長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『tick,tick...BOOM!:チック、チック…ブーン!』

2021-11-26 | 映画レビュー(ち)

 現代ミュージカル界最高の才能リン・マニュエル・ミランダ、満を持しての長編監督作は『RENT』で知られるミュージカル作家ジョナサン・ラーソンが手掛けた『tick,tick...BOOM!』の映画化だ。1990年のNY、ミュージカル作家としての大成を夢見るジョナサンは新作の試演ワークショップを控えていた。しかし、どうにもこうにも重要な楽曲だけが仕上がらない。迫る本番、そして天才の証明である20代が終わりを告げる誕生日が刻一刻と、まるで時限爆弾のように近付いていた。

 創作に関わる者であれば誰もが年齢の壁を意識した事はあるだろう「かの天才は20代であの名作を創り上げた」。30歳になってしまったら自分は天才でも何でもなく、成功を得ることは叶わないのではないか。ジョナサンはほとばしる才能で小さな成功を積み重ね、一夜限りの称賛で承認欲求を満たしていくが、朝を迎えれば待っているのは夢見たボヘミアン生活ではなく、わがままな客でごった返した食堂のバイトだ。ジョナサンもまたこれまで幾度となく語られてきたアーティスト列伝同様の破天荒な青年だが、アンドリュー・ガーフィールドの屈託のない演技がジョナサンをチャーミングで愛すべき人物へと仕立てている。ミランダはこれまで『ハミルトン』でアメリカ建国の父アレクサンダー・ハミルトンを、エグゼクティブプロデューサーを務めた『フォッシー&ヴァードン』ではミュージカル界の伝説ボブ・フォッシーを評人してきたが、いずれも偉業に反して女性関係にだらしのない人格破綻者であり、それを指摘しつつ“キャンセル”で終わらない再定義に複雑な面白さがあった。幸いにもジョナサンはそんなほの暗さとは無縁の根明な人物であり、ミランダも彼の純粋さに敬意と憧憬を寄せている。だがこれでは影がなさ過ぎるだろう。ブルシットジョブに創作の時間が割かれることを憎んだジョナサンが、カフェの壁を押し倒すシーンはシネマティックなミュージカル演出だが、歌詞はバイトの愚痴に過ぎない。移民の目線から現代アメリカを歌った『イン・ザ・ハイツ』の後では、再演に耐えうるだけの現代性に乏しいのだ(ジョン・M・チュウ監督の手数の多いミュージカル“映画”演出も、さすがにミランダに対して一日の長があった)。

 ワークショップは大好評のうちに幕を閉じるが、それがジョナサンの成功を約束することにはならなかった。この業界では熱に浮かされた一夜限りの成功なんてよくあることだ。ジョナサンは言う「僕はどうしたら?」。その答えは明白だ。「新作を書きなさい。書いて書いて書きまくるのよ。それが作家ってもんでしょ」。そうしてジョナサンはエイズに侵された親友マイケルへの想いから、“最もパーソナルなことで最もクリエイティブ”な『RENT』を生み出すのである。
しかしジョナサンもまた、『RENT』の成功を見ることなく35歳という若さでこの世を去ってしまった。ジョナサンは歌う「29歳が終わってほしくない」。いいや、過ぎたって構いやしない。でも創作の寿命は限られている。だから僕たちは今日も明日も書いて、歌うのだ。


『tick,tick...BOOM!:チック、チック…ブーン!』21・米
監督 リン・マニュエル・ミランダ
出演 アンドリュー・ガーフィールド、アレクサンドラ・シップ、ロビン・デ・ヘスス、ヴァネッサ・ハジェンズ、MJ・ロドリゲス、ジュディス・ライト、ブラッドリー・ウィットフォード
※Netflixで独占配信中※

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