智拳印である。 

 

  

 

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「大日如来」

 

 大日如来は金剛界と胎蔵界の二種類存在する。金剛界は金剛頂経、胎蔵界は大日経の説く世界の教主・大日如来を表している。それぞれに曼荼羅が存在し、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅がある。曼荼羅は経典の世界観を図象化したものである。

 

                       曼荼羅

          金剛界曼荼羅                胎蔵界曼荼羅 

                   

                      ↓                 ↓ 

                    

                   法界定印                   智拳印

真言

          オン バザラダド バン         オン ア ビ ラ ウン ケン

 

円城寺大日如来運慶

 

以前にも簡単に書いたが、仏教の中の密教は非常に奥の深い複雑な体系を持っているので、読者は各自教科書、参考書等でお調べ願いたい。 

 

  

 

 「能面鑑賞」 

 

 今回の能面鑑賞は昭和を代表する能面師であり、 

無形文化財技術保持者・長沢 氏春師の作品の一部をご紹介します。 

以下の作品は平成4年発行の「目の眼」から掲載しております。

 

若女(長沢 氏春作

                              

 

江戸時代の能面師・天下一 河内 大豪 家重が創作した能面とされている<若女>である。

写真を貼るだけで、後は余計な能書きは要らないと思う。

筆者はこれ以上の「若女」を見たことがない。まさに当代随一の名工であった。

だが、それでは余りにも素っ気無いであろうから、河内の本面・若女をご覧ください。 

 

若女 天下一河内作 

 

 

 河内の本面・若女の作品は江戸時代初期の作品であるから、面に痛みがあるのは当然であり。また彩色の退色もあろう。それらを頭の中で勘案して、製作当時の状態を頭の中で、思い描いて二つの作品を比べていただきたい。(光の当て方が逆なのでこれも考慮されたい

 誠に甲乙付けがたい。長沢 氏春師が河内を尊敬し、河内の命日に逝去されたことは、冥界では同一人物だったに違いない。後は何も言うことなし。後は皆さんの好みである。

* 刷毛目

 河内の若女の額のところに富士額のような刷毛目が見えている。若い女面はこのように胡粉を額の部分に刷毛で塗っていく。これが定石である。顔がキリット締まる効果があると思う。横に塗ると間延びがするに違いない。「小面」も手法は同じ。

余談 ・・・実は筆者としてはこの二枚の写真は掲載をしたくなかった。何故か。・・・余りに素晴らしいから・・・・

本日はこれのみにて終わり!

 

 

 

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白洲正子文学逍遥記-0015

2013-10-12 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

-015

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

唐招提寺の仏像

03

 

 

 漸く訪れた台風24号は奄美群島の与論島上空を越えて、五島列島辺りからお決まりのコースを辿って、日本列島縦断したようです。結果的には従来からの基本コース。 幸いなことに加計呂麻島は少し外れたようで、幸いなことに被害もなく終わりましたが、フィリッピン近海には低気圧の卵がチラホラ見えます。11月上旬までは気が抜けません。今年は全国的に異常気象でした。21世紀末までには海面が80cmも上昇する可能性が有るなどと予想されております。そのようになると日本列島だけでなく、世界中の地形が大きく変わるでしょう。何か空恐ろしい気もします。

 

 

唐招提寺・金堂を訪れて3回目となった。創建時代も奈良時代に遡る為か、文化財も数多くの国宝・重要文化財クラスがひしめいている。今回は薬師如来からご紹介することにする。薬師如来立像は金堂の正面の中尊の右に立っておられる。

 金堂の右側から

 

 

薬師如来立像・369.7cm

 

平安時代造像の木心乾漆造りで、左端の千手観音と同じ造りである。乾漆佛特有の柔らかな線で覆われており、螺髪以外はすべて金箔で彩色されている。 特徴的なのは光背の後ろが抜けているということである。製作当時からこのようになっていたかどうかは不明である。

 

 

 

十一面観音立像・166.2cm

 

唐招提寺に安置されている二体の十一面観音菩薩像の一体である。

木造乾漆併用で、天冠台より上は木クソ漆で成形されていた。一見してわかるように瓔珞などは木地から掘り出されている壇像佛である。正面からよりもこのアングルの方が、若々しい溌剌とした顔立ちに見える。平安時代作の重要文化財である。中国8世紀の壇像佛の作風に近いとされている。従来は旧講堂に安置されていた。以前は西山別院に所在していた。

 

十一面観音菩薩立像 ・179.6cm

 

同じく旧講堂に安置されていた十一面観世音菩薩である。前者の観音と比較すると顔立ちに違いが見られる。前者の観音菩薩のお顔は異国情緒が感じられるが、この観音のお顔は日本の観音のお顔である。漆塗りまでは分かるが、彩色か金箔かは写真では不明である。しかし、完成度は高い。天衣の部分に微かに彩色らしい跡は見れるような感じもある?。

とにかく唐招提寺の仏像群の量は驚くほど。次回も続けて素晴らしい仏像をご紹介する。

 

 

 

ちょっと一服」  

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木クソ漆」について・・・

 仏像製作の際の技法のひとつで、漆と木の削り粉を練り合わせ、これを仏像の木地に盛り付けして、形を整えて飾りなどを製作する。乾漆佛だけでなく一木造りや、寄せ木佛でも使われる技法の一つ。

能面の製作途中で、木地から脂が出たり、或いは彫りすぎて失敗するケースが有りますが、このような場合はこの木クソを脂穴に押し込んだり、削り過ぎた部分に塗りこんで、乾かしてから再度削る場合に用います。 

 

 

 

 「能面鑑賞」 

 今回の能面鑑賞は昭和を代表する能面師であり、

無形文化財技術保持者・長沢 氏春師の作品の一部をご紹介します。

以下の作品は平成4年発行の「目の眼」から掲載しております。

 

 ・ 日光作

 

 

」といえば<日光>という 位の名品揃い。

 

 獅子口

 

名工<日光>作の翁と比較してみてください。彩色もさることながら、彫りも確かで日光と全く遜色は有りません。無駄がないということでしょうか。限界まで追い詰めた芸術作品というところでしょうか。

長沢氏は特に彩色が素晴らしく、江戸初期の天下一・河内を憧れとした方でしたが、不思議にも河内の命日に逝去されました。誠に河内の生まれ変わりのような方でした。昭和時代の最高の能面師でもありました。

深井

 

 

この面の系統には<浅井>、<深井>、先回ご紹介した<曲見>があります。老境に近い、人生を長く歩んだ女性の顔を現しておりますが、実に品格があり、素晴らしい作品です。

三面共品格があり、彫りに無駄が有りません。彩色も素晴らしい。

何を打たれても全て駄作はないように思います。一面を覚えるのに10年掛けると、話されておりました。

これはあだや疎かに出来ない言葉ですね。

次回は更に素晴らしい作品をご紹介します。

 

 

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白洲正子文学逍遥記-0014

2013-10-04 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

-014

 

 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

唐招提寺の仏像

02

 

 

 

 漸く、南西諸島方面も朝夕は23~24度程度まで、気温が下がるようになり秋らしくなりました。空には白い鱗雲が掛かるようになり、あれ程暑かった夏の日も過去の思い出のようになって来ました。相変わらず纏まった雨にお目に掛からず、本当に今年は異常な夏になりました。

カボチャの子供とサツマイモ(安納芋)

 

そうは言っても、畑ではサツマイモの収穫が終わり、カボチャの大きな実が畑に転がっております。もうちょっとしたら食卓に上がりそう。大好きなゼンザイにして食べようと、心待ちにして居ります。いずれにしても各地から新米や果実の販売を告げる、沢山のメールが飛び込んできます。秋は収穫の季節。素晴らしい季節ですね。これからは秋・冬野菜の植え付けが始まります。

 

 

 先回は廬舎那仏坐像を中心にご紹介しました。今回は脇侍佛の千手観音菩薩、薬師如来をご紹介しよう。

千手千眼観世音菩薩

先ずは千手観音菩薩から。

観音様と古来から民衆の間で、親しまれて来られました仏像としては、聖観音、十一面観音と同じく千手観音も代表的な仏像。サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ [sahasrabhuja ahrya avalokitezvara]と梵名で表記され、千手観音、千手千眼観音、千手千臂(せんぴ)観音などと、いろいろな呼び方をされて来ました。正式には千手千眼観自在菩薩と訳される。千の手と千の眼を持たれ、その功徳が広大無限であることを表している。

彫刻の際に千本の佛手を備える仏像と、42本の佛手を備える二種類が有る。圧倒的に後者の42臂式が多いのが現実である。しかし、実際に千臂式も存在する。本寺の千手観音もその作例の一つである。

* 何故42本か?・・・・仏像の中央の合掌手を除くと40本になる。佛手一本で25の世界の世界の衆生を救う事から、25x40=1.000 で千手としたとされている。

 

千手千眼観世音菩薩立像 

 

奈良唐招提寺金堂像(立像)、大阪葛井寺本尊像(坐像)、京都寿宝寺本尊像(立像)などは、実際に千本の手を表現した作例である 。42臂式も同様であるが、一木から全てを彫り上げる事は出来ない。中央の仏像本体と中央の合掌部分の肘位までが限度で、それ以外は全て独立して彫り上げ、最後にプラモデルの如く組み立てる事になる。

佛手も数本を一組にして補助の板で組み上げ、仏像の背中に背負うように貼り付けていく。大変な手間の掛かる技法で、仏像の中ではもっとも複雑である。絵画であれば省略は可能であるが、木彫の場合はそれが出来ない。日本の伝統芸術の中でも複雑さでは最高峰でもあろう。

千の佛手

 

注意してみるとわかるように、佛手に持物を持っている。この一つ一つにしても木彫等である。世界中を探してみてもこの仏像に匹敵する礼拝の対象はないであろう。

 

蓮華王院三十三間堂)千手観音

 

 蓮華王院・通称・三十三間堂の中尊である千手観音坐像は余りにも有名である。湛慶作である。驚くべき事に中尊以外に千体の千手観音が安置させているのには、驚き以外の何ものでもない。筆者も住まいから近かったので、何度も京都駅から歩いて参拝に行ったものである。

中尊、千体佛、脇侍佛などどれも素晴らしい鎌倉期の名宝であろう。修学旅行客のない冬などは是非行って見ることをお勧めする。慶派の最高傑作であろう。運慶も最高の仏師であるが、湛慶もすごい。快慶も又同じ。 慶派、円派、院派など最高レベルの仏師集団のオンパレードである。世界美術史上完たるものである。

薬師寺の聖観音像、蓮華王院の千手観音、中宮寺の如意輪観音などの佛顔を拝していると、もはやこれ以上彫刻出来ない、限界まで追い求めたと言わざるを得ないような感じを受ける。時代はそれぞれ違うが、各時代に飛びぬけた名工が存在したのである。

 佛頭

 

佛頭は乾漆佛であるので、木彫のような精緻な製作はなかなか難しいらしく、柔らかな線が出てくるのが特徴でもある。頭上佛は中央の化佛を含めて11面と27面の二種類が有る。額の中奥に一眼を持っている。 

 

 

ちょっと一服」 

 

     話の喫茶店  

 

 余談ではあるが、ヨガのチャクラの中にアージュナー・チャクラ(額の部分というのが有るが、額の目は正にこれと合致する。因みに上記で書いたサハスラブジャはヨガのサハスララチャクラ(クラウンチャクラ)を表している。これはヨガでは頭頂に存在するとされている。仏像の頭の頂上が盛り上がっているのは、このサハスララ・チャクラが完成されているからである。

ヨガのチャクラの存在位置

* 第一チャクラはムラダーラ・チャクラとも言う。

  

人間でもヨガの修行(クンダリニー・ヨガ)を完成させると、このサハスララ・チャクラが活動し、宇宙と一体となり、神仏と直結できるとされている。超能力を自由自在に屈指でき、人間を超えてしまうとされている。超現実の世界は実在するようである。

弘法大師空海が修行したとされる、<求聞持聡明法>などは、大脳基底核の松果腺を人間の発声する呪文で振動させる事によって、刺激し変性させることによって、特別な能力を得る秘法とされている。空海は実際に超能力を持ちえたようであるが、この辺りに原点があるようであり、現代医学でも解明、及ばない分野でもある。サハスララ・チャクラもその一つであろう。

頭上面

  

 頭上面は資料がないので木彫なのか、乾漆かどうかは判然としない。筆者は木彫であると見るが・・・あるいは木心乾漆かもしれない。  額の上の化佛は明らかに木彫である。

佛手   

いずれにしても 唐招提寺の千手観音の彫像の造形美は、そのバランスの良い美しさを余すことなく持っている、奈良時代の最高傑作である。敦煌の仏像群の中にもその原型が既に存在するが、これだけの造形技術が、古代中国に既に存在していたものか、あるいは日本人がそれを完成させたのかは、今となっては解からないであろう。シントメリーの美の極地であろうか。 

 

 

 「能面鑑賞」 

翁 

非常に品格のある逸品です。癖のない気高い笑いが面に出て居ります。

面裏に極め書きが有るのですが、時代、製作者不明です。

相当の名工の能面師と思えます。

面裏 

 

 

曲見しゃくみ 

 

 <曲見>は額で観るものとされておりますが、なかなかの逸品です。

詰まり定石通り。大変品格が有ります。にも拘らず翁と同じく作者不明。

中年女を打ったものですが、なかなか名品は有りません。

右顎に僅かに剥落が有るようですが、面の痛みが他に見えません。

彩色などから河内級の天下一の能面師の作品ではないのでしょうか。

 

姥 

 

同じ<>を打っても、打ち手によってこれだけ違う。心の中の様々な有り様が解かる。

演者も曲の内容によって、使う面はそれぞれでありましょう。 

写真の上の<姥>はシテには使えないように思います。ツレ、シテツレ用でしょうか。

右下が品格があり、シテ向きでしょうか。

 

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