狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

増えない体重

2015-10-24 11:19:05 | ひとりごと


退院後3週間にもなろうとしているのに、体重は一向に増えません
何故なのでしょうか?食事も3度3度、きちんと頂いているのにも拘わらずです


退院1週間くらいで1Kg増えたのはなんだったのでしょうか?


近頃では、手術とは直接拘わりがない「左膝痛」「右肩痛」に悩まされています
痛み止めを日に3錠として AM7時 PM3時 PM11時の3回に(8時間毎)飲んでいますが
一向に効き目は有りませんねぇ~。


痛み止めを服用しすぎるとまた胃に穴が空いてしまいますので、ひっきりなしに飲む
訳には参りません。寒さのせいも、多少は有ろうかと思いますが、ここまでの痛みは
初めてのことです。


まあ尋常な手術では無かったので、色々の不具合が出て来るのでしょうね
尿意は催しませんが、約2時間~時間毎に蓄尿パックを空にする、変な感触を
味わっています。

退院後の初外来

2015-10-21 15:24:51 | ひとりごと



19日は上田外科・20日は日赤・21日は長住病院へ、退院後初となる
検診を受けた。流石に外来が3日も続くと、最後の今日は疲れました


兎に角術後は順調ですが、一旦1Kg増えた体重が又しても減ってしまい
ました。理由は分かりません。食事は毎日美味しく頂いておりますが
確かに量は減りましたね。


元々寝相が悪くて、右肩が痛くて右手が自由に挙がりません
術後特に酷くなりました。原因は不明です。


イボのような吹き出物は、近頃では姿を消しています
あれだけの大手術でしたから、まあ元の通りに回復するには時間がかかる
でしょう。回復次第に抗癌剤での治療が始まります。


今の所転移した箇所は無いようですが、念のための抗癌剤治療かと思います。

退院して早10日

2015-10-16 11:05:16 | ひとりごと


体重は+1.3Kgしか増えていないが、体力は付いてきたと思う
リュウマチの薬が飲めないために、痛みが酷い時がある。

大体が「リュウマチ・痛風・糖尿」の病を持っていた、今回はそれに
加えての膀胱癌である。先ずは其方の治療が優先されるために全ての
薬は泌尿器科で管理されている。


次回は退院後2週間目の20日が外来での通院日になっている
泌尿器科・膠原病内科・ストーマ外来・・・である


ここで、これからの通院などが決められるのだと思うが、まだ生活のリズムは
つかめていない。他に糖尿病と痛風の病院への通院もある。


病が一つだけならそれだけに専念すればいいが、病が2つ以上になると薬の
ことやら、何かと厄介な事が起こる。慣れていくしかないが、今の所退院10日目
では、リズムは出来上がっては居ない。



退院

2015-10-15 14:30:45 | ひとりごと


巻き寿司2個と、稲荷寿司2個の食生活は苦痛ではなかったが野菜不足は
いがめない。しかしながら病院食は喉を通らなかった。


配膳係や看護師、主治医まで心配を掛けるので、病院食を食べた振りを通した
当然ながら家族には事情を打ち明けて居たので知ってはいた。


何より、私自身が食べられるようになることが先決だった。
朝巻き寿司、昼稲荷寿司、夜には昆布入りのおにぎり1個・・・1週間くらい続いた
そのせいで、退院後もどうにか食事を摂ることが出来たと思っている。


次回来院の20日までの薬やらストーマのサンプルを用意して頂いて
兎にも角にも4週間振りに、5日に退院した。


病院を出るときに「刑務所から出るときもこういう気分なのだろうか」と
思わず口からでてしまった。


帰宅したら食べたい物が沢山あった。先ずちゃんぽん 鍋 ラーメンetc

味覚

2015-10-14 17:29:18 | ひとりごと



手術時の何かの影響で、舌がかわききってから味覚が変化したようで
何を食べても喉を通らなくなった。


頸部からの点滴が外されたとき仲が良い看護師が二人、手を叩いて
喜んでくれた、それを不思議そうに見つめる主治医の顔が印象的だったが
点滴が外れ、夜寝るとき以外は尿管も外されて全く自由に動けるようになった


