goo blog サービス終了のお知らせ 

長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『パストライブス 再会』

2024-04-29 | 映画レビュー(は)

 アカデミー賞で作品賞と脚本賞にノミネートされたセリーヌ・ソン監督の長編デビュー作『パストライブス』は、情感あふるる珠玉の1本だ。上映時間はオスカー受賞作『オッペンハイマー』の約半分にあたる106分。ゆったりと贅沢に時間を使ったソンの演出は大作偏重気味の昨今において、観客に真のストーリーテリングの豊かさを実感させてくれることだろう。

 24年前、ソウルに暮らす12歳のノラとヘソンは互いに想いを寄せ合う。まだこの感情に名前も付かない年頃で、やがてノラの海外移住によって別離が訪れる。『パストライブス』は厳密に言えばロマンス映画には分類されないかも知れない。将来の夢はノーベル賞を取ることと目を輝かせ、海外移住に胸踊らせるノラと、後に兵役に就き、国内の大学へ進学するヘソンは既に恋愛における同じ時間軸に存在していない。12年後、ソーシャルメディアの勃興が2人を繋ぎ合わせるが、それがさしたる関係性へと発展しなかったのも言わずもがなだろう。

 驚かされるのは実体験を元にしたというセリーヌ・ソンがノラ(成人後を演じるのは輝くように優雅なグレタ・リー)よりもヘソン、そしてノラの夫アーサーら男たちの優しさと繊細さに注目し、男性観客こそ大いに共感できる物語にしていることだ。12年間、変わらず同じ親友たちと同じ居酒屋で呑み続けるヘソンは誰よりも人の情と縁を重んじる男であり、演じるユ・テオはロマンスの相手役としてのルックスはもちろんのこと、目線だけで歳月と心情を表現する稀有な才能である。

 “Past Lives”は前世を意味し、移民にとってはかつての祖国というアイデンティティを指す。ノラの言う東洋思想“イニョン=縁(えにし)”を信じ、愛しい人の前世を知るヘソンの登場に感動する夫アーサーの姿は、本作で最も心揺さぶられる場面の1つだ。『ショーイング・アップ』『ファースト・カウ』など、近年ケリー・ライカート作品で頭角を現してきたジョン・マガロは本作の宝である。

 現世における人の縁(えん)とは前世から幾重にも繋がる縁(えにし)であり、ロマンス映画が描いてきた本質とは人と人が出会うことの奇跡だ。そんな東洋思想と、移民のメンタリティが西洋で巡り合った珠玉作である。


『パストライブス 再会』23・米、韓
監督 セリーヌ・ソン
出演 グレタ・リー、ユ・テオ、ジョン・マガロ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『はじめから烙印を押されて』

2024-01-30 | 映画レビュー(は)
 イブラム・X・ケンディのノンフィクション『人種差別主義者たちの思考法 黒人差別の正当化とアメリカの400年』を原作とする本作は、作者自らをはじめ、識者による解説とアニメーションによってまとめられたドキュメンタリーである。そもそもの“人種”という言葉の起源から遡る本作は、ヨーロッパに始まりアメリカで完成した奴隷制度というシステムが、今なお姿形を変えて存続していることを看破する。Netflixのアルゴリズムではなかなかレコメンドされる機会も少なく、語り口に堅苦しさがあるものの、ネット記事を斜め読みするよりはよっぽど有意義な85分だ。

『はじめから烙印を押されて』23・米
監督 ロジャー・ロス・ウィリアムズ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『バグジー』

2023-11-29 | 映画レビュー(は)

 1991年のアカデミー賞は『羊たちの沈黙』が作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞の“主要5部門”を独占した史上3番目の映画として歴史に名を残した年だが(4本目の映画は30数年を経た今も現れていない)、一方でアカデミー賞史上類を見ない不作の年でもあった。今でこそ作品賞候補枠が10本以内に拡大されたことでアニメーション映画のノミネートも珍しくなくなったが、この年はディズニー映画『美女と野獣』がアニメ映画として初の候補入り。その他、『JFK』『サウス・キャロライナ愛と追憶の彼方』と並び、そして最多10部門で候補に挙がったのがバリー・レヴィンソン監督の『バグジー』だった。

 前年に『グッドフェローズ』がギャング映画を大きく更新した後で、『バグジー』はまるで寝ぼけているかのような仕上がりだ。ジョー・ペシが暴れ出しかねないほどテンポは緩慢で、バイオレンス劇なのかロマンス劇なのか一向にトーンが定まらない。ウォーレン・ベイティ演じる主人公バグジーはまったく好きになれないキャラクターで、スコセッシ映画のようなアンビバレントな魅力を持っているとは到底言えないだろう。数少ない慰めと言えば、1940〜50年代のロサンゼルス一帯を支配したギャング、ミッキー・コーエンに扮したハーヴェイ・カイテルだろうか。『LAコンフィデンシャル』の原作者ジェイムズ・エルロイも度々描写したこのギャングスタは非常に小柄な元ボクサーで、歩く暴力装置のような男だったと言われている。脂の乗り切ったカイテルがド迫力で演じ、アカデミー助演男優賞にノミネート。彼の偉大なキャリアでオスカー候補がこれ1度きりというのは何かの悪い冗談としか言いようがない。

 バグジーはギャングたちの資金洗浄の場としてラスヴェガスにカジノを建設し、後のカジノ都市の礎を築く。これをアメリカンドリームと位置づける本作の批評性の無さを、「1991年だから」と時代性に求めるのは無責任だろう。バリー・レヴィンソンの息子サム・レヴィンソンは近年、HBOのTVシリーズ『ユーフォリア』などで活躍しているが、1985年生まれの彼が強く影響を受け、あからさまに引用するのは90年代のガス・ヴァン・サント、スコセッシであり、父バリーの作品ではない。時代を超えられない映画、というのも確かに存在するのだ。


『バグジー』91・米
監督 バリー・レヴィンソン
出演 ウォーレン・ベイティ、アネット・ベニング、ベン・キングズレー、ハーヴェイ・カイテル、エリオット・グールド、ジョー・マンテーニャ
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『バイオハザード:デスアイランド』

2023-11-07 | 映画レビュー(は)

 決して目覚ましい映像表現が行われているワケではないが、ゾンビのようにしぶとかった実写映画化より確実にファンを楽しませてくれるフルCG長編アニメシリーズの第5弾。1作目『ディジェネレーション』、2作目『ダムネーション』は傑作アニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』も手掛けた菅正太郎の参加により、巨大製薬企業と政府のマッチポンプによってテロ戦争が継続する『バイオハザード』本来の批評性が取り込まれていたものの、ホラーアクションに特化して以後は、フランチャイズの一角を手緩く担うに留まってきた感はある(Wikipediaによると菅は2015年に他界している)。

 今回はクリス、レオン、クレア、レベッカというシリーズを支えてきた人気キャラ4人に加え、ゲーム版『5』以後、出番のなかったジル・ヴァレンタインが復活。歴代主人公がアッセンブルする集大成的作品となった。レオン×ジルなど、ゲームでは実現していないタッグを見られるのがファンには嬉しく、へらず口ばかり叩くレオンにジルが呆れ顔を見せる、といった遊び心あふれるシーンはもっとあっても良かっただろう。作中時間と実時間がリンクする珍しい設定によって、いつの間にかフロントラインが30〜40代ばかりになってしまったのはいささか華に欠けるが、『5』の強化手術後、加齢が抑えられたジルにはまだシリーズを牽引するキャラクターとして伸び代が残されているように見える。彼女がPTSDを乗り越え、バイオテロに対峙していく様がゾンビアクション映画に1本の筋を通していた。


『バイオハザード:デスアイランド』23・日
監督 羽住英一郎
出演 湯屋敦子、森川智之、東地宏樹、甲斐田裕子、小清水亜美、子安武人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『パリの記憶』

2023-10-03 | 映画レビュー(は)

 2005年11月13日、朝ミアがグラスを割ったのも、ディナーを共にした夫が仕事に戻ったのも、突然の雨にあのレストランへ駆け込んだのも、全ては定められた運命だったのかもしれない。パリ同時多発テロに直面する主人公を描いた本作は、決定的な瞬間に向けて生死を分かった幾つものディテールを積み重ねていく。ミアは九死に一生を得るも、いったいどうやって生還したのか記憶が定かではない。新しい人生はまるで霞がかかったようだ。あの夜、多くの人命救助にあたった医師である夫はミアの助けになりたいと願うが、彼女の痛みは同じ傷を負った人にしか理解し得ないのである。ミアは事件現場に戻ると、毎週月曜の朝に行われている被害者遺族の会に参加する。

 出世作となった脚本作『裸足の季節』、そして世界的に活躍するフランス人スター、エヴァ・グリーンを主演に迎えた監督作『約束の宇宙』を経て、アリス・ウィンクールはその描写力に並々ならぬ凄味を持たせ、映画作家としてのスケールを増した。ミアは断片的な記憶からあの晩、倉庫で息をひそめる彼女の手を握り、共に恐怖と戦い続けた誰かがいたことを思い出す。記憶を遡上する旅は同じく事件に直面した人、近しい誰かを失った人々の想いを繋いでいく。レオス・カラックスと故カテリーナ・ゴルベワの娘ナスーチャはここでも親を失った子供フェリシアに扮して、両親の最後の瞬間を求めてパリを彷徨する。事故後も同じレストランで働き続けるウエイトレスは身を隠す最中、手を握り、口づけさえ交わしあった見知らぬ青年を忘れることができない。その青年は母国オーストラリアに戻ってもなお、誰とも知れぬ相手との哀歓に運命を感じつつ、2度と会ってはならないと恐怖にも似た想いを抱いている。ウィンクールは安易な感傷に走ることなく、観客以外の誰の耳にも届くことのない声を、時間も場所も超えてスクリーンに反響させていく。そこにはミアの夫のように、わかりあえない者の声もこだましている。ウィンクールは1つの事件を通じてパリという社会を形成する集合記憶、集合意識をダイナミックに浮かび上がらせていくのだ。

 僕はこの事件を遠く海を越えたここ日本で知った。事件の翌朝、たまたまパリを訪れていた友人がSNSで無事を知らせ、僕は驚きと共に心底、安堵したのだ。写真家である彼女は、エッフェル塔を背後に重武装で警備にあたる兵士の姿を写していた。この瞬間、僕の想いも一時ながらパリの集合意識の外殻を形成していたのかもしれない。『パリの記憶』は巨大な事象と相対しながら社会と個人の距離を見出し、サバイバーだけが持つ複雑な感情を抽出した傑作である。アリス・ウィンクール、次作でさらなる進化を見せそうだ。


『パリの記憶』22・仏
監督 アリス・ウィンクール
出演 ヴィルジニー・エフィラ、ブノワ・マジメル、グレゴワール・コラン、ナースチャ・ゴルベワ・カラックス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする