日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

健常者基準の考え方。

2014-06-27 07:48:57 | Weblog
何でも健常者を基準に考えてしまうのは、後進国の国民のやることです。

日本人の福祉認識に欠落しているのは、たとえば、バリアフリーと言う言葉を健常者を基準として考えてしまっていることです。

障害者目線で住環境を整備したり、使い勝手の良い車いすを国の補助で使えるようにしたり、社会参加ができるように企業に雇用人数を義務付けるなどして、あらゆるバリアを取り除き、健常者と同じスタートラインに立てるようにするのが、バリアフリーの考え方です。

今の日本は、健常者を中心に考えるから、障害者自立支援法などという、どこも雇う企業がないのに自立しろだとか、収入もないのに医療費を取るぞとか、非人道的で、非現実的なことを平気で考えてしまうのです。そして政策を作ったものの、頓挫してしまう。

私は分かっているよと考えている人でもかなり怪しい。たとえば、こうです。

東京ではエスカレーターに乗るときは左側に寄って、右側は急いでいる人を通すとか当たり前のようにやっていますが、これもバリアフリーの考え方からすると、ずいぶん可怪しい話しなのです。脳梗塞で左麻痺になった人は、右手でベルトを掴むしかないのにどうするんだって話です。

手すりとか住宅とか、住環境は少しは整ってきましたが、健常者を中心に考えてしまうのは、日本の場合まだまだ後進的です。

健常者が当たり前どころか、「競争に打ち勝って努力している健常者」しか認めないのが、昨今の日本です。健康で、勝ち残れる人を基準に考えれば、多くの落ちこぼれる人が出るのは当たり前です。

田中将太のような一握りの人間の成功例は、凡人や障害者には何の参考にもなりません。あのイチローだって年には勝てずに、平凡なバッターになってしまいました。その後、どうするんだって話です。

そんな常識がはびこると、健康な人でも、いつの日か働けなくなる病症を受けたり、鬱病になる、あるいは老人になっただけで、いっかんの終わりです。

人間の欲望を最大限に追い求めていく、利益追求団体である企業もさることながら、均衡を図るべき国が、そんなことをやってはいけないのです。

民主党の前原のように2%の農業のためにほとんどの企業が犠牲になっているとか、麻生副総理のように貧乏人の医療費のために俺たちの税金を使うのかとか、国会議員があんな発言をしてしまうのは、本当に異常な国なのです。

資本家中心に世の中を整備していっても、一部の金持ちに貯蓄性向が高まって、貧乏人は重税になって、景気が悪くなっているでしょう。

逆に、障害者を中心に世の中を整備していくと、分配指向が高まって、最大多数の可処分所得が増えて消費が増えて、お金の循環が良くなっていくんじゃないですか。

更に、努力し過ぎな健常者を可怪しいと考えることで、労働時間も短くなり、生活しやすい世の中ができてくるのではないですか?

以上は、今当たり前と考えていることが、大きく間違っているのではないかと問題点を見出して光を当てられるかどうか、ノンポリの日本人が哲学的な思考にトライできるかどうかという、大切な話しなのです。

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