日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

デモすると、逮捕される国。

2011-09-25 04:26:32 | Weblog
雨宮かりんさんのブログより。
http://www.magazine9.jp/karin/110921/

 デモの前から異様なことはたくさんあった。デモの2日前には、事前に届け出ていたデモコースそのものが拒否されるというありえない状況となった。このせいで出発地点がアルタ前から新宿中央公園に変更され、デモコースも大幅に変わってしまう。結果、告知期間が少なく、当日、アルタ前に行ったもののデモに参加できなかったという人も多く出てしまった。

 また、当日午後2時頃には新宿東口からアルタ前に出る階段が警察によって封鎖。デモ後に集合したアルタ前広場には、とにかく通りすがりの人が入れないよう信号すら渡れず、警察は地下道へ通行人を誘導。もうひとつの信号では信号が変わるたびに規制線が張られた。

 この日強く感じたのは、露骨な「運動潰し」の空気だ。これまで、「原発やめろデモ」には「デモは初めて」という人たちが多く参加していた。それがデモの爆発的な勢いとなっていた。しかし、デモ参加者をこれほど逮捕しまくれば「デモに行く」=「逮捕されるかも」という恐怖を簡単に植え付けられる。また、「暴力をふるったから逮捕した」ということにすれば、脱原発デモ=暴力集団というイメージなどすぐに作り出せるだろう。

9月11日の「原発やめろデモ」、ラストはやっぱり「原発やめろ広場」!

 菅内閣から野田内閣となり、「脱原発」から政治は随分後退したように思える。読売新聞には「展望なき脱原発と決別を」という社説が載り、首相が変わってからは「経済のためには原発が必要」という論調が再び盛り返しているのを感じる。「脱原発」という人類の命運にかかわる方向性自体が、何か「思いつきばっかの困った菅さん」的な感じのキャラ問題に矮小化され、忘れ去られていく過程に入っているかのようだ。



(引用終わり)

今まで政治活動に冷めていた国民が6万人も集まったというのは、原発事故によって、国が変ったということだと思います。

デモの参加者が他国と比較して極端に少ないのは、どうしてかなと思っていましたが、このように一度逮捕されてしまえば社会的に排斥されたときの経済的損失が大きいですし、山本太郎氏のようにギャラが十分の一になってしまえば飯が食えなくなってしまうでしょう。

だからみんなビビって、政治活動などしなくなるのですが、このうねりは初動的なもので、今から5年後には甲状腺癌が多発して国民の怒りは頂点に達するでしょう。

野田総理になってから、脱原発どころか他国への原発の売り込みがまた始まってしまいましたが、肝心の政治の方は再生可能エネルギーからずいぶん後退してしまったようです。

僕も菅さんを支持していたわけではないですが、ノブタよりもよほどましというものです。

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