日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

出社が楽しい経済学-第三回

2009-01-30 10:55:34 | Weblog
一昨日のNHK教育テレビ「出社が楽しい経済学」より

http://www.nhk.or.jp/shussya/word/index.html
第三回「比較優位」

前編「ボクの生きる道」

 オフィスで落ち込む新人社員・小山内。同じ新人でありながら、社長賞をとった優秀な同期と比べてのこと。全ての能力で同期にかなわない小山内、彼の生きる道はあるのか?

 →全ての能力において同期の花形君に劣ると嘆く新人・小山内君。そんな彼を救うのが「比較優位」の考え方。
 例えば、2人で2つの仕事を分業する時、どちらも花形君のほうが得意であっても、機会費用(その仕事をすることで犠牲になる仕事)が小さい仕事に特化、分業することで全体の生産性が上がる。高い能力を持つ花形君であっても能力の低い小山内君とうまく協力することで生産性を高めることができるのだ。
 ポイントは誰でも何からの比較優位を持つということ。小山内君にも生きていく道はある。

(引用終わり)

世の中、「分業」で成り立っているということを忘れて、役員が一番上で、その次に正社員、派遣社員、請負、日雇い、パート、アルバイトと職業差別ができてしまっている昨今でありますが。

会社の役員がトイレ掃除に時間を取られてしまったり、パートのオバチャンが経営を任されたりしてしまえば、企業の生産性は瞬間的に落ちてしまいます。トイレ掃除は大切な仕事ですが、会社の役員と、パートのオバチャンでトイレ掃除の競争をさせれば、それほどの能力差は出ないでしょう。

このように誰にでもある何らかの取り柄をうまく分業できれば、生産性は著しく向上していくということが大切なのでしょう。専業主婦などの考え方も(女性の方が給与が高いという場合もあるのですが)、比較優位の考え方では理にかなっています。

昔は少人数の家内制手工業や、問屋制家内工業が中心でしたから、一店主が何から何までやらなければならず、生産性も非常に低かったわけです。

現在のように、仕事が分業化され、専門化されたとしても、会社で何の役にも立っていないと馬鹿にされている人間が、掃除や雑用をこなしてくれているからこそ、上澄みの部分で気持ちよく働ける人間もいるということだけなのです。

現在は、「比較優位」の考え方がワールドワイドで利用されて、低い技術のものは中国や東南アジアに生産を移転させるようになったのだそうです。

いわゆるグローバリズム(グローバリゼーション)というものですが、サミュエルソンなどは経済学において比較優位を超える発見は無いとまで言っていたそうです。

しかし、昨今はコンピュータなど電子部品の殆どは中国や東南アジアからの輸入品であり、ハブ空港も、金融拠点も殆ど海外なわけで、日本のどこに比較優位があるのか、サッパリ分からなくなっています。

結論を言えば、「比較優位」は時々逆転することがあるので、現在利益が出てない部門でも手元に置いておかなければならないのですが、何でもかんでもリストラして、手放してしまったことに現在の日本の間抜けさがあるのでしょう。

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