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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』

2020-05-17 | 映画レビュー(せ)

 近年、テクノロジーの発達により昔のモノクロ写真や動画にリアルな着色が可能になった。その瞬間、歴史的事件は僕達の日常と地続きになり、資料は生きた証となる。

 第一次世界大戦終結100年を記念して帝国戦争博物館からドキュメンタリー制作の依頼を受けたピーター・ジャクソン監督は、当時の記録映像に色を着けるだけではなく、フィルムの速度を調整し、さらに唇の動きを読み取って音声を吹き替えるというテクノロジーの粋を集め、従軍者達の声を蘇らせた。『ロード・オブ・ザ・リング』3部作でモーションキャプチャーを本格導入し、フルCG3Dアニメ『タンタンの冒険』、ハイフレームレート撮影を導入した『ホビット』3部作等、新作の度に技術開発も行ってきたパイオニアであるジャクソンの思いがけない到達だ。

 本作を単なる雇われ仕事の文脈で語れないのは、これまでの映画にも見られた戦争に対するオタク的なこだわりが見られるからだ。戦場に初投入された戦車や、未だ最前線の乗り物であった軍馬が重火器を引っ張る様子、大砲の振動で崩れ落ちる屋根瓦など、本作はホンモノならではの“燃える”ディテールの宝庫であり、近年も『ワンダーウーマン』『戦火の馬』『1917』など定期的に作られ続ける“第一次大戦モノ”のマイルストーンとなるかも知れない。

 だが戦闘中の映像はなく、本作の目的もそこにはない。自身の祖父も従軍したジャクソン監督は若者たちが何の疑問も持たずに銃を取り、日常が戦争に侵食されていく様を映していく。世界的な大戦の経験がない社会はまるでボーイスカウトか何かのように若者たちを戦争へと駆り立て、行進を見た者は堪らずついていって入隊したという。将来が約束されない次男坊達にとって戦争が唯一“男を上げる”環境だったというのも興味深い。

 そんな夢も希望も戦地に向かえばあっという間に崩れ去る。劣悪な環境1つをとっても無傷でいられる戦場なんてありはしない。そして根拠の乏しい戦術によって、おびただしい数の犠牲者が野に打ち捨てられたのだ。
 戦後、彼らを待っていたのが「いったいどこへ行っていたんだ?」と声をかける国民の無関心だったというのが痛ましい。いくら称賛の拍手を送ろうと、僕達は事の本質を理解していないのではないか?まるで木霊のように連ねられた従軍者達の声は、コロナ時代を生きる僕らに多くを問いかけている。


『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』(『彼らは生きていた』)18・英、ニュージーランド
監督 ピーター・ジャクソン
※劇場公開タイトル『彼らは生きていた』
 
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『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』

2019-12-08 | 映画レビュー(せ)

 『女王陛下のお気に入り』でアカデミー賞10部門にノミネートされ、いよいよ世界的名監督となったヨルゴス・ランティモスだが、怪作『籠の中の乙女』で彼を知った身としては“オスカーノミネート監督”という肩書がどうもミスマッチに思えてしまう。既存の企画に後乗りしたオスカー候補作よりも、脚本も手掛けたこの2017年作の方がよっぽど彼らしい底意地の悪さではないか。

コリン・ファレル扮する主人公は心臓外科医として成功を収め、美しい妻(ニコール・キッドマン)と2人の子供に恵まれていた。しかし、彼は家族や職場の目を盗んでバリー・コーガン扮する少年と度々、面会を繰り返している。親し気な2人の秘密をランティモスは易々と観客に予想させない。隠し子?それとも愛人?コーガンの謎めいた目つきが不穏な空気を醸し出す。彼は言う「家族の1人を殺さなければ、あなた以外の全員が歩けなくなり、やがて目から血を流して死ぬ」。

 この呪いの正体は全く明らかにされない。動機だけは語られるが、いったいどうやって呪いがかけられたのか、力の源は何なのか、そんな論理的説明は一切なく、ランティモスの主眼もそこにはない。
 映画が描いているのは家族であることの呪いだ。家族の誰かを殺せば呪いは解けると聞いたファレルは子供達の学校へ行き、“1人を残すなら優秀なのはどっちか?”と教師に聞く。いよいよ進退窮まり、銃を手に取ればこの期に及んで神頼みの手段を取る始末だ。規範なき社会を象徴する家族の崩壊は翌年公開のアリ・アスター監督作『ヘレディタリー』も通じ、この流れはついに2019年、下層へと追いやられた者達が社会へ復讐する『アス』『ジョーカー』へと引き継がれていくように思えた。

 演技者としての抜群の嗅覚を取り戻し、ランティモス映画初出演となったニコール・キッドマンや、ディズニー映画『トゥモローランド』から随分とパンクなキャリア形成になったラフィー・キャシディ、そして自分を笑えるようになったコリン・ファレルと出演陣は果敢であり、今年TVドラマ『チェルノブイリ』でも眼の演技で魅せたコーガンは本作が当座の代表作となるだろう。そういえばコーガンの母親役で登場したのは懐かしのアリシア・シルヴァーストン。「昔は太っていた」と言う彼女はすっかり痩せて、ふいに現れ去っていく。こんなギョッとするキャスティングもランティモスらしい撹乱である。


『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』17・英、アイルランド
監督 ヨルゴス・ランティモス
出演 コリン・ファレル、ニコール・キッドマン、バリー・コーガン、ラフィー・キャシディ、ビル・キャンプ、アリシア・シルヴァーストン
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『セインツ 約束の果て』

2018-09-21 | 映画レビュー(せ)

