goo blog サービス終了のお知らせ 

今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

はじめは小さなサインだった ~ハナ最後の闘い(前編)~

2017年03月14日 | (故)ハナ
また自省の意味を込めて、ハナとお別れしたときの話をさせて下さい。

            
           ハナ17才の頃、家前の道路にて

それはハナが脳溢血の病魔から奇跡の復活を遂げた1年後のことでした。その日は夫婦で家に帰ったのが当時としては少し早めの19時。揃って帰宅したときは大抵3匹のお出迎えがあるのですが、それがないと、何となく胸騒ぎが走るものです。そのときも誰も(玄関まで)出てこない。そして胸騒ぎが的中、居間の窓側に倒れていたハナを発見したのです。

ハナは嘔吐物にまみれて横たわっていました。後でわかったのは、嘔吐物は当時絶不調だったテツのものだった。ハナは半分仰向けに倒れて、静かだったが目がうつろになって。でも脳溢血のときとは少し違う。いずれにしても、何か重大なことが起こっていることは明らかだった。

            
          嘔吐物を拭き取ったが手足が動かず
                テツも心配そう

しかし行きつけの病院は19時までで電話が繋がらず。何件か調べて、19時半まで受け付けていた少し遠くの病院に何とか診察をお願いしました。とりあえず抱いて行こうとハナを毛布に包んでいるときだった。ほんの一瞬だったけど、ハナがひきつけを起こしたのです。全身が力んで、白目を剥いて。本当に一瞬の出来事、直ぐに治まりました。

病院までの間、ハナは腕の中で少し元気を取り戻したようでした。病院に着いて診察のときは頭を上げるほどに。先生の診断は"低体温症"、「とにかく温めてあげて下さい」と。 重大に思っていた割には薬も何も出ないので、いろいろと状況を先生を伺っているとき、ほんの一瞬、診察台のハナがまたひきつけを起こしたのです。

ほんの一瞬だったけど、間違いなく先生も見た。だが妻も看護師も他の人間は気付かなかった。「先生今の・・・」と言いかけたとき、いやあ、大丈夫でしょう、と軽い一言が返ってきました。とにかく一晩温めて、様子を見て翌日にかかりつけの先生に診てもらってください、と。

自宅に戻るとハナはまた少し元気になって、いつものレトルトと牛乳を少しだけど自ら口に含みました。(結果的にこれが最後の食事となった。) それからはコタツで温めたり、抱いて温めたり。良くなれ良くなれと祈りながら。しかしハナは、無情にもまたあの痙攣に襲われたのです。今度は長く、4,5秒は続いたでしょうか。

            
               自宅に戻ったハナ
            テツが付き添って離れなかった

            
            少しだけ自分で食べたけど・・

その晩ほど切ない思いをしたことはなかった。初めは温めれば治ると信じていた。しかし4,5秒だった痙攣はどんどん長くしかも頻繁になって、未明には15分毎に20秒も続くほどに。ハナは頑張って、痙攣に負けまいと意識を保っていました。撫でたり声をかけると安心したように目を細めて・・。 夜間の救急病院を調べると遠いがあることはある。でもどれほどのことをしてもらえるのか。一見診察への不信感、ハナに負担をかけたくない、いろいろな思いが錯綜して、結局いつもの先生の開院を待ったのです。

              
     ハナを抱き続けた一晩、しかし様態は悪くなる一方で

病院はその日に限って混んでいました。アサイチのつもりが1時間も待たされて。ハナは、順番待ちの車内でついに意識を失ったようだった。窮状を聞いた先生が迎えに来てくれてようやく診察が始まったのは朝の10時、倒れたハナを発見してから15時間後のことでした。

            
    順番待ちで抱き続ける中、ついにハナの意識がなくなった

診断は「敗血症」。白血球の値が8万を超えていた。即入院で抗生物質の投与開始。先生は言いました、「敗血症は時間との勝負、早く処置すればだいたい治ります。」

            
              ハナ入院の前夜と朝
     ご飯を催促するようであげても食べなかったテツとくも


**後編に続きます**
書き始めるといろいろな想いが蘇ってきて、またしても予定をはるかに上回る長さとなってしまいました。作文力のなさを痛感しています。この記事は後編(入院後のハナの闘病と保護者の反省)に続きます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハナ ~わが家のニャン歴史は、この子から始まった~

