長内那由多のMovie Note

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『落下の解剖学』

2024-02-23 | 映画レビュー(ら)
※このレビューは物語の結末に触れています
 人里離れた山荘で起きた夫の転落死。容疑者は作家でもある妻。唯一の目撃者は視覚に障害を持つ11歳の息子。果たして事件の真相は?2023年のカンヌ映画祭で最高賞パルムドールに輝き、アカデミー賞では作品賞はじめ主要5部門にノミネートされているジュスティーヌ・トリエ監督の『落下の解剖学』は、シンプルな筋立てから始まる正統派ミステリーだ。トリエの揺るぎなく厳格なまでの筆致は往年の名匠を思わせ、まさにフランス映画の真髄とも言うべき仕上がりである。妻による殺人か、はたまた事故かと探る152分間の法廷劇は、やがて外界からは見えない夫婦の力学を解き明かしていく。ブラッドリー・クーパーの『マエストロ』同様、夫婦関係における“暗黙の了解”を解剖したスリラーとも受け取れるが、それはトリエと偉大なるドイツ女優ザンドラ・ヒュラーが織りなす本作の皮下細胞にも達していない。

 多くの優れたミステリー同様、本作もまた冒頭部にヒントが散りばめられている。映画は主人公サンドラ(演じるヒュラーと同名である)がインタビューを受けている場面から始まる。彼女は父親との確執や息子の事故など、実体験を元にした小説で注目を浴びた気鋭の小説家なのだ。サンドラは「作家は実体験から書くべき?」との問いに「実体験は面白い物語を生む」と答える。インタビューは続く「物語を作る前に実際の経験が必要だと?どこが事実で架空の境目か読者は知りたくなる。そう思わせたいの?」。この問いにサンドラが答える姿は映画には映らない。

 『落下の解剖学』を注意深く切り開いていくと、実にいくつものパーツが存在しないことに気付かされるはずだ。巻頭のインタビューを50セントの“PIMP”を大音量で流すことで妨害する夫は、生きている姿で映画に登場する事はない。裁判のハイライトである音声記録から浮かび上がるのは、断片化された事実を元に私たちが想像した産物であり、そして子役ミロ・マシャド・グラネールが素晴らしいモノローグで再現する在りし日の父の姿もまた、サンドラの“証言”という物語から派生した残像である。現代を舞台にした法廷ミステリーでありながらソーシャルメディアが完全に排除された作劇は無論、脚本を手掛けたトリエと夫アルチュール・アラリによる意図的なものだろう。せいぜい140字あまりという切り取られた情報を、現代に生きる私たちはあたかも事実として内在化してきた。冒頭のインタビューの答えは、映画のずっと後で引用されている。「私はわざと曖昧に書く。フィクションが現実を破壊できるように」。

 近年、あらゆる創作行為、創作物に政治的な正しさが求められてきたが、時に創作とは内なる何かを傷つけ、殺した先に生まれ得るものであり、全ての創作は人種、性別、国籍など様々な属性に起因し、そして曖昧でもある。トリエとヒュラーは徹底したコントロールによって主人公を善人にも悪人にも見せず、しかし時折、サンドラは作家としてのエゴイスティックな自負をのぞかせ、どこか自分の創り上げた虚構に浸っているようにも見える。彼女を弁護する旧友ヴァンサンに扮したスワン・アルローの知的なハンサムぶりが違和感となるのも、意図的な配役によるものだろう。

 サンドラは言う「もっと見返りがあると思っていた」。果たして彼女は夫を殺したのか?わからない。だが同じく小説家を目指していた夫が生活に追われ、創作的完遂力でサンドラに叶わなかったことからも、彼は“破壊”されてしまったのかもしれない。母の言う物語を信じた息子も、自分を置いて父が自ら命を断ったのだと思い込み続けることだろう。物語る者であるサンドラはそんな咎を背負い続けるのだ。


『落下の解剖学』23・仏
監督 ジュスティーヌ・トリエ
出演 ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール

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