長内那由多のMovie Note

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『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

2020-01-17 | 映画レビュー(こ)

 映画が始まるまでの間、無数に流れる邦画の予告編に「いったい誰がこんな映画を見るのだろう」と気が遠くなった。声を張り上げるだけの演技を有難り、いつまでも学園モノにすがって大人になることを拒み、二昔前のハリウッド映画がやっていたであろう娯楽に歓喜する。そんな日本の芸能界で所属事務所との確執から名前と活動の場を奪われた能年玲奈は多くの若手女優同様の凡百なキャリアを辿らずに済んだ。それで良かったのではと思う。

 2016年に公開された『この世界の片隅に』は低予算映画ながら口コミで3年間ものロングランヒットを続け、その成功を受けて新たに40分ものシーンが追加された本作が製作された。単なるディレクターズカット、“完全版”ではない。構成、演出のスピードが変化しており、それでもなお観客に求めるリテラシーの高さは変わらず、より豊かな傑作として生まれ変わっている。能年玲奈は同世代女優から抜きんでたオルタナティヴになったと言っても過言ではないだろう。

 低予算ゆえにいくつものシーンの製作を断念せざるを得なかった前作は、その省略の妙によって多くの行間を生んでいた。40分を加えた本作でもその創作のプリンシプルは変わっていない。主人公“すず”のみならず多くの女性達が描かれ、男の論理である戦争の搾取構造がより鮮明となっている。また原爆を生き延びた妹の手に滲む紫の斑点や、坂を上り切れなくなった近所のおばちゃん等々は、原爆投下後のヒロシマで当たり前の景色としてあった原爆症の描写だ。知識がないとわかりにくいが、少しでも気になればぜひ調べてみて欲しい。

 本作のもう1つの変更点はより肉感的となったすずのキャラクターだ。柔らかな絵のタッチとは裏腹のなまめかしさに驚く。彼女を取り巻く登場人物が掘り下げられた事で田舎の純朴な娘に情動が宿り、より血肉を得た人物として画面から浮き上がっているのだ。片渕監督は精緻な描写で当時の街並みを書き起こし、語るべき言葉もなくこの世を去った人々に物語を見出した。広島の片田舎には今もなお、にこやかに暮らす“すずさん”のようなおばあさんが居るのだろう。


『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』19・日
監督 片渕須直
出演 のん
 

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