森永卓郎さんが、とうとう日本経済の復活を言い始めました!
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/147/
そこまでは勝ちが見えているレースだった。しかし、獲物とする国がなくなってしまうと、金融資本は行き場を失って、欧米の不動産投機に走ることになる。だが、そこはゼロサムであり、全員が勝てるとは限らなくなってくる。さらにそこから逃げ出した投機資金が、現在、原油や穀物市場で暴れているのだが、そのバブルがはじけたらどうなるか。
もう、行き場所がほとんどない。なぜなら、彼らのあまりに巨大になった資金に耐えられるような投機の対象(市場)がもう残っていないのである。最後には、膨張しつづけてきた金融資本は行き場を失って消えるしかないのである。
それで、何が起きるのか。パラダイムが変わるとわたしは思うのだ。
(中略)
だが、原油の暴落をきっかけにして、その逆が起きるのではないかとわたしは想像している。つまり、日本経済の復活と、米国経済の長期低迷である。わたしは、この主張をあちこちで披露しているのだが、残念ながら誰もまともにとりあってくれない。
(中略)
パラダイムが転換するとき、その渦中にある人びとはなかなかそれに気づかないものだ。むしろ、あとになって、あれが転換点だったのだと思い返すことが多い。
わたしが興味深く感じたのは、先日発表された『経済白書』と『労働経済白書』である。前者が経済産業省、後者が厚生労働省によるものだが、その中身がまるで対照的だったのだ。
すでにメディアで大きく取り上げられたので、ご存じの方も多いと思うが、『経済白書』では、この不況を乗り切るためには、もう一度思い切ったリストラをして、日本経済の転換を図るべきだとした。
一方、『労働経済白書』では、いままでやってきた弱肉強食の経営は失敗であり、もう一度終身雇用、年功序列に戻して、安定した日本の経済を取り戻すべきとした。
明らかに閣内不統一ではあるが、わたしは『労働経済白書』のほうが正しいと考える。そして、『労働経済白書』の記述が、ある意味でパラダイム転換の象徴なのではないかと思うのだ。
(引用終わり)
森永卓郎さんについての各所の評価は、痛烈に小泉批判を続けながらも、一方で「年収300万円~」などの著書で、貧しさに適応せよみたいなことを書いていることが面白くないという人がいるようですが、僕はちょっと違うと思います。
まず結果論として、森永卓郎さんが経済評論家として活動を続けてこられ、生き残ったことに意義があるでしょう。
僕は森永さんの著書は殆ど読んでいますが、小泉・竹中批判は一貫して書かれていました。当初からクリーンなイメージで国民に非常に人気の高かった小泉首相の問題点は、今日になってようやく多くの人が共有できるようになったものでしょう。今と違い、小泉批判はもの凄く勇気が必要だったわけです。
反小泉の評論を続けながら、国民新党の副代表を務め、政策の草案をまとめ上げた紺谷典子さんは、仕事の9割を失ってしまったといいますし、植草一秀さんは、青木参議院議長が植草さんを、竹中大臣と交代させようとした直前に事件に巻き込まれてしまいました。同じく小泉批判を続けた評論家の中村慶一郎さんや、森田実さんなどは、テレビ会から抹殺されてしまいました。皆さんご存じの通り、反小泉の政治家は、殆どやられてしまいましたね。
僕らはそれを、「平成の大獄」と名付けたりしたのですが(笑)
実は、当時の森永卓郎さんも仕事が半分になってしまったのだそうですが、持ち前のおちゃらけたキャラクターのおかげか、(体制には)相手にされずに平成の大獄から逃れられたものと思われます。
もう一つ森永さんが生き延びて来られた理由は、地雷を踏まなかったことでしょう。
地雷というのは、マネタリーベースを増やすべきだとは主張しても、決して財政出動しろとは言わなかったことです(朝まで生テレビで、日銀が国債を買い取ればいいとまでは言ったのですが)。これを言ってしまえば「日本の借金を増やす気か? 古い自民党への先祖返りだ」と言われてしまえばそれまでです。僕が森永さんにメールを戴いたときに、財政出動派の僕らに対して、同じ考えの人がいるので驚いたと言ってくれましたが、当時の世間の空気はそれを言ってしまえばお終いのようなところがありました。
もう一つは、植草さん同様にりそな問題についても言及していたのですが、それが政府ぐるみのインサイダー取引だとは言わなかったことでしょう。こんなものが週刊誌に書かれてしまえば小泉政権は大ダメージだったのでしょうが、悲しいことに、植草さんが事件に巻き込まれ、そちらの方が週刊誌を大きく賑わせてしまいました。
真面目キャラの植草さんと違い、森永さんはおちゃらけているようですが、実は、警戒心がとても強い人で、不用心な失敗はしない人だと僕は思っていました。
「年収300万円~」にしても、中間層からはじき出された人々にとって、まずはその現実を受け入れる必要があったわけです。
700万円もらっていた人が300万円になった。貧しさに馴染めずに、足りない分を借金して首が回らなくなり自分で死んでしまった。
当時は、そんな人がたくさんいました。
年収が少なくても少ないなりに楽しめるし、手法も示すので、まずは生延びてくれというのが森永さんの真意だったように思われます。ケインズ的な政策が取り入られるまでには、もの凄く長いタイムラグがあるので、即席に役に立つのは、低所得時代の適応術であったというだけです。テレビタックルの三宅氏が言う論点のすげ替えのように、森永さんが貧しさを助長していた訳ではないでしょう。
とかなんとか言いながら、一番大事な、日本経済復活の話をしなければなりません(笑)
1,オイル投機の暴落
2,マネーの行き場の消失
3,新しいパラダイム
3,日本型経済の復活
これですね!