2016年12月14日 | (故)ハナ
すみません、ちょっと思い出話させて下さい。
本人だけが思い出に浸って悦に入っちゃう、例のアレ(昔はよかったなあ)です。 思い出とはハナのこと。亡くしてから2年ちょっと、そろそろ禁断症状が出ちゃうんですよね。

思えば22年という歳月、3人の子供達と同じくらいの長さをこの家で過ごしたのです。そりゃもう、思い出の数だって並大抵のもんじゃないわけです。

      
       (再掲)ハナの若い頃のデジタル写真がなくて

ハナは近所の野原でいじめられていた子猫でした。一番下の子(長男)が小5のとき、その子猫を助けたのがきっかけで我が家に来たのです。息子が勇気を出して子猫を助け、連れて帰ったその行為をしっかり褒めてやって、まさかまた捨てろなんて言えないですよね。

ハナはおっとりして怒ることが殆どなく、家族の寵愛を一身に浴びて育ちました。はじめの転機は5年後にテツを迎えたとき。心配もあったがハナは自分の子供のようにテツを可愛がり、テツもハナを慕うようになりました。

その2年後、今度はくもを迎えます。ハナはテツのときと同じように接していたと思いますがそこは♀同士、くもは物心つくとハナとは一線を画すようになり、2階の和室を根城とするようになりました。結果としてハナは1階中心の生活となって、ベランダや屋根に行くことが少なくなっていきました。

      
             風呂場の水を飲むハナ
           そのうち他の2匹も同じように

しかしこの3匹は本当に仲が良かった。トイレも3匹でひとつだったし食事は常に一緒、違うと言えば寝床くらいのもんでした。(テツは妻、くもは自分、そしてハナは次女の布団の中だった。) 今、ニャンコ同志の関係で悩んでいることを考えると、当時は本当にラッキーだったんだな。でも平和そのものだったあのニャンコ生活、すべてはハナのおっとり加減がベースだったように思います。

       
       くも10才(奥)、テツ12才(左)、ハナ17才(手前)

ハナ最大の転機は、次女が独立して家を出たとき。
このときはさすがにハナも寂しそうで、しかも随分尾を引いたように思います。しかしやがて長男の寝床に入るようになって安定したのですが、今度は長男の独立。それからというもの、ハナはひとりで寝るようになりました。 が、真冬に寒くなると妻の布団へ、テツが右、ハナが左といった感じで、まあご苦労さんでした。

テツとは仲良しどころか恋人同士のような写真が山ほどあります。
ハナの特徴を一言で言うと包容力の大きさ、かな。 テツやくもがあんなに良い子に育ったのはハナのおかげだと思います。そしてハナは、知能優れて他人に頼ることのない"孤高のニャンコ"でした。 晩年、我々夫婦との意思疎通を深めていったテツに対して、ハナは"ニャンコ"であることを貫いたニャンコだったと思います。

      
       もし今の我が家の状況を見たら、ハナは何と言うだろうか
        (脳溢血から復活して、自分を取り戻した頃のハナ)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もう十分・・・」に、ムカ

2016年11月05日 | (故)ハナ
かつての我が家の3匹(ハナ、テツ、クモ)の晩年は、いずれも通院生活でした。
病院の待合室で雑談の相手がウチの子の歳を知ると、必ず返ってくるのが驚きの声、
「あらぁ、すごい、・・・・」
「うわぁ、長生きですねェ、・・・」
「本当ですか? 元気ですねェ、・・・」
その頃の待合室には、猫の平均年齢8歳、と書かれたポスターが貼ってありました。