ストーマの交換練習も順調で、退院間近・・・そう思われた矢先に高熱が出た
また翌日には低血糖の症状で夜中中、注射と血糖値測定に寝る間もなかった。


結果的に、此の二つの出来事により退院は1週間伸ばされることになってしまった
熱も、低血糖も改善されたけれど、味覚だけは戻らなかった。


何を食べてもまずくて喉を通らなかった
これではダメだと自覚して、朝一番に売店へ行き助六寿司を買い求めて
朝は巻き寿司を二個、昼には稲荷を二個食べる生活が退院まで続いた。


これだと無理矢理にでも腹に押し込めた。
兎に角食べる事が大事で何でも良かったが、助六以外には手が伸びなかった。
後は牛乳とヤクルトを喉に流し込んだ。マグミットのお陰で便は軟らかいが
順調に出ていた。後は食事で、兎に角食べる習慣を持たないといけない。

個室での生活

2015-10-13 11:22:53 | ひとりごと



大抵は寝ていることが多かった
嬉しい事は「うがい」で、その時だけ舌が潤されて少しだけ滑舌になれたが
また1時間もすると舌が乾いてどうしようもなくなる。まだ水すら飲めなかった


水を飲んでいい・・・との許可が出たのは3日くらい後で、ほんの100ccほど飲んだが
実に美味しかった。食事はまだで点滴が首の静脈から流し込まれていた。

余談だが、首の点滴の痕は退院して1週間、術後1ヶ月を過ぎたが、未だに残って居る


5日目に4人部屋に移された。8月に1週間入院した部屋の一番奥で日辺りが良い場所
だった。


その頃から(術後1週間)リハビリの先生が付いて歩くように言われ
朝起きてから1周、リハビリの先生と3周、院内を歩くのが日課になった。


術後2週間を過ぎた、5連休の最後の日に頸部からの点滴が外されて、やっと
自由に歩けるようになったが、今度は、おもゆから3分粥から全粥になった辺りから
食事が喉を通らなくなってしまった。


退院までの12日間、みるみる痩せ細ってしまった。入院時69Kgだった体重が
退院時には7Kg減って62Kgになっていた。


退院して1週間が過ぎたが僅かに1Kg増えただけに留まっている。

ICU

2015-10-09 09:51:30 | ひとりごと


何か判らないが、誰かが騒いでいる 支離滅裂な言葉を発している
それがやがて「自分」で有ることに気がつくのは病室に戻った後のことで
術後何日も経た後のことだった。


手術当日は、朝9時に病室にて手術を受ける準備に入った。先ず鼻孔から
チューブが胃まで入れられる。苦しい。やがて時間になり歩いて3階の
手術室へと向かう。手術の部位、目的を言わされた後手術台へと案内された


時間はまだ朝の9時半頃のことだった。やがて麻酔が始まり酸素マスクから
眠り薬が流されて意識を失った。


午前10時半に始まった手術は12時間を経ても終わることなく、僕がICUに
運ばれたのは午後11時を過ぎた時間だったと、後に見舞い来た家族から聞かされた
ICUで支離滅裂な事を言っていたとも・・・


僕自身の意識を自覚したのは、翌朝の8時頃で、看護師の人と時計の時間当てを
していた。やがて手を握り、私が「いち」と言った時だけ強く握る・・・そういう
遊びで意識の回復具合を図っていたのだと思う。


兎に角、手術は終わっていた。やたらと舌が乾いて喋ることがうまく出来なかった。
その日の午後に7階の病室へ戻されたが、入院した4人部屋ではなく個室だった。
そこで4日間を過ごす事になる。




無事退院しました

2015-10-05 11:07:57 | ひとりごと



長かった。丁度1ヶ月になりますね。
病院での生活はおいおい書くこととして
今日は退院してきたことをご報告しておきます。
写真の「ローズ・ジャイアント」綺麗に咲き誇って
出迎えてくれました。


矢っ張り、我が家はいいなぁ~。