長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『パリの記憶』

2023-10-03 | 映画レビュー(は)

 2005年11月13日、朝ミアがグラスを割ったのも、ディナーを共にした夫が仕事に戻ったのも、突然の雨にあのレストランへ駆け込んだのも、全ては定められた運命だったのかもしれない。パリ同時多発テロに直面する主人公を描いた本作は、決定的な瞬間に向けて生死を分かった幾つものディテールを積み重ねていく。ミアは九死に一生を得るも、いったいどうやって生還したのか記憶が定かではない。新しい人生はまるで霞がかかったようだ。あの夜、多くの人命救助にあたった医師である夫はミアの助けになりたいと願うが、彼女の痛みは同じ傷を負った人にしか理解し得ないのである。ミアは事件現場に戻ると、毎週月曜の朝に行われている被害者遺族の会に参加する。

 出世作となった脚本作『裸足の季節』、そして世界的に活躍するフランス人スター、エヴァ・グリーンを主演に迎えた監督作『約束の宇宙』を経て、アリス・ウィンクールはその描写力に並々ならぬ凄味を持たせ、映画作家としてのスケールを増した。ミアは断片的な記憶からあの晩、倉庫で息をひそめる彼女の手を握り、共に恐怖と戦い続けた誰かがいたことを思い出す。記憶を遡上する旅は同じく事件に直面した人、近しい誰かを失った人々の想いを繋いでいく。レオス・カラックスと故カテリーナ・ゴルベワの娘ナスーチャはここでも親を失った子供フェリシアに扮して、両親の最後の瞬間を求めてパリを彷徨する。事故後も同じレストランで働き続けるウエイトレスは身を隠す最中、手を握り、口づけさえ交わしあった見知らぬ青年を忘れることができない。その青年は母国オーストラリアに戻ってもなお、誰とも知れぬ相手との哀歓に運命を感じつつ、2度と会ってはならないと恐怖にも似た想いを抱いている。ウィンクールは安易な感傷に走ることなく、観客以外の誰の耳にも届くことのない声を、時間も場所も超えてスクリーンに反響させていく。そこにはミアの夫のように、わかりあえない者の声もこだましている。ウィンクールは1つの事件を通じてパリという社会を形成する集合記憶、集合意識をダイナミックに浮かび上がらせていくのだ。

 僕はこの事件を遠く海を越えたここ日本で知った。事件の翌朝、たまたまパリを訪れていた友人がSNSで無事を知らせ、僕は驚きと共に心底、安堵したのだ。写真家である彼女は、エッフェル塔を背後に重武装で警備にあたる兵士の姿を写していた。この瞬間、僕の想いも一時ながらパリの集合意識の外殻を形成していたのかもしれない。『パリの記憶』は巨大な事象と相対しながら社会と個人の距離を見出し、サバイバーだけが持つ複雑な感情を抽出した傑作である。アリス・ウィンクール、次作でさらなる進化を見せそうだ。


『パリの記憶』22・仏
監督 アリス・ウィンクール
出演 ヴィルジニー・エフィラ、ブノワ・マジメル、グレゴワール・コラン、ナースチャ・ゴルベワ・カラックス

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