さんぽみちプロジェクト

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和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

「紀州街道」の街並み 岸和田市の歴史文化ゾーン

2019-04-21 17:12:57 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、城下の賑わいを現世に残す、岸和田市の「だんじり」の見どころと醍醐味を取り上げた。

22の町会が所有する地車が勇壮に狭い街並みを走る光景はテレビでご覧になられた方も多いだろう。
市が歴史的な建築物が建ち並ぶ「歴史文化ゾーン」と位置付けた本町地区は、岸和田城の西側に位置する4.9ヘクタールの地域。
紀州街道を中心に、かつての城下町の趣きを残すこの地域は、大阪と和歌山をつないだ歴史や文化を考察するうえで貴重な存在。
今週は、岸和田市内を通る紀州街道とまちづくりの取り組みを紹介したい。


【写真】岸和田市を通る「紀州街道」

紀州街道は、大阪市中央区の「高麗橋(こうらいばし)」を起点とし、和歌山市の「京橋」へと続く、大阪城下と和歌山城下をつなぐ主要路として整備。豊臣秀吉により大阪と堺を結ぶ「住吉街道」として整備がはじまり住吉大社への参詣道とされていた。

高麗橋は現在の大阪メトロ堺筋線「北浜駅」の近く。大阪から堺へと続く街道であることから現在も「堺筋」の名が残る。堺筋線の終着駅となる「天下茶屋」は、天下取りの秀吉が訪れた茶屋が存在したことからその名が残る。

紀州街道が整備される以前は、本コーナーで紹介したことがある「高見峠(たかみとうげ)」を通り伊勢へと向かうのが、紀州藩の参勤交代のルートとされていたが、元禄14年(1701年)からは紀州街道を通るルートへと変更されたことから、この頃より紀州街道を軸とした、大阪と和歌山の基幹となる道路が整備されたといえる。

岸和田市の本町地区は当時の面影を残し、木造家屋と石畳を思わせる舗装路が特徴的。
街道側の建築物は中二階建てで、城側は城が見えないよう一階建てとなっており、当時のまちづくりの工夫を感じさせられる。

(次田尚弘/岸和田市)
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