これって、自分は褒められてたんですよね。
そこまでニャンコを大事に育てるなんてすばらしい、と。

わかってはいるんですが、でも何となく抵抗を感じてたんです。
相手が悪いとかそういうことじゃなくて、何かこう、もやもやしたんですね。

あるとき、それがわかったんです。
ハナが脳溢血から回復した21才、テツは激ヤセが始まった16才のとき、診察中に先生が一言、
「いやぁ、もう十分生きてますから」

・・・・・。
十分生きた?
もういつ死んでもいいってこと?
おいおい、医者がそれ言うの?
悪気がないのはわかっていても、さすがにムッとして抗議したのでした。

愛する老猫と暮らしている人ならわかりますよね。
何歳になったって十分なんてことは絶対にない。
そして、「終わり」が来ることに対してとても敏感になっているんです。

今度、老猫の保護者さんに会ったらこう言ってあげましょう。
「まだまだ、これからですよ、これから。」



      
             テツ(左)とハナ
           青春の一コマではありません
          このときテツ16才、ハナ21才

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハナの思い出 ~奇跡の復活劇~

2016年10月02日 | (故)ハナ
脳溢血という怖い病気。
ニャンコだってかかるんだということを、思い知った出来事があります。

ハナが家に来たのは家族が今の家に越して3年目のこと、当時はまだ小学生だった一番下の子が、近所で子供たちにいじめられていたノラの子猫を助けて、家に連れてきたのが始まりです。

子猫はあっという間に我が家の中心的存在になりました。
何しろ、いつも家にいるので当然です。
      
   ハナ、12才の頃。小柄で童顔、とてもおしとやかな子でした

         
       二十歳の頃。ハナ大好きのテツにくっつかれて少し迷惑そう


上の写真を撮った翌日の朝のこと。
朝食前のハナが、おぼつかない足取りで直径1mくらいの円をくるくると回ってます。
そして虚ろな目。

咄嗟に状況が飲み込めました。
脳の障害だと。
まさか、猫にもそんなことがあるなんて・・。

でも、だとすれば一刻を争うはず。
直ちに仕事を休み病院に連絡して、ハナを抱いて夫婦で家を飛び出しました。車の中でいろんな思いが錯綜しながら、ひたすらに彼女を抱き続けたことを覚えています。その病院は大した検査もできないが先生は我々の克明な報告に耳を傾け、そして、やはり脳溢血(か何か)だろうと診断。即入院、脳圧を下げる処置を中心に点滴を始めました。

翌日の夜になって、どういう判断だったか覚えてないのですが、とにかく退院して帰宅。そのときは視覚、聴覚、嗅覚ともに機能しているとは思えず、相変わらず右回りを続けるだけ、危ないのでケージに入れました。はじめてのケージ経験がこんな形で、と思うと本当に情けなかった。
             


我々夫婦には癌で亡くしたワンコの、壮絶な最後を看取った経験があります。
あのときと同じ介護生活の覚悟は、既にできてました。

しかし、その後のハナは奇跡の回復を見せるのです。
家に帰った翌日には徘徊もなくなり、居場所をいつものカゴに移しました。
その翌日には、「おい、もしかしたら右目が少し見えてるんじゃない?」
そしてまたその翌日には、後ろで手を叩くと3度に1度は振り向くようになって・・。
      
         ハナを見守るテツ

そしてついに4日目には、自分で食事をとったのです。
      
        足がもつれながらも食事をとるハナ


一週間後に通院したとき、先生と看護婦さんたちの驚いた顔、顔、顔・・・。
「いやあ、処置の早さがすべてですよ、」先生はそう言って我々夫婦をねぎらいました。



ハナはその1年後の2年前に、今度は敗血症で、22年の生涯を閉じました。
確かに感覚機能も運動機能も十分ではなく、本人はもどかしかったことでしょう。でも、長年住み慣れた家のこと、動物特有の勘もあって日常生活に困ることもなく、2階への上り下りも難なくこなしていました。
神様からもらった最後の1年間は、本人にとっても我々夫婦にとっても、最も充実した、最高の1年間だったと確信しています。

      
   鏡を使って周囲をチェックすることのできる、とても頭の良い子でした


(追伸)
我々夫婦は、晩年のハナのことを「オババ」と呼んでました。ハナと正式な名前で書くと何だかこそばゆい感じです。 ちなみに、テツのことは「プー」と呼んでいました。なぜそんな呼び方になったのかと言うと、あれしろこれしろと要求がとてもうるさかったからです。

いやはや、トシをとると人間もニャンコも同じなんですな。
いや、ホント。 気をつけないと・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする