長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『セッション』

2018-09-13 | 映画レビュー(せ)

“ドラム版『ブラック・スワン』”という評もあるが、これは1つの芸事(仕事でも何でもいい)を突き詰めようとスタートした若者が世界の厳しさを知り、闘っていこうとする青春映画だ。僕には一音ですら先生の審美眼から弾かれてしまうレッスンの緊張感、クラスメートにポジションを奪われてしまう焦燥、そして延々と繰り返されるあの罵声は懐かしく感じた。本番を迎える前に脱落した仲間も多くいたが、それでも僕は体験して良かったと思っているし、一生の宝だ。主人公ニーマンのキャリアが映画が終わった瞬間から始まるように、あのセッションがなければ僕は大人の表現者として一歩を踏み出せなかったように思う。この映画で描かれたシゴキで僕が実際に体験しなかったのは練習時間を早く知られされた事と、本番で演目が違った事くらいだ。

アカデミー賞では作品賞候補8作品が軒並み1部門の受賞で終わる中、このサンダンス発の低予算映画は勝者
『バードマン』に続く3部門で受賞と気を吐いた。均整の取れたメジャースタジオの作品よりも大胆で野心的な28歳デミアン・チャゼルの圧倒をオスカーが評価したのだ。しかも彼には勢いだけではない巧みさがある。主人公ニーマンを演じるマイルズ・テラーの朴訥とした容姿に誤魔化されがちだが、彼は若さゆえに傲慢だ。ライバルを蹴落とし、時に罵る姿には自己顕示欲を満たしたいがため芸事に打ち込んでいるようにすら見える。主奏者である先輩の楽譜を失くしたのもニーマンかも知れないし、フレッチャーのハラスメントを告発したのも彼かも知れない。ライヴシーンよりもストーリーテリングと人物描写で機能する編集技が秀逸だ。

その一方でJ・K・シモンズがオスカーに輝いたフレッチャー先生のキャラクターはじめ、誇張が劇映画としてのドラマ性を高めている。コンサート本番で仕掛ける反撃のドラムソロがいつしかフレッチャーの求めたビートと合致し、二人で高みへと昇り詰めていくあの恍惚こそ、アーティストが一生涯かけて探求する瞬間だ。ジャケットを脱ぎ捨て、ニーマンにフィニッシュのタクトを振るフレッチャー。ラスト9分、セリフ一切なしのライヴシーンが幕切れた瞬間、映画館内からはため息が漏れた。息をするのも忘れた映画なんて久しぶりじゃないか。僕らは地獄をくぐり抜けた者しか到達できない境地を目撃したのだ。

『セッション』14・米
監督 デミアン・チャゼル
出演 マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、メリッサ・ブノワ
 

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