狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

キャンドル

2008-05-31 00:42:42 | ひとりごと



このキャンドルは土産に頂いたもので、灯すのは初めてです
キャンドルの明かりは何処か優しげで、心和ませるものが
ありますね、落ち着きます。


本当は今月初めに灯す予定で出していたものです。
残念ながら灯す予定は流れてしまいました。今夜も灯す予定
では無かったのですが、ひと目でも・・も叶わなくて、偲んで
灯しました。バーボンをロックで飲んでいます。


ウインディでも同じバーボンでした。このウイスキー、一時は
8000円以上の値がついていましたが、今は酒税法の改正と円高も
あって、2000円はしませんね。昔からこのバーボンが好きです。


車を裏に回し、二階の自室で飲んでいます。灯りはこのキャンドル
だけです。2月3日の夜を思い出す、柔らかな光です。


寝酒にと思い飲み出したら、風呂上がりのせいもあってか、杯が
進みます。明日の予定も聞かないままで「疲れているようで言え
なかった」早起きする必要も無くなりました。


滅多に寝酒など飲まないのですが、飲みたい気分になりました。
もっとも胃の方と相談しながらになりますが。


先週は金曜日に飲みに出掛け、土曜日はのんびり出来ましたが
今週は忙しすぎました。仕方有りません。
それにしても「毎日4時半に起きて・・・」と言っていましたが
意味が分かりません。余りメールもしなかったし当然、来なかった
詳しく話す人ではないので推考すれば


東九州には朝早く出掛けた・・・のかしら。それ以外に4時半に
起きて出掛ける用事を思い出しません。西九州も有りましたね・・・


もう寝ている頃でしょう。ゆっくり休んで疲れを取ることだ・・・よ。





マイ・ブーム

2008-05-31 00:03:54 | ひとりごと


元々好きだった中国の歴史話し。中学生の頃毎日10円持って
貸本屋に出掛け「三国志」を夢中で読みました。一日1冊の
ペースで、面白かったです。


その後も何度となく読み返し、自分で買った本はボロボロに
なり、10年位前にまた買い換えました。


そういう訳で、目下「大漢風・項羽と劉邦」とか「燃ゆる呉越・
春秋時代」のものをDVDで見ております。カミサンも東洋史を勉強
している最中で、珍しく一緒に見ています。


一寸した我が家の「マイ・ブーム」と言ったところです。
「大漢風・項羽と劉邦」は全17巻の内12巻まで、燃ゆる呉越は
全12巻の内8巻まで見ましたが、後がなかなか店頭に並びません。
仕方なく、目下世界遺産を順番に見ています。


「必ず連絡する」と言っていたけれど、12時に近くなろうとして
いるのに・・と書いていたら「メールが・泊まる」そうな。


またメールが「最終に乗れた」そうな。新幹線だと楽で良いけれど・・
新幹線なら17分だ、もう着いたとのメールが・・・


写真は前日お約束した「胡蝶蘭」の花です。


真夜中に鳴くカラス

2008-05-30 04:40:45 | ひとりごと


AM1時に布団に潜り込んだにも拘わらずAM3時半に目が覚めた
覚めたというより、カラスの鳴き声で目が覚めた・・というのが
正しい。なんでこんな時間にカラスが鳴くのだろう?


目が覚めた序でにビデオを返しに表に出た。生ゴミの回収日で
あるはずなのに、ゴミ袋は出したままである。


ゴミ出し日とカラスの夜鳴き?なにか関係が有るのだろうか?
そう言えば何日か前にも、夜中に目が覚めたらカラスが鳴いていた
曜日は記憶にない。月曜の夜だとすれば・・・ゴミ出し日である



帰宅した今(AM4時半)は犬の鳴き声はするが、カラスの鳴き声は
聞こえなくなった。ゴミは収集車に依って持ち去られていた。
新聞配達のバイクの音がけたたましい。窓を開けたまま寝ていた
ため、カラスの鳴き声も耳に入ってきたのだろう。


誰かは4時半に起きる・・とか言っていたが、起きられただろうか
頼まれていないから、モーニングコールは出来ない。夜遅くまで
仕事をし、こんなに早くに起きないといけないなんて過酷過ぎや
しないだろうか?


アッ、カラスがまた鳴いている。今度の鳴き方はさっきと違う
夜明けが近いからかも知れない。


僕は、もう一度眠ることにします。


写真の花は「花手毬」です。一見バーベナに似ていますが違う花です








五月も・・・

2008-05-30 00:58:58 | ひとりごと


今日を入れて後二日。ホント月日が経つのは早いですね~。

この月初めゴルフに出掛けたおり「次は佐賀のフジカンで・・」
という話しになっていたのに、一向に連絡がない。それでは此方
から・・と思い「6月の第一か第二水曜日辺りで如何?」とメールを
書いて送ったのですが、一向に返事がない。


4日ほど経って「やっと予定の調整がつきました11日なら大丈夫です」
・・と、フジカンの予約の時間も何も書いてない。それが火曜日の朝
「誰と誰が来るのかな?スタートは?」と返信を入れるも、返事が来た
のは夕方になってからで「木曜日にでも確認します」とのこと。


おいおいどうなってるんだ。先に予約しないと予定は決められない
だろうに・・・。此方からフジカンに電話をする。残念ながら11日は
空きがない・・との返事。


総理大臣でもないのになんで4日も調整にかかる?休みでしょう。
休みの日の調整は個人的な用事だろうに・・・
この人は、どんな連絡をしても、何時も返事が遅い。
僕には事情が分からないので、そのことをとやかく言う訳には
いきません。


要するに「気乗りがしない」のだろう。それなら直ぐに断って貰う
方が、僕は有り難いのですが・・・ね。木曜日まで返事を待つまで
もなく、11日は中止にしました。


他にも何人か返事が遅い人はいます。返事は後でも良いのですが
せめて「連絡有り難う、返事は何時何時頃までに」という位の
返事は直ぐによこすべきではないでしょうか?僕はそう思います。


予定が決まった事の案内だったら「何時何時までに返事を」と
書いてあるので、その時はそれまでに返事をすれば良いことです。


こういうふうに考えるのは間違い・・なのでしょうかね。


写真は前日に続いて「バーベナ」の花です。
そうそう、1昨年母の日に頂いたミニチュアの胡蝶蘭、昨年は蕾は
付けましたが開花には至りませんでした。それが、今年綺麗な花を
咲かせてくれました。嬉しいですね~。後日写真UPします。







実行することの難しさ

2008-05-29 00:36:57 | ひとりごと



何日か前のブログに

『憂鬱は時の記念日と共に・・・この苦しみを、愉しみに代えられ
ないようでは、自分が情けない。』

なんて書いておきながら、三日音沙汰無いだけで、可成り苦しい
思いをしている自分に、腹立たしさを感じると同時に、言うことは
簡単でも、実行することの難しさを今更ながら、痛感させられました。



昨日夜になって「大雨洪水警報」が出され、前泊で東九州に行くと
言っていたので、余程「気をつけて」と、メールを送ろうかと・・
思ったけれど、夜は飲み会だと言っていたし・・・


まあ何も連絡がない・・・と言うことは、無事に着いた・・という
事だろう。明日は天気も回復するようだし、・・もう、子供じゃない
のだから、心配することはないのかも知れない。


このまま、メールも電話もない事に慣れてしまうとどうなるのかな
愛しさも無くなってしまうのだろうか、そんな事はない・・
今よりもっと深いものになるんだろうよ、きっと・・・。



それにしても今夜は蒸し暑い。温度計は26度を指していた。前夜は
27度だったが蒸し暑くは無かった。湿度だろうな、この不快感は・・
風呂上がりのせいも有るかも知れないが、兎に角蒸し暑い夜だ。


写真は「バーベナ」です。いまが丁度開花の時期のようです。





エ~ット誰だったかな?

2008-05-28 00:57:22 | ひとりごと


「この人の奥さんは・・確か外人で太ってたよな」
「そう、料理も上手な・・誰だったかな」
「・・・」
「カツ・・なんとかいう人じゃない」
「そうそう、勝野洋」
「勝野?洋・・・」
「そうだよ勝野洋、よう・・と書いて洋」
「そうだね、勝野洋」


有るビデオを二人で見ているときの会話です。
近頃、突然名前が出てこない時が有るんです。今のところ
カミサンより酷くはないのですがね・・・と、自認。


年相応に、物忘れが多くなりましたよ。

「かねへんにたかい」と書いて、何と読むだったかな?
「しま」じゃない
「いや、しまではなかった」
「しのぎ?鎬を削る・・・のしのぎだ」


・・・なんて、会話も多くなりました。


某ゴルフ場のキャディをしていた人から時候の挨拶の葉書が
届きました。現在、お父さんの看病をして暮らしているそうですが
「看病と踊りと読書に明け暮れて、いい年の取り方をしています」と
書かれていました。「ゴルフに熱中していたのが嘘のよう」だとも


「いい年の取り方」は、それぞれがそれぞれに合った取り方をすれば
良いことなので、反論する事は有りませんが、彼女のような生き方が
出来るのは「金銭的に余裕があるから」で、恵まれている方です。


・・が彼女は「自分が恵まれている」事には気が付いていないのです。
友人の僕だからそう言ったのかも知れませんが、多分コレまでの
彼女の生き方を知っている僕には「気付いていない」としか思えません


気付いていようと気付いてなかろうと、それは個人の生き方なので
いいのですが、世の中には、働きながら親の看病をする人が多数
います。老いた妻が老いた夫をとか、また逆な場合も有りますね

年老いた父親や母親を看取るのは子の勤め。よしんば金銭的に恵ま
れていても、親の面倒を見ない子供もいますから、それを考えれば
恵まれた環境と雖も親の面倒をみている彼女は「親孝行」と言える
でしょうね。


明日は我が身、若くても何時かは年を取ります。
そのことを忘れている若い人が多くなりましたね。
親の面倒は見なくても、貰うものだけは頂く・・・という子が
多くなりました。


遺産は無くとも、子は平等に親の面倒を見る・・・そうあって
欲しいと思いますが、無理な話でしょうか?。





夕陽を追いかけて

2008-05-27 00:09:26 | ひとりごと



何処やらの車メーカーのCMに、夕陽を追いかけて車を走らせる
・・そんなシーンのCMが有りますね。


昔僕も同じような事をしていました。遊びに出掛けた帰り道
場所は、若宮から古賀インターに向かう途中の下り坂付近、
時間はPM5時半。季節は晩夏でした。


正面に大きな大きな太陽が、西に沈む前の輝きを放っていました
この時期の日の入りは6時から6時半。後1時間足らずです。
「夕陽を追いかけようか?」の問いに、うなずくのを見て、僕は
アクセルを踏み込みました。目的地は二見浦。


しかしながら、どんなに車を走らせても、夕陽が沈むまでには
間に合う距離では有りませんでした。
都市高が出来た今なら、ギリギリ間に合う距離です。


コマーシャルでは、夕陽が沈むのに間に合っていましたが、現実は
そうそう上手くいきません。二見浦の夕陽は、後日改めて、時間を
見計らって出掛け、真っ赤に染まった太陽が沈むのを見ることが出来
ました。綺麗でしたね~。懐かしい昔の思い出ですが・・・


今日、ある人とゴルフの練習に出かけたのですが、帰り道とは違う
車線で停止したので「何処へ?」と言うと「二見浦へ寄って帰ります」
とのこと。そんな訳で、ふと、昔のことが思い出されて書きました。


時間が有れば行ってみたい・・と思いましたが、別れて一人、山越え
をして帰宅しました。5時半でした。


写真は、過日鉢植えにした「プリエッタ(ミッドナイトベルベット)」
です。まだ苗で、花は少ないです。




先を読む

2008-05-26 01:59:00 | ひとりごと


山で林業に携わる人達は、5年先10年先、いや50年先を見越して
植林し、手入れを怠らない・・・と。


僕が花を育てるようになって4年が経ちました。まだまだ知らない
事ばかりですが、植物を大きくするに必要不可欠なものは「太陽・
水・肥料」の3っだと聞かされましたが、僕はその3っ以外に「風」
もまた必要であると思います。


この春温室から出したばかりの「紅葉の苗木」は、樹高こそ60cm
程に成長していたけれど、幹は細く、雨でも降ろうものなら、葉に
吸着した水分の重みで今にも折れんばかでしたが、外に出し風に
当てて育てたお陰で、幹も太くなり、今では少々の風が吹いても
首を折ることもなく悠然と立っています。



前の「種を蒔く」に書いたように、何時何時に花を咲かせたいから
何時いつ頃に種を蒔くかを考えなくては、花を育てることは出来ま
せん。山で林業を営む人達のように、10年先20年先までとは言わ
ないまでも、せめて何ヶ月か先までは読めないと、花は咲かせられ
ないのです。


ビギナーの内はそれが出来ないので、場当たり的な作業となって
しまいます。


人間も同じ事で、学生時代は親の庇護の下で生きています。
社会に出て、実社会の波風に揉まれて初めて一人前の人間に
成長することが出来るのだと思います。


車の運転も、今や「予測して運転」せよ・・と言われます。
予測する・・・それが安全運転の秘訣・・だとも。
何事に於いても「先を読む」そういう思考回路を早く作ることが
肝要でしょう。




種蒔き

2008-05-25 23:48:19 | 花造り



気になっていた朝顔とコスモスと夕顔の種蒔きをした。
今年は昨年より量を少なくした。
ただ白花夕顔だけは少し増やした。


コスモスは、昨年生駒高原に行ったとき持ち帰ったもので、
気候が合うかどうか、一寸心配。


高砂百合は順調に育ち、皇帝ダリアは二鉢とも根付いたようで
元気に葉を茂らせています。植え替えをした秀明菊も根付いたようで
やれやれです。あとは小手毬と、時期が悪いのですが、紫陽花を
植え替えようと思っています。


気がかりなのは、昨年3月に植えた大輪系のアマリリスが一向に
花芽を上げないことです。昨年は大きな花を咲かせてくれたの
ですがね。葉は大きくなっていますので、これから・・かも
知れませんが、大体がこの時期に咲く花なのです。









憂鬱は時の記念日と共に・・

2008-05-25 01:21:56 | ひとりごと



「因果応報」を辞書で調べてみると
仏語。前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いと
して現在に善悪の結果がもたらされること。・・・と書かれている。


自分が、これから抱える苦しみは、過去に於いて自分がなして
きた事に応じたもので、決して他からもたらされたものではない。
苦しみの原因は、総てその因となす事をしてきた結果なのだ。


思いを寄せなければ苦しみは起きなかった。
初めて出合った関係のままでいたなら、なんの苦しみを感じる
こともなかった。しかし、今となって、それを後悔してもはじまら
ない。因果応報、ありのままの現実を受け入れるしかないのだ。


一人の人間が幸せになろうとしている。
自分の立場としては、応援するしかないではないか。
チケットを譲る・・・と決めた時、既にそのことの結果も予想し
そうなると、理解した上で決めたこと。そのことには後悔はない。



苦しい時には苦しむのがいいのだ。それが自分に科せられたもの
ならば苦しんで乗り越えるしかない。乗り越えられなくてはこれか
らの先、メールをする事も、逢うことすら出来ない。


それが厭なら、いっそ「総てを無いもの」にするしかない。
出来るのか?己にそう問うて見る。答えは「ノー」だ。


一緒に過ごす楽しい時間も一杯貰っている、6月に楽しい時間も
持つことが出来るのに、これ以上何も望むべきではない。


4月に一度、その苦しみは味わった。過去にも同じ苦しみを経験
している。大丈夫、乗り切れる・・。


憂鬱は時の記念日と共に・・・この苦しみを、愉しみに代えられ
ないようでは、自分が情けない。そうなれるだけの楽しい思い出を
一杯貰っている。


5月の最終週、僕も・・も忙しい激務の週になるだろう。
体調に気を遣って乗り越えなくてはならない。
10年振りに出掛けた「ウインディ」矢張りライブはいいな。
楽しく、懐かしかった。