本当に良い時代に戻れるかも知れません。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/147/
そこまでは勝ちが見えているレースだった。しかし、獲物とする国がなくなってしまうと、金融資本は行き場を失って、欧米の不動産投機に走ることになる。だが、そこはゼロサムであり、全員が勝てるとは限らなくなってくる。さらにそこから逃げ出した投機資金が、現在、原油や穀物市場で暴れているのだが、そのバブルがはじけたらどうなるか。
もう、行き場所がほとんどない。なぜなら、彼らのあまりに巨大になった資金に耐えられるような投機の対象(市場)がもう残っていないのである。最後には、膨張しつづけてきた金融資本は行き場を失って消えるしかないのである。
それで、何が起きるのか。パラダイムが変わるとわたしは思うのだ。
(中略)
だが、原油の暴落をきっかけにして、その逆が起きるのではないかとわたしは想像している。つまり、日本経済の復活と、米国経済の長期低迷である。わたしは、この主張をあちこちで披露しているのだが、残念ながら誰もまともにとりあってくれない。
(中略)
パラダイムが転換するとき、その渦中にある人びとはなかなかそれに気づかないものだ。むしろ、あとになって、あれが転換点だったのだと思い返すことが多い。
わたしが興味深く感じたのは、先日発表された『経済白書』と『労働経済白書』である。前者が経済産業省、後者が厚生労働省によるものだが、その中身がまるで対照的だったのだ。
すでにメディアで大きく取り上げられたので、ご存じの方も多いと思うが、『経済白書』では、この不況を乗り切るためには、もう一度思い切ったリストラをして、日本経済の転換を図るべきだとした。
一方、『労働経済白書』では、いままでやってきた弱肉強食の経営は失敗であり、もう一度終身雇用、年功序列に戻して、安定した日本の経済を取り戻すべきとした。
明らかに閣内不統一ではあるが、わたしは『労働経済白書』のほうが正しいと考える。そして、『労働経済白書』の記述が、ある意味でパラダイム転換の象徴なのではないかと思うのだ。
(引用終わり)
森永卓郎さんについての各所の評価は、痛烈に小泉批判を続けながらも、一方で「年収300万円~」などの著書で、貧しさに適応せよみたいなことを書いていることが面白くないという人がいるようですが、僕はちょっと違うと思います。
まず結果論として、森永卓郎さんが経済評論家として活動を続けてこられ、生き残ったことに意義があるでしょう。
僕は森永さんの著書は殆ど読んでいますが、小泉・竹中批判は一貫して書かれていました。当初からクリーンなイメージで国民に非常に人気の高かった小泉首相の問題点は、今日になってようやく多くの人が共有できるようになったものでしょう。今と違い、小泉批判はもの凄く勇気が必要だったわけです。
反小泉の評論を続けながら、国民新党の副代表を務め、政策の草案をまとめ上げた紺谷典子さんは、仕事の9割を失ってしまったといいますし、植草一秀さんは、青木参議院議長が植草さんを、竹中大臣と交代させようとした直前に事件に巻き込まれてしまいました。同じく小泉批判を続けた評論家の中村慶一郎さんや、森田実さんなどは、テレビ会から抹殺されてしまいました。皆さんご存じの通り、反小泉の政治家は、殆どやられてしまいましたね。
僕らはそれを、「平成の大獄」と名付けたりしたのですが(笑)
実は、当時の森永卓郎さんも仕事が半分になってしまったのだそうですが、持ち前のおちゃらけたキャラクターのおかげか、(体制には)相手にされずに平成の大獄から逃れられたものと思われます。
もう一つ森永さんが生き延びて来られた理由は、地雷を踏まなかったことでしょう。
地雷というのは、マネタリーベースを増やすべきだとは主張しても、決して財政出動しろとは言わなかったことです(朝まで生テレビで、日銀が国債を買い取ればいいとまでは言ったのですが)。これを言ってしまえば「日本の借金を増やす気か? 古い自民党への先祖返りだ」と言われてしまえばそれまでです。僕が森永さんにメールを戴いたときに、財政出動派の僕らに対して、同じ考えの人がいるので驚いたと言ってくれましたが、当時の世間の空気はそれを言ってしまえばお終いのようなところがありました。
もう一つは、植草さん同様にりそな問題についても言及していたのですが、それが政府ぐるみのインサイダー取引だとは言わなかったことでしょう。こんなものが週刊誌に書かれてしまえば小泉政権は大ダメージだったのでしょうが、悲しいことに、植草さんが事件に巻き込まれ、そちらの方が週刊誌を大きく賑わせてしまいました。
真面目キャラの植草さんと違い、森永さんはおちゃらけているようですが、実は、警戒心がとても強い人で、不用心な失敗はしない人だと僕は思っていました。
「年収300万円~」にしても、中間層からはじき出された人々にとって、まずはその現実を受け入れる必要があったわけです。
700万円もらっていた人が300万円になった。貧しさに馴染めずに、足りない分を借金して首が回らなくなり自分で死んでしまった。
当時は、そんな人がたくさんいました。
年収が少なくても少ないなりに楽しめるし、手法も示すので、まずは生延びてくれというのが森永さんの真意だったように思われます。ケインズ的な政策が取り入られるまでには、もの凄く長いタイムラグがあるので、即席に役に立つのは、低所得時代の適応術であったというだけです。テレビタックルの三宅氏が言う論点のすげ替えのように、森永さんが貧しさを助長していた訳ではないでしょう。
とかなんとか言いながら、一番大事な、日本経済復活の話をしなければなりません(笑)
1,オイル投機の暴落
2,マネーの行き場の消失
3,新しいパラダイム
3,日本型経済の復活
これですね!
本当に良い時代に戻れるかも知れません。