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西蒲原の伝説

2011-11-29 14:50:14 | 日記
すべてはここから始まった。

新潟市木場に出来た文化財センターを訪ねてからだ。

そこには甲斐の武田一族の末裔と云われている住宅が移築保存されている。


初代が高橋を名乗って曽根で割元約となったが、2代目(高橋源助:代々襲名)の時に旱魃に苦しむ農民の為用水路掘削を計画した。

しかし陰謀の為竣工時に水は流れず、その責を負い打ち首となった。(樋管が塞がれていた)
妻子は小中川(燕市)に逃れ、その後木場に移住したと伝えられている。

現在も菩提寺の金剛寺で「源助まつり」が営まれているとの事。

はてどこかで似たような話を聞いた。

近くに馬堀用水が流れていて、この用水掘削に際しても同じ様な話が伝わっている。



そんな時近所のYさんから馬堀用水に関するを貸して頂いた。



なにしろ江戸時代初期の事であり、実際はどうであったかは分からないが、中々興味深く読ませて頂き(途中は読み辛く飛ばし読みだが)西川の取水口から用水と見学した次第。

当時の西蒲原は色んな藩に領有されていた様で、近くの集落(原)は長岡藩で隣の和納は三根山領で,また石瀬は与板藩領とかで大分入り組んでいた様だ。

内容はまるで映画の世界で御代官様や農民に罪をなすりつける武士が登場する。

巻の代官所、和納の代官所、石瀬の代官所、はてどこに有ったのでしょうか?曽根の代官所跡は小学校の敷地になっている。



しかし木場の武田家住宅は結構面白い!増築部分が高く(水害対策)なっていたり、水害の時に二階から船で脱出する為の窓が(と説明された)有ったりしていた。

極めつけは屋根の武田菱でしょう。ボランテァで説明してくれたW先輩(在職中にお世話になりました)に感謝です。




コメント
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