いつの頃からか歌い継がれてきたカントリーソングのような映画だ。
男と女がいる。2人は罪を犯し、男は牢へ送られ、身重の女が残された。遠く離れても互いを想い、また逢う日を心に描いた。

時は流れ、2人の子供も大きくなった。男は牢を出て、家路につく。だが、女には別の男がいた。彼女を更生させようと想いを寄せるその男はかつて銃を向け合った保安官だ。

時代を特定させない作りが映画に独特の詩情をもたらしている。ケイシー・アフレック、ベン・フォスターは時代を超えた魅力を携えており、特にフォスターは映画俳優としての成熟を感じさせ、ますますショーン・ペンと似てきた。
そしてルーニー・マーラの温度の低い個性は唯一無二ものだ。本作は彼女のフォトジェニックな美しさを眺めるだけで十分に堪能できる。

 監督はデヴィッド・ロウリー。ジェフ・ニコルズといい、アメリカンニューシネマを彷彿とさせる伝統的アメリカ映画の担い手が現れてきてくれたのが嬉しい。


『セインツ 約束の果て』13・米
監督 デヴィッド・ロウリー
出演 ケイシー・アフレック、ルーニー・マーラ、ベン・フォスター、キース・キャラダイン
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『セルフィッシュ・サマー』

2018-09-19 | 映画レビュー(せ)

「オレ、この間、あのコとイチャイチャしてさー」
「エッチの寸前までいったんだけど、ジャマが入ってよー」
「彼女を支えられるのはオレしかいないから、ついててあげなくちゃ」
男同士の他愛もない会話。「オマエら付き合ってんだ?」と聞くと決まってこう言う事が多い。
「ううん。でも微妙な関係なんだ」

こんな会話を男子はけっこうやっている。端から見るとイタいし、何より中身のない会話だ。ジャド・アパトウ軍団でも一番非常識で下品なギャグをやるデヴィッド・ゴードン・グリーン監督だが、本作ではブロマンス映画特有の会話の面白さをオミットし、リアルな男の滑稽さを描き出す。自分のダメっぷりを直視できない男たちの行程はどこへ向かうのかわからないテンションをふつふつと秘めていて、面白い。グリーンは本作でベルリン映画祭監督賞に輝いた。

アパトウ軍団ではサブを務めてきたポール・ラッドがその実力を発揮している。スティーヴ・カレルといい、本当に哀しい事を知っている人にしか出せないような、物憂い気で滑稽な孤独感を滲ませている。焼け落ちた廃墟で一人、家族ごっこに興じる姿はこの映画で最も心に残る、無性に悲しい場面だ。

 本作はロードムービーだが、男たちの行程はあくまで仕事であり、目的地はない。だが日常とはそんな進行方向も定まらないロングウォークではないだろうか。


『セルフィッシュ・サマー』13・米
監督 デヴィッド・ゴードン・グリーン
出演 ポール・ラッド、エミール・ハーシュ
 
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『セッション』

2018-09-13 | 映画レビュー(せ)

“ドラム版『ブラック・スワン』”という評もあるが、これは1つの芸事(仕事でも何でもいい)を突き詰めようとスタートした若者が世界の厳しさを知り、闘っていこうとする青春映画だ。僕には一音ですら先生の審美眼から弾かれてしまうレッスンの緊張感、クラスメートにポジションを奪われてしまう焦燥、そして延々と繰り返されるあの罵声は懐かしく感じた。本番を迎える前に脱落した仲間も多くいたが、それでも僕は体験して良かったと思っているし、一生の宝だ。主人公ニーマンのキャリアが映画が終わった瞬間から始まるように、あのセッションがなければ僕は大人の表現者として一歩を踏み出せなかったように思う。この映画で描かれたシゴキで僕が実際に体験しなかったのは練習時間を早く知られされた事と、本番で演目が違った事くらいだ。

アカデミー賞では作品賞候補8作品が軒並み1部門の受賞で終わる中、このサンダンス発の低予算映画は勝者
『バードマン』に続く3部門で受賞と気を吐いた。均整の取れたメジャースタジオの作品よりも大胆で野心的な28歳デミアン・チャゼルの圧倒をオスカーが評価したのだ。しかも彼には勢いだけではない巧みさがある。主人公ニーマンを演じるマイルズ・テラーの朴訥とした容姿に誤魔化されがちだが、彼は若さゆえに傲慢だ。ライバルを蹴落とし、時に罵る姿には自己顕示欲を満たしたいがため芸事に打ち込んでいるようにすら見える。主奏者である先輩の楽譜を失くしたのもニーマンかも知れないし、フレッチャーのハラスメントを告発したのも彼かも知れない。ライヴシーンよりもストーリーテリングと人物描写で機能する編集技が秀逸だ。

その一方でJ・K・シモンズがオスカーに輝いたフレッチャー先生のキャラクターはじめ、誇張が劇映画としてのドラマ性を高めている。コンサート本番で仕掛ける反撃のドラムソロがいつしかフレッチャーの求めたビートと合致し、二人で高みへと昇り詰めていくあの恍惚こそ、アーティストが一生涯かけて探求する瞬間だ。ジャケットを脱ぎ捨て、ニーマンにフィニッシュのタクトを振るフレッチャー。ラスト9分、セリフ一切なしのライヴシーンが幕切れた瞬間、映画館内からはため息が漏れた。息をするのも忘れた映画なんて久しぶりじゃないか。僕らは地獄をくぐり抜けた者しか到達できない境地を目撃したのだ。

『セッション』14・米
監督 デミアン・チャゼル
出演 マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、メリッサ・ブノワ
 
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